この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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「会話はキャッチボールである」系の例えに対するモヤモヤ

めんどくさいだけで、何一つためにならない話です。


キャッチボールとは相手がキャッチできるボールを投げあうものです

私はもともとしっくりこない比喩がとても嫌いだというのは前に書いたことありますが、
個人的にこのたとえ、かなりモヤモヤします。

そもそも、喩えが「有効」「有意義」なのは、
それによって伝えようとしているメッセージやイメージが
相手の問題と一致する場合だけだと思ってます。
そこで、間違ったメッセージを受け取ってしまうと逆にに困ったことになる。


なにが言いたいかというと、私はこの例えから
「相手の言葉を受け取れることが大事だ」とか
「相手が受け取りやすいことを投げることが大事だ」
というメッセージだけを読み取ることだけを求められているのはわかっていても、



「会話ってボールを落としたらダメなものなのか」と身構えてしまうのです。



実際にはキャッチボールだって、別に受け取れなかったら拾って投げ返せばいいのですが
それでもキャッチボールって、とにかく
お互い長く玉の投げ返しができることを最大の目的にしてるじゃないですか。
個人的には「え、会話の目的ってそこなの?」って思ってしまう。


自分にとって、会話の目的はそこじゃないので、すごくもやもやする。
じゃあ何が目的かって? それがはっきりしてるなら会話でこんなに苦労しねえよ。
あと、目的意識もちすぎるとそれはそれでぎこちなくなってつらいのです。
ただ、とりあえず会話をつなぐことは、手段であって、目的ではない。

実際、一番心地良い会話って、友達と部屋でだべりながら、
お互いに顔を合わせずにひとりごとみたいに語り合って、
友達もたいがいはあーとかうん、とか適当に聞き流してて、
時々興味持った時だけすごいくいついてくれるみたいな会話だったりする。

つまり、キャッチボールじゃない。
たいがいの弾はキャッチしなくていい、拾わなくていい。
興味があるやつだけ拾って投げ返す。その時全力でぶつけるつもりでも構わない。
ダラダラしてるけど、すごく気楽。そういうのが一番気持ちいい。


「キャッチボール」を意識しなければいけない会話は緊張する。
できるだけ落とさないように気をつけ、落としたら必死に拾いに行く。
投げるときも相手が受け取れるかどうか意識しながら投げる。
そんな風に気を使わないといけないのは、なにか目的がある時だけにしたい。

だから、どうしてもネットでいろんなところにシャボン玉飛ばす形式のほうが楽だ。
私は未だに中学生レベルのコミュニケーションから抜け出せてないのだろう。




あと、人によっては逆であることもあるんだろうけれど、
個人的にはキャッチボールと違って会話のほうがはるかに難易度が高いと思う。

だから、たとえとしてあまりしっくり来ない。


キャッチボールは自分にとってはとてもやりやすいルールになっていると思う。

①まず相手が正面でむかいあっている。360度見回す必要がない。
②自分の玉を受け取ることを目的にしてくれる。
③どこからどこまでの範囲だったら受け取ってくれるか視覚的につかめる。
④玉が投げやすい大きさで固定化されている。ハンデがない。
⑤投げ返すタイミングも、見ればわかる。自分が玉を持ってるときにその玉を投げればいい。



会話はそうじゃない。

相手の興味範囲、受け取ってくれる範囲がどのあたりかもわからないし、
そもそも相手が自分に興味持ってくれてないことが多い。

どのくらいの大きさの球だったら受け取れるのかもわからない。
基本的にでかい玉を受け取るのが苦手なくせに、自分はでかい玉を投げたがる。
自分は相手の話を長々と聞きたくないから「要はなんだよ」って思うくせに
自分の話は逐一説明したくてたまらない。
これではマッチング的にうまくいかない。

なにより悩ましいのが、タイミングだ。
相手の話についてどのタイミングで反応をはさめばいいのかわからない。
黙っていたらいつまでたっても、自分のところにボールはやってこない。
かといって、変なタイミングで話そうとすると、
ボールを持ってる相手を殴るのとそう変わらない野蛮な行為になってしまう。




「キャッチボール」を意識すればするほど、やりにくいと感じてしまうのだ。

それよりはキャッチボールの例えを使わずに、
「会話の目的」とか「この人と何を話したいのか」を素直に考えたほうがいい。


個人的に、キャッチボールの例えは全く使えない。
しかし、人と話すのが得意でない、という話をすると、必ずこの喩えを押し付けようとする人がいる。
なんだかそれがとてもめんどくさいなと感じてしまう、実は自分がめんどくさいだけの人間の愚痴でした。