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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「左巻キ式ラストリゾート」巻末にある東浩紀の解説が面白かった

1990年代後半的な想像力の後にキたのは、新しいコンテンツ(想像力)ではなく、端的に新しいコミュニケーション(環境)である。そしてコミュニケーションの革新は、必ずしもコンテンツの革新を意味しない

2004年から2014年、それは文化史的には、環境のあまりの変化がむしろ想像力の変化を不必要にしてしまった、極めて異様な10年間だった。社会学の研究対象であっても批評的には重要ではない。大きな変化ではあるが、コンテンツには関係ない変化でもある。日本社会はいまは、新しいものを生み出すというよりは、古いものをいかに新しい環境の中で再利用するか、コンテンツのリサイクルのほうに関心を向けている。

つぎつぎと現れるプラットフォームが、オタクかオタクでないか、サブカルかサブカルでないかに関係なく、若者文化の全体を呑み込んでいき、文章もキャラクターもすべてがコミュニケーションのネタとしてのみ存在が許されるという、新しい視聴(消費)環境が生まれている。
環境の革新が、想像力の革新を圧倒し、塗りつぶす。その状況がよいものなのか悪いものなのか、また誰ほど長く続くものなのか、ぼくとしては判断できない

10年前は、新しい作家にとって最大の障害は、文学と文学の外を隔てる流通の壁だった。その壁はたしかにコミュニケーションの革新で潰れた。いま最大の障害は、人々のコンテンツへの無関心なのだ。

これに対して、自分が言うべきことが特に無いです。私はそのとおりだと思うけど、人によっては最後の「人々のコンテンツへの無関心」をどう捉えるか、あたりはひっかかるかも。

こういう話、私は評論の世界については全く知らないので私からしたら新鮮だったんですが、もしかしたら常識かもしれないですね。実際、東さん自身がいろんな参考文献を引きながら言及されているので、評論の世界では、評価はともかくこの認識は共有されているのではないかと思いますがどうなんでしょう。


















以下余談。

私は残念ながら90年代後半からすでにオタクだった人ではなく、コンテンツ(想像力)が革新されていったと言われるエヴァ以降とかそういうのをリアルタイムで体験していない。だから「コンテンツに革新が起こり続けていた時期」という感覚自体がそもそもわからないです。もしその当時にオタクだったとしても認識できたとは思えないけど。


私は大学に入学するまでオタクとは無縁で、アニメはおろかマンガすら読んだことがない人間だった。 オタク系コンテンツに触れ始めたのは、東浩紀がコンテンツの革新が止まり、代わりに消費環境が変わり始めた、と主張する2003年くらいからだ。 大学時代はほとんどコンシューマーゲームRPGや、マンガ・ergの方ばかりやっており、アニメに初めて触れたのはerg原作者がシナリオを担当した「Angel Beats!」からだ。


その頃はすでにゲームでもergでもマンガでも今でも評価されている「名作」が山のように有り、それを消費するのに一生懸命だった。そういうちょっと古いコンテンツと格闘している間は、最前線で何が生み出されているかとかは気にならない興味の関心外である。長い間、私は過去とばかり格闘していて現在の変化なんて全く感じることはなかった。「新しい、画期的な作品が登場してない!」なんて話に気づいたのは2009年くらいからじゃないだろうか。



でも、私がしらなかっただけで、実際はもう2004年くらいからそういう話されてたんだな―というのは面白かった。そして、その間何の変化も起きてなかったわけじゃなくて、別の変化が起きており、その変化が大きすぎて、コンテンツのありかたもその変化にひっぱられていった、なんて考えは当時絶対持ってなかった。ただ、何も考えてなかったけど、上にかかれているように自分も2008年か2009年ころにはほとんどergをやらなくなってアニメ見るようになり、2011年位からはtwitterで簡単な感想をつぶやくようになり、今に至ってるわけで、それだけ環境の変化による影響というのは大きいんだな、と思う。


今から考えると、「ソーシャルゲーム隆盛」だの「ラノベへの移行」だの「アニメ全盛期」だのいう話は、環境の変化によってコミュニケーションのあり方が変わったのだ、みたいな話は当たり前かもしれないけれど、自分は無意識のままに流されてただけなので、こういう変化をあらためてまとめてもらって、非常に面白かった。



ただ、ergプレイヤーやってたものとしては、今のアニメコンテンツの消費速度はホント異常に早いなとは思う。ergやっていた時は、「1週間に1作品」とか、大作になると「1ヶ月に1作品」くらいの消費速度だった。その間は、その作品にずっと拘束される代わりに、その作品のことばかり考えて過ごすから作品に愛着湧いてくる。当時からブログをやっていたけれど、1つの作品に10個位の感想記事を書くとかザラだった。作品終わった後もあれこれと作品のテーマやら個々の登場人物について考えたりとかしていた。はじめて「AngelBeats!」でアニメを見た時は毎回2記事ずつくらい感想記事書いてて、他の人の感想も見に行ってて、こういうのがあたりまえだよなーとか思ってた。


でも、今じゃ、毎日違う作品のアニメをとっかえひっかえ見るようになって、感想もtwitterで適当に2~3つぶやくだけ。その時その時で楽しめればOKくらいになってる。仕事の都合で1週間まるまる見れない時があっても、特に問題を感じずに次の回をみたりしてる。就職活動で1日2~3社受けても、ろくにその会社のことがわからないように、今自分はアニメのことを理解できないと思うし、そういうこちらの事情にあわせてわかりやすいアニメが多いとかあるかも。

昔よりたくさんの作品を楽しめるようになったのはいいけど、どっちのほうが楽しかったのかとかは分からない。自分が今20歳とかだったら、絶対今のほうがいいって思うんだろうけど。結局体力と時間の問題なのかな。






さらに余談として「左巻キ式ラストリゾート」という作品の感想(あまりやる気が無い)この作品はゼロ年代のオタク作品、特に美少女ゲーム作品をネタにしたメタフィクションです。東浩紀がメチャクチャ簡潔にまとめてくれてるのでこれまた引用するとこういう作品です。

性と暴力に満ちていながら、思弁的で難解っぽい会話も交わされ、美少女と探偵が登場し、主要な事件はすべてセカイ系を思わせる閉鎖空間で閉じ、ギミックは近接ジャンルからのポストモダン的な引用で満ちていて、おまけに全体が一種の二次創作であり、最後はなんとなく「泣ける」というこの構造は、のちに批評家たちにゼロ年代に特有だと言われるほぼすべての特徴を網羅している。

ほんまこれ。今後は「私ゼロ年代の作品って全然しらんのやけどどんなん?」って言われたらとりあえずこれ読ませてみればいいんじゃないでしょうか。自己責任でお願いします。


いろいろ懐かしい要素てんこ盛りで個人的には楽しめました。2004年~2008年頃のerg作品プレイしたことがある人とだったらこの本をさかなにいろいろ語り合えると思います。逆に言うと、元ネタがわからないと全く楽しめません。そういうのを知らない人からしたら、多分読んでもそんなに面白く無いと思います。私もところどころネタがわからず、特に謎解きにつかう暗号が当時のオタク知識がないと解けない仕組みになってるのはかなりきつかった。

私なりにこの作品のストーリーを一言でまとめると

銀の手は消えない!

だと思いますが、このネタがわかる人だったら楽しめると思うのでおすすめしておきます。そうでない人は回れ右ー。