この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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マグダラで眠れ 5巻 生贄の構造

ワンピースの空島編で「鐘を鳴らすこと」が人々にとってどれほど大きな意味があったのかを再確認できるエピソード。

鐘とは膨大な精神エネルギー発生装置だ。
QBが求めた「エントロピーを崩壊防ぐためのエネルギー」のことであり、
あるいは「変化をみんなが受け入れるためのエネルギー」のことでもある。

「鐘」として機能するものがなければ、エネルギーが不足してしまう。
それを補うためになら人は人を犠牲にすることをためらわない。

たとえばそれが「魔法少女」(まどかマギカ)になることもあるし、
「聖女」(穢翼のユースティア)になることもある。
もう少しましな形態として「アイドル」なんてものが存在することになる。

そういったものが必要でなくなることは人間が共同体を営もうとする限りは不可能に近いと思う。

共同体は境界を更新することによって『連続性(自然)のなかに、非連続性(文化)』(P234)を構築する。生贄は共同体の秩序とその外部にあるカオスとの狭間で両者をつなぐ媒介者としての役割を与えられ、それを破壊することで境界が設定され、秩序が生成されることになる。

http://kousyou.cc/archives/4259

供犠の<置き換え>には二つのメカニズムがある。一つは<贖罪のいけにえ>、もう一つは<儀礼のいけにえ>である。前者は『共同体の内部にあって、相互暴力(カオス)を一身にひきうけさせられる第三項』(P246)であり、後者はその<贖罪のいけにえ>のさらなる置き換えとして共同体の外部に向けた暴力として存在する。

本来ならば自身がその責を負うはずの未開の王の如き共同体の指導者は高らかに謳いあげる。彼・彼女の犠牲を無駄にしないために崇高な理想の実現に邁進すると、共同体の中に存在する暴力の存在を覆い隠した秩序を維持すると。それによって自身の身代わりとなった犠牲を神聖なるものに祀り上げ、共同体に受容させた神話を作り上げる。

「鐘」がならなかったとしたらどうなるか

外の敵に敵わなければ、中の弱い敵ということになるのはいつものことだ。

状況がこうなれば、必ずいけにえが必要になる。
そのために、通常ならば人々の無慈悲な関心を一身に集めるものとして、 鐘や神といった象徴や偶像が必要とされるのだ。
そこに生身の人間が立たされれば、必ず重圧に押しつぶされる。
そして、アイルゼンはその場に立てといっている。

報酬には衛生要因と動機付け要因があって、衛生要因の不足を感じるほど、過剰に動機付け要因を強化していく側面があるのですが、その逆も一定の範囲で成立します。
(中略)
これは給料があまり払えない居酒屋こそがポエム化していくのと同じです

http://www.ikedakana.com/entry/2014/06/11/084205


ポエムで補いきれなくなると、いよいよ犠牲者が必要になります。

いけにえとは、そういうものだ。
若い娘の哀れな姿に意味がある。
その娘を炉に突き落とせば、連中を説得するのは容易だ。
ケモノのような連中を操るのが仕事の私が断言する。できる。
お前達は、奇跡の上がりだけを得ればいい。実に錬金術師らしいだろう?

古の民たちもまた、暴虐の限りを尽くした末に殺されたのではなかったのではないか。
圧制に苦しむ民のために戦っていたとも取れる。
だが、それでもなお、のろわれた存在として扱われるようなことがありえるのだ。
人々に手を差し伸べ、尽力し、奇跡としか言いようの無いことを起こしても、ある日、こうなることがありうるのだ。

私や私の血族を殺そうとする人たちは、
私たちが憎くてそうするのではありません。
そうしなければ、皆さんの理屈に沿わなかったからそうするのです。
中身のことなど気にせずに、ただ外面のためだけに。

で、こういう状態まで追い詰められたクースラとフェネシスが、
どうやってこの事態を乗り切ったかは、作品を読んでのお楽しみ。






http://kousyou.cc/archives/3862  モックキングの死と戴冠
http://kousyou.cc/archives/2131  コミュニティ維持機構としての悪口祭
http://kousyou.cc/archives/4251  境界の発生

グローバル化(境界が溶けていく)世界では、逆に
境界を求める人たちによって、過激に境界を生成しようという試みが起こり
その都度生贄が求められるようになるのかもしれない。ネット祭りのはなしね。

この記事の感想代わりに1つ増田で記事書いてみた。