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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「強」「正」「楽」

斎藤一人さんの本で読んだ話。

時代によって3つの偉さがある?

歴史を振り返ると、美人のあるべき姿が時代によって変わるのと同じように、その時代によって「偉さ(greatness)」というのは変わるそうです。


正確さを犠牲にして大雑把にまとめるとこんな感じです。


①戦争に明け暮れていた時代は強い人が偉くなる。
②ある程度政情が安定して経済が発展していく時代(高度成長時代)は正しい人が偉くなる。
③社会が成熟期に入り、全体が下降していくなかではユーモアを楽しさを提供できる人が偉くなり、生活の豊かさを追求する動きが強くなるそうです。


で、ヨーロッパなんかはもうずっと長い間「斜陽」の時代が続いており、そのためユーモアを大事にし、心地よい対人関係を重視し、そのために多様性なども重視するようになっているのだ、と。


一方、日本の場合は、まだそのステージにはない。バブル崩壊からまだ20年くらいしかたっていないから、いまだにいまだに高度経済成長を引きずって「正しさ」こそが大事だという人と、「若者」に代表されるように「楽しさ」を追求する人たちの間でぶつかりあっているのだと。 また、島国国家であったことが災いして、多様性については極端に遅れている、と。

それでも、今後「楽しさ」を提供できたり「多様性」を受け入れる余裕がある人が「偉い」ということになるだろう、ということでした。


私の認識はともかく、社会は多様化していて、戦う舞台もさまざまに

もっともこの話を読んだのが5年くらい前だったので、今はさらに状況がめんどくさくなっていると思います。 現代はもはや「総中流」ということばがそげぶされ、「世代」で綺麗に社会が分けられるような時代ではない。「若者VS老害」という認識そのものが時代遅れだと思います。


若者でも「競合が多い=戦争状態」にあるような、ブラック企業になりやすい舞台で戦っている人は、「強いが偉い」環境になるでしょう。そういうところでいくら「楽しさ」「やりがい」を追求しても無駄でしょうね。

逆に、ある程度「おっさん」と呼ばれる世代でも、「急成長企業」「急成長ジャンル」「ランキングの世界」なんかで勝負していれば、だいたい正解は決まっているので、そういうものを理解して適応できる人が偉いということになるでしょう。ここで「格付け」勝負を挑んでもバカにされるだけでしょう。

自分は何を大事にして、どうやって戦うか

大事なことは、

1 自分がどのステージで戦っているかを認識する
2 自分がどういう形で「偉く」なりたいのか(何を優先したいか)を決める
3 1と2が一致する場所で頑張る

なのかな、と思いました。

自分にとって「正しさ」こそが大事なら、今後成長していく場所で頑張るべきだし、腕っぷしとか精神論・根性論に自信があるなら、レッドオーシャンブラック企業でも自分だけはイキイキ働けるかもしれない。

私にとっては何が大事なのかなー

「偉い(greatness)」って言葉を、もうちょっとしっくりくる表現にしたいです…。
ここでいうのは「自分らしさをもっとも発揮できている状態」程度の意味なんですけどね。

「World End ECONOMICA」や「マグダラで眠れ」は、時代の変わり目で、自分だけの「偉さ」を追求する人の話として読んでてとてもぐっとくるものがあります。おすすめ。