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「嫌われる勇気」まとめ01 幸福を感じるためのたった一つの条件=貢献感覚

前のブログを非公開状態にしてるので、続きを書くために一時的に記事を引っ越しします。



これから「嫌われる勇気」という本のキーワードを、
だいだい20回くらい掛けて「後ろから」引用していこうと思います。


アドラーの理論が提唱する対人関係の大前提は
「ハラスメントの温床となっている、
 一般的なコミュニケーションについての考え方からの脱却」
のためのヒントとして非常に重要であると考えています。
「課題の分離」はまさにハラスメント殺しのための特効薬だとすら思う。


一方で、私はこの本で提示されているアドラーの理論が
どうにもこうにも好きになれないわけです。
どうしても「だせぇ、要は勇気がないんでしょ」につながってしまうので。

われわれはなにかの能力が足りないのではありません。
ただ「勇気」が足りていない。すべては「勇気」の問題なのです

もちろん、この本では、某はてなの記事のように
勇気という言葉を、説明もせずに便利に使ってるわけではありません。
ちゃんと「勇気」について、5W1Hで説明してくれています。
自分なりにまとめるとこんな感じ

・どういうものか(What)
  =なすべきことを見極め、実践する

・何のために必要か(Why)
  =幸せのため、自由のため

・どういう対人関係や場において発揮されるべきか(Where)
  =人生のタスク(仕事・交友・愛)に立ち向かうと決めた時
   (※どうでもいい人との対人関係では勇気を発揮する必要はない)

・誰の問題について実践されるべきか(Who)
  =自分のため →共同体感覚をもつ仲間のため

・それはどのように獲得していくものか、どうすれば実践できるようになるか(How)
  =「自己受容」→「他者信頼」→「他者貢献」の3ステップで実践する

・どういう時に発揮されるものか(When) = Howを実践する各3段階において

これ自体はいいのだけれど、
「これを実践しないのは、あなたが幸せになりたくないからだ」となるのが、厄介。

そして、この本は、最初にこの
「あなたが今幸せでないのは、あなたが幸せになることを望んでいないからだ」
(目的論的アプローチ)から始まるので、かなり読んでてストレスが貯まります。

もちろんそういう本の通りのプロセスで読んでいったほうが、
最終的に腑に落ちる人もいるのかもしれませんが、
私は本を読んでも納得できなかったので、どうやら私は幸せになりたくない人のようです。


ただ、私がこう思うのは、
私の読解力が低かったり、十分内容を咀嚼できていないからなのかもしれません。
一応自分では幸せになりたいと思ってるつもりなので、
とりあえずこの本の内容を後ろからもう一度読みなおしていって、1つずつ確認していこうかな、と。





というわけで第一回目は「貢献感覚」です。

どんなちっぽけなことでも「貢献感覚」を感じられれば人は幸せになれる?

「人が自由を選ぼうとした時、道に迷うことは当然あるでしょう。そこでアドラー心理学では、自由なる人生の大きな指針として「導きの星」というものを掲げます。旅人が北極星を頼りに旅するように、われわれの人生にも「導きの星」が必要になる。それがアドラー心理学の考え方です。この指針さえ見失わなければいいのだ。こちらの方向に向かって進んでいれば幸福があるのだ、という巨大な理想になります。」
「その星はどこにあるのですか?」
「他者貢献です。」
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。自らの上空に他者貢献という星を掲げていれば、つねに幸福とともにあり、仲間とともにある!


どれだけ他人からみてちっぽけだろうが、間違っていようが、勘違いだろうが自分が他者に貢献しているという実感を得ることができることが、自分にとってはまず重要だってわけです。

私はこの感覚が異常に弱い。貢献の手応えより、「こんなこと書いて怒られないだろうか」とか「自分の書いてることに間違いがあったらどうしよう」とかそういうことが先に気になってしまう。 



まず「貢献感覚」を感じられるかどうかがスタート。長続きするかどうかは次の問題

もちろん、「他者貢献」を実感できたとしても、それだけで「貢献感覚」ひいてはそこから得られる「僕には帰る場所がある、こんなに幸せなことはない(共同体感覚あるいは以前はなしした包摂欲求)」が長続きするかどうかはまた別の問題です。

大事なことなのでくどく繰り返しますが、確かに長続きさせようと思えば、実際に貢献してるかどうかが大事です。ですがそれは貢献感覚を感じられた後の話です。 まず最初に大事なのは自分が貢献の手応えを感じられるかどうか、です。実際には多大な貢献してても「こんなんじゃまだまだ」って思い続けるよりは、少しくらいミスとか問題があっても「おれ、ちゃんとみんなの役に立ってる。ここにいてもいいんだ」って思えることが大事だということです。



そのうえで実際に長続きするかどうかについては3回位あとで説明する予定ですが、貢献感覚の好循環が重要になります。

幸福の条件である「貢献感覚」は「自己受容」→「他者信頼」→「他者貢献」のサイクルがきちんと循環する場合にしか持続しない。 「他者貢献」の実感があっても「自己受容」ができてなければこの感覚は崩壊するし、「自己受容」ができても「他者信頼」ができていなければサイクルが止まってしまい「貢献感覚」は持続しません。

んで、このサイクルを回すための潤滑油として「勇気」が必要で、「勇気」もこのサイクルを回すたびに強化されるという話になってるっぽいです。最初の最初が一番きついけど、そこだけはなんとか絞り出せってことですね。

私のような非モテ(笑)はそれが枯渇してるからこそ非モテだと思うんですが、そういう「非モテ」を絵にしたような青年を、哲人が完全論破していくのがこの本です。われこそはと思う非モテの方々は是非ご自身で挑戦してみてください(ひどすぎる紹介)



次回予定。
「002 エネルゲイア的人生」
「003 承認欲求は、いらない」 承認欲求全否定ワロタ。