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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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ネットで「本音」を垂れ流しにしている人を見ると不安になる原理

nov1975さんの連作が面白いし、とても大事だと思う。このくらい簡潔に書けるよになりたいな。

ネットも人が集まる以上、「社会」や「公」が生じるのは当然でそこでは、ネットリテラシー以前の「社会や公の一員である意識有りますか?」が問われるのだろう。多くの人に見られたい、評価されたい、と思うならなおさらここは意識したほうが良くないかい?と。

そういうことがわからなくなってる人がたくさんいる一方で、今後ますますネットの「社会性」「公共性」は強くなっていくと思われるわけで。今後のネットってどうなっていくんでしょうかね。 公を司る中心部分にはほとんど人がいなくなって、周辺部で個人はクローズドなスペースで自由に振る舞うような形になるのかな。 わからん。

いずれにせよ、今後も「突然の死」は多発するんだろうな・・・。


コミュニケーションにはそもそも文脈と背景の共有が必要

文脈と背景が無いとコミュニケーションにならない

超個人的な話や特定個人についての感情は、それを共有している人以外には伝わりにくいものなんだろうな。だから、有名人への言及やアニメ作品についての話は共有しやすいが、それ以外の話題は難しい。
例えばここで私が「某IDの人のことが大嫌いだ(or大好きだ)」とか「会社の上司・同僚がひどい」と思ってたとして、それを中途半端な情報公開と一緒に語ってもなかなか受け入れてもらえない。むしろ、大抵の場合は「一般論」で処理されてしまうだけだろう。それは相手の想像力や共感力を責めるべきところではなく、自分がコミュニケーションの前提を無視しているとか、相手のことを軽視しているということになってしまうだろう。

社会以前に、対人関係の基本。ここからが社会の問題


「社会性の喪失・忘却」と「本音で書くこと」の区別をする必要がある

http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/08/03/112552

子供はよく大人は嘘をつくっていうけど、大人は嘘を付いているんじゃなくて社会的によく訓練された結果として言うことに制約を設けているわけだ。子供の目からは本音を言わないことは嘘をついているようにみえる。本音を垂れながす大人ってのはそういう意味では精神が子供なんだよね。残念ながら、Twitterの公開アカウントで不適切な発言をすることってのはそういうことだよね

ネットの場合、問題になった時に普段からそういうことを言う人だったのか、それともたまたま疲れていてそういうことを配慮する余裕がなくなってぶちまけちゃったのか、とかそういうことを考慮してもらえないから怖いよね。 精神が不調なときにインターネッツするなってシロクマ医師さんが言ってた。
「本音」と「衝動」は全然違うよねみたいな話もあると思う。それがほんとに「本音」なんだったら、その時書かなくても大丈夫だから、今自分が高ぶってるとか疲れてると思った時は、下書き保存ボタンの側を押すようにしたいな



社会とのつきあいかたを間違えた時、開き直って「本音至上主義」「ダメ相対主義」に走ると炎上体質になる

http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/07/28/090654

この辺りの気持ちってみんなもってるよね。もってない?嘘つくなよもってるよね?こんなこと公言しちゃうと小物臭が漂っちゃうから言わないだけだよね?こういう気持ちって上手く使うと向上心の元になるんだけど、そこで完結しちゃうと単に小物っぽい自意識を表出させるだけで終わっちゃうんだよね。まあ自意識が小物のままだと短期的には満足感が繰り返されるから楽でいいよね。

「本当に思っている」ことってのは欲望だったり、妄想だったりするし、思っていけないことでは全然ないんだよね。社会っていうのはそういう本当のことをどの程度言っても良いのかという価値判断で構成されているんだけどね。

ここはにわたまな感じがして面白い。
・「なんとしても注目されたい」や「本音を言って何が悪い」と思って炎上を繰り返す結果社会からはみ出してしまうのか
・社会からはみ出してしまって注目に飢えるから本音至上主義に走って炎上を繰り返すのか
とりあえず、こっち方向のスパイラルに入った人を「ハックル星人」と名付けたい。ドラゴンボールはどこにあるんだろう。



