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「共感できる=理解」という枠組みに縛られると、共感できるもの以外理解できなくなってしまう

「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明!(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュースはてなブックマーク - 「秋葉原事件」加藤智大被告が「黒子のバスケ」脅迫事件に見解表明!(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース

なんだかなー。




前半で、

「しっかり読む」だけで本当に全てを理解できるのでしょうか。香山氏も、仮にも精神科医であるなら、対象に寄り添い、当事者から学ぶ謙虚な態度で『解』を読んだはずなのに、それでも理解不能だったのでした。一方で、理解できた渡邊氏が香山氏とどこが違うのかといえば、本人の能力の高さもあるのでしょうが、一番大きいのは,事件に至る体験を有していることだと思います。貧乏人の苦労は金持ちにはわからず、金持ちの苦労は貧乏人にはわかりません。体験したことがない事柄については、どんなに言葉で説明されてもなかなか理解できないものです。

と書き、続けて

逆に、私も、おそらくは理解不能とされているであろう,渡邊氏の陳述の意味がわかってしまいました。誰かに依頼されたわけではありませんが、執筆意欲をかきたれられるものがありましたので、勝手に解釈を試みてみたいと思います。

と自信満々に語っている。(なお、私の見解が渡邊氏の考えと本当に一致しているかはわかりません。あくまでも私の意見です。)と付け足して入るが、本人は本当に「理解」できているつもりなのだろう


ところが、最終段になって、自分と渡邉氏の意見が異なる部分になると

それでも、渡邊氏は、出所後に自殺することを考えているようです。私としては、やや理解に苦しむところです。

と書き、そのあとは、アドバイスの体を取りつつ渡邉氏の考えを否定し、自分の考えを押し付ける形になっている。



他にも、

親の虐待行為を問題視するのは、事件を親のせいにしたいからではありません。私はうつ病などというものは存在しないという立場ですので、「被虐うつ」も認めませんが、虐待を含む親の不適切な言動の悪影響が子供に残ってしまうのは事実であり、それを指摘しているだけです

という記述があり、どうも、自分が気に入らないものは頑として受け付けないところがあるように見える。




「共感できる=理解できる=こいつは正しいことを言っている」が直結しすぎている

これってつまり、「自分が共感できるところ」を「理解できる」と認識しているだけで、
「自分と意見が違う」ところは理解できない、と受け取ってしまう思考の枠組みの持ち主じゃないかと思う。

傍から見ると、最初から他人の話を理解なんてするつもり無いタイプに見えるが、
実情としては「共感できる=理解できる=こいつは正しいことを言っている」が全部つながっちゃっているから
逆に「共感できない」=「理解できない」=「こいつの言ってることは間違っている」とつながってしまう、というところのような気がする。


実際、国語が、いやそれ以上に歴史が全く理解できない人って、この共感を頼りに作品を読むから、
登場人物が自分にわかりやすくて共感できるものでないとなんでもすぐに投げ出して否定するんだよね。。。



コミュニケーション能力の土台として「共感」と「理解」と「正しさ」の区別は最低限必要だと思う

「共感」することと「理解」の違いを理解すること。
「理解できること」と、「相手が正しいかどうか」の違いを理解すること。
「共感できなくたって、相手の言ってることを理解することはできる」という認識は大事だと思う。
「共感も理解もできなくても、相手の方が正しいこともありうる」という認識を持つことは、
「自分と違った考えを持つ他人から学ぶ」という学習を起動させるために必須じゃないだろうか。


何より、この認識がなければ、「自分と違った考えを持つ人を許容する」こと自体ができない。
そうなったら、将来自分と同類の人としかうまくやっていけない。

コミュニケーション能力って「相手を受け入れる力」と「ストレス耐性」さえ高ければ問題ないんじゃないかしら。
私はストレス耐性が異常に低いのでコミュニケーション能力皆無ですけどね!



共感=理解が強く結びつくとどうなってしまうのか

こういう思考の枠組みを突き詰めると、境界性パーソナリティ障害っぽいことになってしまう気がする。


・共感できることを言ってる人や、自分と同じ意見を言っている人を見かけると、
 自分の考えと、一から十まですべて一致しているものと思ってしまう。
 ちょっと同意しただけで、すごく馴れ馴れしくなったり、異性だったらすぐ惚れたりする。 

・自分と「同類」(仲間)か、「それ以外」(敵・外側)かでしか人を認識できない

結果として、下記の①と②の往復活動を延々と繰り返す。
①と②が切り替わるたびに記憶喪失になったんじゃないかというくらい態度が変わる。

①「同類」「仲間」に対しては自分のことはなんでも受け入れてくれるように勘違いしてしまうため、
 なにも説明しないで、いきなり突拍子もない要求を出したりする。
 そして、それが受け入れられないと急に態度が激変して敵・外側扱いするようになる。
  
②一方「敵」「外側」の人間には、一から十まで自分がなにをどう考えたか説明しないと気が済まない。
 そのうえで、相手が理解を示さない場合、強烈な敵意を持ったり見下しを始めたりする。
 そして、これについて相手が軽く同意を示しただけでも、仲間扱いし始める。

こういう感じで、グラデーションのない対人認識を持っているため、その時の気分や状況によって、天気のように態度が変わる。
「いわゆる普通の人」だと思って接していると混乱・疲弊させられることになる。


こういう人って結構いますよね。







余談。
加藤被告の文章、まるで誰かさんの文章を読んでいるような感じだった。
途中のロジックが、一見形としては筋は通っているが、
実は本人の中でしかつながってなくて、ひたすら強引かつ後付くさいところとか、すごくそれっぽい。

2ちゃんのつながりが切れた後、はてなに来れば、人気者になり、人とのつながりが出来たかもしれない。
そうすれば、あんな取り返しのない行為をしなくて済んだのではないか。

より良い別の選択肢がまだ残っているのに安易に事件という手段に訴えるから責められるのです。

・・・まぁ、他人に対して評価とか分析をするという行為自体が問題な気がするので、
「お前も加藤被告に対してみたいものしか見てない、共感できるところとそうでないところを切り分けてるだけだ」
ということになると思います