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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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コミュニケーションを消費するか、供給するか

オフ会で会った人とか読書会でお話した人はご存知だと思いますけれども私はコミュニケーションの能力というか意欲に露骨に偏りが有ります。自分が興味ある分野だとべらべらしゃべるし、相手の話もよろこんで聞くけれど自分が興味ない分野だと急に無表情になり、全く聞いてなかったり、何も喋らない状態になる。

他の人には「スイッチ入った時と入ってない時のギャップが激しい」と言われるけれども、要するに、私は、誰かが自分に興味ある話題を振ってくれるのを待っていてその話題が来たら消費してるだけ、ということが多い。自分から話ふるときも、自分が興味ある話をして、相手がそれに食いついてくれるのを待ってるだけというケースが多い。

つまり、私は、コミュニケーションを「消費」だけしている。自分が楽しむことばかり考えていて、自分以外の人間を楽しませようという意識が弱い。「供給」する側はあまり訓練できていない。

私が日常会話が苦手で、仕事での会話は平気な理由

つまり、コミュニケーションを4つに分類した時に

<消費>
 ①自分から「自分が」興味ありそうな話題を振って、相手が食いつくのを待つ。
 ②相手から「自分が」興味ありそうな話題を振ってくれるのを待って食いつく。
<供給>
 ③自分から「相手が」興味ありそうな話題を振って、相手に語らせる。
 ④相手から「相手が」興味有りそうな話題を振るよう仕向、それを後押しして盛り上げる(聞き上手)


があると思うのだけれど、私が普段やろうとするのは基本的に①と②だけ。
③や④は仕事とかじゃないとやらない。できるならやりたくない。特に③はやらない。

それでも、相手そのものが自分にとって興味深い存在であれば、
あるいは自分の話す内容が相手にとって興味のあることであれば①と②だけで問題ない。
①と③が、②と④がそれぞれ一致するからだ。
だから仕事でのコミュニケーションって楽なんだよな多分。
ただ、日常会話ではそうもいかない。仕事の会話をデフォルトだと思ってると失敗する。



「消費」だけだと何かと行き詰まりやすいので「供給」についても意識したい

これだと、相手に③や④の精神がない限り、どこかで行き詰まる。
実際そうやって何度も行き詰まってコミュニケーションに苦手意識を持っている。

ただ、これは意識の持ちようや訓練で解決できることでもあるとは思う。

もういい加減いい年なのに中学高校レベルで悩んでるわけだけれど、
まぁ、そのあたりは今までさぼってたツケというところで、
すごく初歩的なレベルからでも訓練していきたいと思う。





余談。ちょっと違うけれど、この話も時々見返してる

コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときにそこから抜け出す力だということである。それは今の例でおわかり頂けるように、「ふつうはしないことを、あえてする」というかたちで発動する。私たちは二人それぞれに「客や店員がふつうはしないこと」をして、それによって一度は途絶しかけたコミュニケーションの回路は回復した。

http://blog.tatsuru.com/2013/12/29_1149.php

「立場が大きく異なる者同士が互いにわかり合えずにいる」のはそれぞれがおのれの「立場」から踏み出さないからである。「立場」が規定する語り口やロジックに絡め取られているからである。「わかり合う」ためには「立場」が定めるコードを適宜破ることが必要だ

ロジックが違い、コードが違っていた。コミュニケーションが成立するはずのない間柄であった。けれども、鐵舟はそこに奇跡的に架橋してみせた。私は私のコードを破った。あなたはあなたのコードを破ってはくれまいか。篠原に向かって鐵舟はそう言って「身を乗り出して」みせたのである。コミュニケーションを架橋した