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メディアをイチからつくり上げる人について

最近プレジ○ント・オンラインというメディアががベビーカー問題に関するすごいクソ偏見記事を堂々と載せて話題になっていました。これについて個人的には、記事の内容よりも「ウェブメディアだと、プレジデントみたいな比較的金持ち向けの雑誌でもこういうクソみたいな記事でPV稼ぐようになるのか…」ということにげんなりしてしまいました。

しかし、そのクソ記事についての言及で「この雑誌編集はナタリーを見習え」的なコメントとともに紹介されていた

という本を読んで少し癒やされました。

月間3000万強のPVと90万人のTwitterフォロワーをもつ、ポップカルチャーのニュースサイト「ナタリー」。大ヒット映画『モテキ』の舞台にもなるなど、カルチャーファンからの認知は絶大だが、ただ閲覧者が多いのみならず、「ナタリー、ありがとう! 」と単なるニュースサイトの枠を超えて「愛され」ている稀有な存在でもある。星の数ほどあるメディアの中で、なぜナタリーだけがここまでの「共感」を勝ち得たのか?

内容については、このあたりの記事がもっとも簡潔にまとまってます。

「ナタリーってこうなってたのか」にみる真っ当なメディア運営4つのポイント | The Startup

1:批評はしない。全部やる
2:あらゆる情報をフラットに扱う
3:みっともないことはしない
4:人を動かす飽和点を意識

「ナタリー」と『rockin’on』は似ている ~2つの音楽メディアから、批評性を考える~ - 音楽レビュー : CINRA.NET

正確な題材をとにかく大量に提供するという行為
「批評をする(読む)」「その一部を」という書き手 / 受け手にとっての必要不可欠なアクセスポイントになってきた。

メディアをイチから作り上げる人は、いつの時代も、何かを、ではなくて、全部を包み込んで、こちらを誘惑してくるものなのだ

4について「飽和点」を見つけるというとセンスの問題かとおもいきや、意外と地味な取り組みによってそれが支えられていることとか、1~3について、これを貫いて差別化に成功することが口で言うほど簡単ではないこと、などの話が非常に面白かったです。つまり"なぜみんなPVが欲しくなるとついつい「批評」や「偏った自己主張」に走ってしまうのか問題"について、この本は裏返し的に答えを示してくれていると思います。

このあたりは是非本を読んでる人と内容共有してみたいところです。








余談1 コミックナタリー使ってみようかな

そういえば、かつて某ハっ○ルさんがこんな感じのことを言ってました。

「大量消費時代にはよい音楽を歌を聞いている、知っていることがステータスであった。
 音楽そのものが欲されていた。聞くことだけが音楽の目的だった。

 しかし今は音楽はそれ以上の様々なものを要求されるようになってきている。
 たとえば誰もが知ってる歌でも、それを仲間内で上手に歌えることが大事なのだ。
 あるいは歌ってみたり、演奏したり、アレンジしてより自分向けにしたいのだ。
 歌い手のことを知ったり、ファングループを作ったり、ライブに行ったりしてより身近に感じたいのだ。

 音楽に関するニーズは高度化、多様化しているのだ。
 音楽は一方的に受け取るものではなくなり、再び個々人が自分の好みにあわせて楽しむものになりつつある。 
 音楽そのものをパッケージ化して売る時代は終わりに近づいている。
 一人ひとりのユーザーが求める音楽を提供できる形に近づけていかなければならない」


そのための方策の一つが、ナタリーがゆっくり積み重ねてきた道のりなのでしょう。
音楽批評はしない!? ナタリーが読者に愛される理由とは? | ダ・ヴィンチニュース

昔の音楽雑誌ではライターが自身の経験を交えて音楽をアツく語るさまが見られたが、ナタリーではライターの自己表現はない。必要なのは、情報だけ。感想や見解はニュースを読んだ読者が、SNSやリアルの場で披露してくれれば良い。大山氏は、多くの人にとって必要のない情報も含め、ありとあらゆる情報が洪水のように流れ込んでくる場を作りたいと考えている。

多くの情報を届けたい。ファンの求めるものを届けたい。

こうやって、情報を大量に提供することによって、
・それぞれの分野のファン一人ひとりが、
・自分が好きなものについて
・自分なりにより深い楽しみ方を見つけていく

その手助けをしていくような感じだと思います。
何かしらある程度好きでないと使いにくそうですが、とりあえず「コミックナタリー」から使い始めてみようかなと思います。




余談2 ニュースサイト

はてなも本来そういう場所だったと思います。
今は日常雑感ブログの割合が少し高過ぎるような感じですが、もう少し前には

・なによりもまず情報が大量にピックアップされ、
・それによって個々人が自分の興味のある話題について積極的に言及し
・そこからさらに有機的に議論が結びつき、盛り上がっていく

ようなイメージだったのではないだろか。

別に昔はよかった議論をするつもりは無いけれど、
とにかく「まず論じるべき情報がたくさん出回っている場」という空気は今だいぶ後退しているかな、と。


多分これは「ニュースサイトの衰退」とも大いに影響があると思う。
もし以前のはてなが私のイメージのような場であったとしたら、
それは、ニュースを伝えるサイトと、それを元に論じたい人と、論じる場を提供するはてな
うまい感じで噛み合っていた時期がいっときあったというだけで、今はそうじゃないというだけのことでしょう。

もうみんな、ニュースそのものを追いかけることはあんまり興味がなくなっていて、
個々人が自分のプライベートから語るネタを持ち寄って「語り手」として振る舞う場になっているような気がする。


それはそれで面白いのだけれど、私とは合わなくなってきてるかなとは感じてます。
私はあんまり「人そのもの」には興味が持てないし、自分自身を語りたいという欲求も薄く、
何かネタを経由しないと何も喋れないし、人とつながれない人間なのです。
私なんかは多分この後はてなからは徐々にフェイドアウトしていくんじゃないかなとかぼんやり思ってます。





余談3 ハッ○ルブロマガについて

んで、ハッ○ルさんがブロマガで目指していた方向は本来こういう路線だったように思うんですよね。

「自己主張」を抑えつつ、考えるための素材を淡々と提供し続け、ユーザーに考える楽しさを提供する。
そんなだれでも読めて、それでいて、個々人が自分の好きなように使えるようなメディア。

ところが、まぁ実際はどうなったかというと

・自己主張がやたら強い
・扱う素材はありきたりで、それをハックルさん独自の変な視点で味付けしようとする
・独特の自己主張や論理が「人を選ぶ」し、さんざんいろんな人への批判や悪口が入るので
 「書き手の個性に合わせられる人だけが読める」ような内容になっている。
・作者の個性が気に入らなければ、臭みが強すぎてとても読めない。

つまり、完全にハックルさんファンクラブになってしまった。これだとちょっとね…。

こっちの方向で成功してるのはやはり

マインドマップ的読書感想文(ビジネス書紹介ブログ)
・ビジネス発想源(メルマガ)

と言った方向になるんじゃないかな、と思います。