頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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発達障害

誰かを批判して満足、の次の段階に進みたい

知識ってなんだろうとか、何のために知識っているんだろうとかごちゃごちゃ考えた。


結論・・・あまり考えすぎずに適当でいいと思う


1st まず現状に批判的・懐疑的になる =現状に抗う、現状を変えようとするためのベースを作る?

読書量を増えて思考が冷静になった時に、知識をつければつけるほど、彼女の矛盾を明確に言い当てることができるようになった

こういう状態ははおそらく「知識を対人関係に対して用いる」ときの第一段階=スタート地点なんだと思う。

金槌の法則
クリスマスプレゼントに金槌をもらった子供は,何でも叩きたがる。

http://hp.vector.co.jp/authors/VA000092/misc/TheSecretsOfConsulting.html

心理学等やら、対人技術に関する知識を断片的に学び始めた時、どうしても最初は他人か自分を評価し、批判しがちになってしまうような気がする。

他人にものさしをあてはめていろいろ測ってみて楽しむ。 たとえば小野ほりでぃ氏の記事を読んだら、その用語を身の回りの人を振りかざす。たとえば影響力の武器を読んでは、人の行動をなんでも分類して切り刻む。たとえば、たとえば、ダニング・クルーガーなどの用語を知ったら、とりあえずその言葉を他人にあてはめて遊んでみる。などなどだ。

こういうことをしている間がたぶん第一段階だ。よいとか悪いとかじゃなくて、これは避けがたいものなのではないかしらん。

この段階で大事なのは、とにかく現状に問題があるということをきちんと認識し、言語化することだと思う。なあなあで受け入れてしまってる現状にNOを突きつけることが、まずスタートラインとして大事。そもそも知識を求めるのは、現状に何らかの形で変化をもたらすことが目的だと思うので。


ただし、第一段階の知識は、上手に使わないと道具に振り回されてかえって不幸になってしまう?

この段階はとても楽しい。ただし、ここで満足してとどまってしまってはいけない。「批評家」になってしまう。さらに、「問題を探し出すこと」だけがじょうずになってしまうと、批評家どころか、批判家になってしまう。

この状態を続けると、人に嫌われるし、自分も人を嫌いになってしまう危険がある。

知識を手に入れようと思ったきっかけは、対人関係をよくするため、対人関係における自分の悩みを軽くするためだったはずなのに、上記のように「手に入れたばかりで使いこなせない段階」だと、知識に振り回されてしまって、かえって不幸になる。 かえって生きていて苦しくなる気がする

知識を手に入れて、相手がこうだから駄目なんだ、自分がこうだから駄目なんだ、というところから出口を見つけ出せないと、モヤモヤしつつもそういう意識がなかった時よりずっと辛い。

きっと知識は、こういう第一段階で止まってると一番苦しい。しまいにこんなに苦しいなら知識などいらぬとか思いかねない。別の方向に進む必要があると思う。



2nd 問題を認識した次は、どっちの方向に進めばいいのだろう

で、多分だけど、知識をうまいこと使いこなして、「対人関係に役立てる」にはあと2段階か3段階くらいのステップが必要なんだと思う。


第一段階が、問題点を認識することだとすると、ここで自分や相手の問題だけを探しつづける状態はかえって自分を不幸にする。だから第二段階として、問題のことばかり考えてる状態から離れることを意識すべきじゃないかな、と。

具体的にどうするか、だけどたぶん次の段階としては「理想や目的とする状態をイメージする」ことが必要になるんじゃないかしら。「こういう状態になるとうれしい。そのためにどうするか」を考えて、そのために必要なことを考えていくという段階。これはコンビニ店長の受け売りな。

このあたり本当にわかってるとはいいがたい。一応「ソリューションフォーカス」というアプローチがそれにあたるのかな、と思う。

問題を解決できないままでいるのは、問題に焦点をあて過ぎるあまりソリューション(問題がなくなった状態)イメージを思い描いていないからです。「しかし、この問題を何とかしてからでなければ、その先なんて考えられない。」これが落とし穴なのです。なぜうまくいっていないのかを徹底的に分析する必要があるのはモノづくりや事故の調査の場面です。人間の行動をより生産的な方向に導くためのコミュニケーションの中では、問題は必要以上に大きく扱わないことが最短距離で解決に向かうためのポイントになります。そして「何が悪いか」ではなく「どうすれば良いか」に早めに焦点を絞るのです。

http://www.solutionfocus.jp/history.html

コンビニ店長の文章はいつも長かったけれど、最後まで読む気になったのは、その文章におけるサービス精神もさることながら、ちゃんと「じゃあ俺はどうなってほしいのか」「どうしたらすくなくとも俺が納得できるか」までを書いてくれるから、読後感が悪くないという信頼があったからじゃないかな、と。(美化しすぎかもしれないけれど)なにかを批判して終わり、けなして終わり、という、読後感最悪の記事はなかったと思う。




3rd 問題認識して、問題が解決された状態をイメージできたら実践あるのみ。要は勇気がry

第一段階や第二段階では、知識があれば机の上でも考えられる。 ただ、この段階だと「べき」は語れても、実際には何も手に入れられない状態だ。第二段階で「べき」まで考えたうえで、そこで立ち止まってしまうくらいだったら、知識なんか無いほうが幸せな気がする。

というわけで、第三段階はそういう理想状態を保つ、あるいは理想状態に近づきつづけるために実践を続けることだと思う。 

この段階では、問題がリアルタイムで生成され続けるわけで、知識だけあってもそれを臨機応変に活用できなければいけない、わかってても実践できないと意味が無いわけで、この段階では知識以外のものが必要になる。 ここで多分どうしても何らかの形で「勇気」が必要になる。ちしきは「勇気」によって実際に行動に変換されることで、はじめてなにかを得ることができる。


4th 壁を乗り越えられたらあとはどんどん楽になる…といいな

多分これを乗り越えられたら、精神的には少し楽になる気がする。すくなくとも自分の理想を描いて、それにちかづいているという実感が得られるのであればそれほど嫌な気分にはならないと思う。

第四段階は「保守」とか「アップデート」になるのかなー。実践できるようになった理想や目的をアップデートしていくみたいなことが必要。 頑張れば頑張るほど得られるものがあるし、成功体験による自信があるわけだから、放っておいてもできるだろう。


本当に、第三段階の壁を超えることが・・・