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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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スタートとゴールの順番が逆転している主張

自分が「自分は正しいことを言ってるのに受け入れてもらえない」と感じた時のことを振り返ると議論のスタートラインとゴールラインが逆転してることが多かった気がする。

しかし、いろんな必要な議論をすっとばしていきなり「ゴールライン」だけ言っても意味が無いし、逆に、「スタートライン」についてしか話をしてないのに「これが本質だ」みたいな顔をしても意味が無い。



思い返すと、私の話を聞いている相手は、私の話を聞きながら、「言ってることはわかるが、それで?」と思われていたのだろう。恥ずかしい。何かについて考える際は、余裕があれば「議論のスタートはどこか」「ゴールはどこか」「その過程はどこか」を意識し、自分が今どこについて語っているかを意識できるようにしたいなと思う。

以上。

あと蛇足。



















たとえばこの記事。
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/toyokeizai.net/articles/-/43803


労使において論じるとき、

①共有できるスタートラインは「僕たちは他人ですよね」から、である。
 「家族」状態は、理想・ゴールである。
 理想・ゴールは、会社から、従業員からの一方的なものでなく、
 両者の合意によって形作られるべきである。


②その「他人」状態から「家族」的状態というゴールを目指すなら、
 その「家族」的状態というものがどういうものか定義し、
 従業員もそれを目指したいというゴールとして受け入れられる必要がある。


③さらに、「他人」状態から「家族」状態へどのように移行するのか
 その過程についてもしっかり議論しつつ、実践・改善していく必要がある。


④スタート地点からゴールであるはずの「家族」状態を前提とし、それを強要するというのは
 合意形成のために必要不可欠な①~③をすべてすっとばし、
 そのための努力を一切していないということである。
 その認識の齟齬による負担を一方的に従業員に押し付けているのであるから
 深刻な(パワー)ハラスメントであると言える。


⑤とはいえ、①~③の過程がしっかりと行えるのであれば、
 「家族」のような理想を目指すこと自体は不可能ではないし批判すべきでもない。
 「家族」という考え方自体が絶対に間違っているわけではない。 
 実際に成功に近い形を収めていた企業もあるはずだ。 
 ワタミの場合は、プロセスがおかしい。そもそも対外向けに言ってどう済んだ


⑥また、①~③をきっちり行って合意形成をしているとしても、
 法律による「長時間労働の制約」「賃金規定」など守るべき枠組みはある。
 それに違反しなければ組織を維持できないなら、組織自体に問題が有る。



⑦ただ、日本の労使関係の場合、経営者と従業員のパワーバランスが崩れていると
 ①~③のような労使間の合意形成の手間を省くことが当然のように行われたり、⑥の法令遵守が破られたりする。
 また、組織が順調に行っている間は、①~③を省いても成長がそれをごまかしたりする。 
 しかし、①~③をしっかりやってない企業は、そりゃ危機が起きた時には弱いでしょう。





実は私もこういう主張をやらかすことは結構多い。いちいち最初から最後まで考えるのがめんどくさいからだ。

そういう時でも、自分の正しさを疑わず、「理解しない奴がレベルが低いんだ」「わかってくれる人はもいるから大丈夫」とか、「僕はこじらせなんだからしょうがない」と開き直るばかりではなく、「今自分はどの段階を論じていたのかな」と反省するくらいはしたい。

多くの人に何かを伝えたいなら、人をアジテーションしたいなら、こういう手間を惜しんだらダメな気がする。こういうのがめんどくさいなら、最初からある程度前提を共有していて話が通じる人と話したほうがいい。最初から誰かをアジろうとなんかしなければいい。自分の思ったことを淡々と書いていればいい。そうすれば面倒事はだいぶ減ると思う。

雑なアジテーションの大勢の人の目には止まるだろうけれど、人の心は動かさない。反発や嘲笑を生むだけだ。そんなことをしても愚かなアジテーターがバカにされて消費されて終わりである。そういうのを「炎上」といってごまかすのはやめにして欲しい。「炎上」と「見世物小屋のサル」は全く違う。