頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「消化」と「昇華」に同じ音がなぜか割り当てられてる日本語って不思議だなーという話

他にもお勧めの同音で意味もなんとなく通じるものがあるなーって思う言葉たくさんあるよね。おすすめのものとかありますか?ちなみに人材と人罪と人在と人財みたいな、特に意味のないこじつけはお呼びではないです。こういうのをドヤ顔でやってる人は滅びてほしいです。

以上。後は全部余談です。

















「男は自分の過去を語りたがる、女の子は自分の未来を知りたがる」という話を読んで

石田純一 若い女子にモテる秘けつとは 男は過去をしゃべりたがるが… - ネタりか

石田は「男がしゃべることは過去の話が多い。
自慢話、武勇伝、それから説教、自分の経験」

と男性が陥りがちな失敗を指摘。
その上で

「確かにそれもいいんですけど、若い女の子はそこにほとんど興味はない。
女の子は自分の将来に関心がある。
目の前のクソオヤジの過去ではなく、自分の将来。
だったらそこにフォーカスあてたほうがずれてない」
と柔らかな口調ながら自信を持って語った。


この話結構普遍的なのかな、と思ってググってみたら他にも同じような記事があったので、多分これすごく大事なんでしょう。

「この人と一緒にいると未来が楽しそうだな」と思わせられるかどうかって、けっこうモテの秘訣かもしれないな〜と思いました。ユーモアのセンスもあるんでしょうかね。その真逆にいるのが「過去の自分の正当性」ばかり主張する男性で、「俺は間違っていない」ばかり言われても、ふ〜んそうですか、で、この先どうするの、どうなるの、に対する回答がないと、この人と一緒にいても無駄だねって思っちゃう

過去の話をいつまでもgdgdと繰り返してしまうのは、やはりいつまでたっても消化不良だからなんでしょうね。

そこからなぜか「消化と昇華」の話になって

ところで、消化というのは内側で延々と向き合って克服しようとやるような行為をイメージしますね。延々と自分のトラウマと向き合いつづけるのってよく知らないけどフロイトっぽいですね。こう書くとフロイトって「嫌いなものでも食べれるようにならないとだめでしょ」っていいながらひたすらニンジンとかピーマン食べさせようとするカーチャンみたいなイメージになりそうですが多分全然違うので土下座しておきます。

もちろん過去の話もしますけど、成功も失敗も、面白おかしく、聞いてるこちらがアハハと笑える話にまで昇華できているものしかしない。基本的にいつも未来を見ていて、こんなことがしたい、こうなったら楽しい!をポンポン出してくれて、こちらもそれに乗っかって色んな話をしているだけでワクワクしてくる

これについて昇華という言葉にすると、「無理に嫌いな人参を今すぐここでのみこめるようにならなくていいじゃん。そのうち好きになる時も来るかもしれないから人参はその時にたっぷり味わおうぜ。人参食べれるようになるまで他のものを我慢するなんてもったいないじゃん。それよりどんどんおいしいもん食べていこうぜ」って言ってくれるような感じになるのかな。 なんだかアドラーさんっぽいですね。アドラーさんが急にイケメンに見えてきたけど妄想なのでお薬の時間ですね。



・・・んー。これだとあかん。自分が持っていきたい結論に都合よく誘導しようとしてる。
わたし本当に比喩が苦手なんですよ。イメージ力が足りない。


さらになぜか「ブログで読みたい人」と「現実で付き合いたい人」のズレについて考えてみたりして

というわけで、ここからは強引に結論に誘導していく話ですので話半分に。

イメージだけの話で語ると、私は結構「無理にでも今すぐここで食べれるようになろうとする人」にむしろひかれてしまう。

イメージによる美化を外して現物を見てみれば、ただ過去についてgdgdしてたり、同じところをぐるぐる回っていてあまり生産的ではない愚か者にすぎない。嫌いなものなのに、むしろ嫌いなものだからこそそれを手放せずに後生大事に抱え持ってる、なんてのはただの自己満足であって、無意味だし価値がないかもしれない。そもそも自分のことにばかり執着してるのって視野がせますぎるし、心にゆとりがなさすぎる。でもそういうギリギリな感じから生み出される自分語りってのがなぜか私はかなり好きだったりします。 
…ただまぁ、友達にはなりたくし、仕事では一緒になりたくないですね。同族嫌悪的なものなのかなんなのかはわかりません。ただ、そういう生き物がその執着を保ちながら生存できる場所はあってほしいな、と思うのです。あ、それがはてなか。



逆に、夢や将来について語れる人って、一緒にいて楽しいなとは思うし、一緒に仕事したり友達としてリアルに付き合うなら絶対こっち。
ただ、私の中では、その人本人とその人が語る夢って切り離されてしまうんですよ。だって、まず自分の嫌な部分とかつらい思い出を切り離せるわけでしょう?だったら光の部分もそうじゃないのってついつい思ってしまうんですよ。
実際は、光と闇を並べて光を自分の意思で選べる強い人かもしれないのに、闇の部分を制御できるくらい理性の高い人ってことかもしれないのに、私の中ではどうしても「どちらか片方だけを選ぶ」ことができないという固定観念があるんだと思います。

「相手にとっての」「未来の話」ができる人は確実に「おもてなし」の心が強いと思います。本当は暗い部分があったりするかもしれないのにそういう部分を覆いながら、明るい部分で人と付き合える人には間違いなく心に余裕がある。そりゃ「人」としてはそちらと一緒にいたいと思うし憧れます。ただこうなんというか…私は一体何が不満なんだ・・・わからん。結論に誘導できてねー。


最後は洲崎西

ところで最近【洲崎西】がマイブームなんですが、この番組聞いてると、さっきまで書いてた光と闇みたいな区別なんてすべて無意味なものに感じられてくる今日この頃です。 DISであろうが殴り合いであろうが心の闇であろうが、この番組ではすべて楽しい会話になってしまいます。別に私だって鬱鬱していたいわけじゃないので、この人たちを見習っていきたいなーとは思ってるんだ。本当だよ。

私は別にそうたいした悩みがあるわけではないので、なんだかんだいって割とお手軽に癒されます。きんいろモザイクとかゆゆ式とかガールズ&パンツァーのボーカル曲とか聞いてるだけで幸せになれます。やったね!