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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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実在の人物を「キャラ化」「フリー素材化」するのってどこまでが許容範囲なのか

モヤモヤしてるまま書いてるからまとまってねー、デス。



野々村氏に関する消費のされ方に違和感を感じている。

「笑うな」という話ではない。笑うこと自体は個人的には全然構わないんだけれど、
笑うために「キャラ化」→「素材化」みたいな手続きが行われるな、と感じるんです。

(キャラ化とかフリー素材化とはなにか、についてはこのあたり斎藤環いわくうんぬんとかの話があるのだけどめんどくさいのでカット)

野々村氏がちゃんとこの世に実在する人間だって知ってた?

要するに、野々村氏が一人の実在する人間であるという認識そのものが失われてるんじゃないかなと。もう「リケジョ」みたいなカテゴリーでくくったりするのがとか、「男女」で区切ってはなしするのがどうとかフェミがどうとか。そういうレベルじゃない。ココらへんの話はまだ「人間」について語っている。でも、野々村氏の消化のされかたってもう最初から「人間」扱いじゃないと思った。文字通りの意味で問題の次元が違う気がする。

人によっては、野々村氏を実在の人間として扱った時間が完全にゼロの人がいたんじゃないかと思うのだ。最初から「素材化」された野々村氏を見て、「素材化」された野々村氏を消費するだけ。実際のこの人がどういうヒトかには全く興味を持たない。ただ絵的に面白い。笑った。終わり。野々村氏に限らず他のクソコラ職人の人気を見ててもちょっと思うのだけれど、この「キャラ化」「素材化」といった部分に全く抵抗感じなくなってる人が増えてるのかなーと思うとちょっと怖い。

「君らが批判したり、ネタにしてるのは、どのレイヤーの(3次元・2.5次元・2次元)野々村さんなの?」って言いたくなる。どこぞのワタミ叩き記事についても、「予め叩くために、すでに2ちゃんねる等で素材としてまとめられた悪の象徴的アイコンを叩いてるだけ」という感じで、そういう「ためにするなんとやら」のは2ちゃんねるかニコニコでやれボケって思ってしまう。

殆どの人は「え?それの何が問題なの?」って思うのかもしれないけれど。自分自身、何が問題でどう怖いとかうまくいえないのだけれど。なんだかちょっと抵抗を感じるな、ということです。



ニコニコ動画等において、実在の人物を「キャラ化」「フリー素材化」するのってどこまでが許容範囲と認識されているのだろうか

アニメや二次元に関するコンテンツではこういうの平気で楽しんでる。むしろマッシュアップとか大好きだ。キャラ改変から妄想カプまでなんでもOK。。でも、自分は実在の人物になるととたんに受け入れられなくなるようだ。

私はAKB48に代表されるような、実在の人物を「キャラ化」とか「フリー素材化」するってアプローチにどうしても違和感を感じるクチだ。二次元は大好きでアイマスもergも大好きだけど、AKB48などは意図的に避けてる。(実際に見たらハマりそうだとは思うけれど、今のところちょっと怖がってるというのが正しいか。)

ニコニコの「ネタだから何でも許される」みたいな雰囲気、時々度を越してる気がして気分悪くなる時がある。もちろん基本的には「嫌なら見なければいいじゃん」でスルーしてるのだけれど、ランキング上位を独占されてるとさすがに気になるんだよ。お前ら小学生か、って言いたくなる。

実際、この「実在の人物を素材として扱う行為」についての認識についてid:kawango(もうはてなIDないけど一応)の認識を伺ってみたいとところだ。



「実在の人物」ってなんだ? ネットのキャラだって「実在の人物」なんだろうか?

私はかつてネットであきらかにキャラ作ってるなーって思う人を見て「こいつブロントさんみたいにおもしろ発言多いからフリー素材化出来るんじゃね?」と思ってちょっかい出したりしてるので、私の言う「実在の人物」の境界線はかなり微妙です。
自分がはじめて青二才という存在に気づいた時に書いた記事はこちら ttp://d.hatena.ne.jp/TM2502/20120626/1340672266
というわけで、何が言いたいのかよくわからない記事になってしまいました。

とりあえず、モヤモヤしたってことです。終わり!