だんだんめんどくせーと思われるようになって反応が減っていく

http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/07/31/071944
http://novtan.hatenablog.com/entry/2014/07/29/071237

素直に「褒めて褒めて!」って言う人か、すげー練習して「俺シングルっすから」ってなる人は素直に評価されやすいよね。そうじゃない人は評価するとこっちが不快になったりするからねえ。「こいつめんどくせーな」って人はだんだん評価の言葉を掛けられなくなるよね

「あ、こいつめんどくせーから触んないどこ」って思わせるような反撃をする人って次第に言及もされなくなって消えてくよねって人って古来からそれなりの人数居たよなー

4つほど前の記事で書いたけど私は結構このタイプだという自覚がある。
感情「のみ」をストレートに表現することと、他人に対して評価的にならないことが今年の課題。



ネット廃人になって心を病む。疲れて引退するか限界まで突き進むか

だんだん耐性が出来てきて、気持ちよくなりづらくなって
ついついもっとすごい炎上に手を出してしまうと廃人が近づいてくるわけですけどね。

これは怖い。せめてネットがダメだった時の退路をもっていたい。ネット以外の生きる場所を持っていたいと思った。




以下余談。

このあたりの議論については「社会化」を参照したい。
社会化 - Wikipediaはてなブックマーク - 社会化 - Wikipedia

・行為や思考の型は、個人に外在するだけでなく、命令と強制の力を付与されている。
・自分の意思で同調するときには、強制を感じることはない。
・抵抗しようとした途端に、強制は事実となって現れる。

・例えば服装の慣習を無視したら、人々の嘲笑・反感を招く。刑罰に近い効果もある。
・産業経営者が、前世紀的な工程や方法で労働させることを禁ずるものはないが、敢えてそれをしたら、破産を招くだけである。
・首尾よく突破できても、闘争は避けられない。
・最終的に勝ったとしても、反対や抵抗により拘束力は感じられる。
・現実的には教育現場が崩壊している教育困難校が存在しているなかで、そのような子どもの学力や将来を閉ざすような学校の文化に対しても社会化が要請される場合がある。それに抵抗するためには、対人関係が解消されることもある。

反社会とは、この「社会化」の作用に抗うことである。これは非常に強力で、「ネットで村意識とかださい」と言っても、「わかってないのはお前だ」と言われておしまいだ。社会やインフラに全く依存しないならともかく、そういったものの恩恵をうけつつ制約は受け付けない、では子供と言われても仕方ない。一方で、全く無意識に受け入れてしまうと、別の社会の人間からしたら異常とも思われることを異常と思わず内面化してしまってやばいことになる。

とにかく社会とのつきあいかた、「社会化」の作用を自覚してうまくつきあってくことは難しいよね。本当ならこういうことを意識しないで、何も考えずに同調して生きていけたらいいのにね。それができるような人は、はてななんてやってないよねー。



http://fragments.g.hatena.ne.jp/nisemono_san/20140729/1406634911

問題はこの二つ。つまり「成熟しないことの子供っぽさ」と、「成熟を加速すること」の二つが両極にあるというのが、今のところの暫定的な結論。

(後者について)ニコニコ動画が超会議というものを、ひとつのイベントとして昇華させてしまったために、ある部分において、文化祭というものが「成熟の否定」から「成熟せずとも生きられるのではないか」という可能性を提示したために、「成熟を否定すること」よりも、むしろ「成熟しないことの徹底」のほうにシフトした

この記事興味あるけどまだなんとも言えない


6月20日にこの記事を引用して「本音至上主義」の危うさについて考えたことがあるけれど、
美しきニッポンの本音:日経ビジネスオンラインはてなブックマーク - 美しきニッポンの本音:日経ビジネスオンライン
本音至上主義はホントに見てて不安になる。