この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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Chikirinさんの世代論がすげえ面白いと同時に絶望感はんぱない

前の記事書くためにChikirinの日記の過去ログを巡回していたんですが、ちきりんさんも昔は結構世代論書かれてますね。

面白かったのでまとめてみました。
他にも世代論と言えなくもないものはたくさんありましたが、純粋に世代論として意識して書かれているものだけを選んでます。

読んでみて、世代論においては、圧倒的に中高年が有利で、若者には絶望しか無いんちゃうか、と感じました。
少なくとも「上の世代と戦って打倒する」とか「批判して上の世代の取り組みを変えさせる」という発想だと絶望しかないように感じます。

いわゆる年長者を「老害」呼ばわりするアプローチは、気分は良いかもしれませんが、不毛でしか無い。そうではなく、状況を正しく認識して、自分なりの生存戦略を立てていかんとほんとに詰む、という危機感を持ちたいところです。

まずライトなやつ

“昔の若いモン”は・・ - Chikirinの日記

この件に限らず、「最近の若者論」の裏側には常に「昔の若者論」があるというお話でした。


どっちが正しいか - Chikirinの日記

人生の新米の人達へ:人生の先達が、勉強や仕事などについて何かもっともらしいことを言ってきても、おそらくそれらはあなたの人生には関係がありません。でも、人として、人との関わりにおいて、こうなのだ、という話があれば、それには謙虚に耳を傾けましょう。ずっと後から、あなたもそのことがわかるでしょう。


人生で得たものの返し方 - Chikirinの日記

大学で教える側に立つとか、著者として若者に人生の学びを伝えるのは、確かに“格好のよい、自尊心やプライドを満たしてくれる、最も古典的な方法”でしょう。けれど時にそれは“ヒエラルキーを利用した説教の押し付け”になるし、学ぶ側のニーズより教えたい側の自己満足に沿ったものになりがちだと思う

で、ここからが本題。

老獪な中高年に対し、圧倒的に戦い方が稚拙な若者たち

若者達の分水嶺 - Chikirinの日記

巧妙に若者を追い込んでいった過去10年の中高年の巧みさに比べ、若者は圧倒的に未熟で“策を持たない”と思う。彼らの発するメッセージは50年前と同じなのだ。「搾取するな」「労働者に人間らしい生活と権利を!」そういってデモをするのは50年前の方法論だ。「悪いのは俺たちじゃなくて、おまえらだ!」と若者が叫び始めた。それが今年だった。それは重要な一歩だった。だけど、「だから、こうしてくれ。こうすべきだ。」という具体的で実効性のある“解”の提案が今はまだ全く存在しない。

絵を書くのが“中高年”であれば、それはまたしても“結局、自分たちに有利”なものになっていく。巧妙に、そういう方向に誘導されてしまうだろう。その力に、若者達は対抗できるのか?自分たちで絵を描くことができるのか?

この記事が書かれたのは7年前。これに対して2014年になって、未だに青二才の書いたような記事がヒットしていることに絶望すら感じる。

これは青二才および彼の記事が悪いということではない。彼の書いている記事は正しい現実認識である。ただ、実際の所、この7年の間に現実は若者にとって前進するどころかひたすらに後退し、戦いの規模も戦い方も、実にしょぼい事になってしまったのだと実感せざるを得ない*1からだ。

デフレが続いていた頃は「デフレが解消するまでどうしようもない」と言って自分たちをごまかすことも出来た。しかしもしそうならアベノミクスによって多少は改善するはずだったが、結果としては多少鍋の乱などが起きただけだ。しかもどちらかというとこの自体はインフレではなく少子高齢化問題や、消費の冷え込みというより深刻な問題の到来によってもたらされたとかんがえるべきだ。

多少ニコニコで食っていける人が登場したり、多少ブログで食っていける人が増えたり、多少起業する人が増えたりはしているかもしれないが、こうやって個々人が脱出することはあっても、中高年が若者を搾取するという構造は微塵も動いていない。それに対して若者は、現実で抗うすべを持たない。せいぜいネットで文句を言ってふぁぼを稼ぐか、アルバイトをボイコットする程度しか出来ないままである。江戸時代の川柳や狂言文化の盛り上がりを繰り返してるようなもので、活路が見えているわけではない。

この問題に関しては、私も「戦略を持たず各個撃破されていく若者側」に属しており、本当に打つ手がないまま今に至ってる感じだ。


ネットの声を力にするにはどうすればよいか?

これについてさらにちきりんさんはこう書いている。
ボタンを探せ - Chikirinの日記

ネット上では非常に多くの人がこういった問題意識を共有しているように思えます。それなのに、なぜ何も変わらないのでしょう?なぜ、現実はこんなにも強固なのでしょう?

そうですね。twitter動員革命とは何だったのか。津田さん。



これからのコミュニティの話をしよう

若者の進路についての1つのアイデアとして「現代人が求めているコミュニティの姿」という記事を書かれています。
これは、TM2501さんが書かれていた記事を発展させたような形となっていると思います。これ書いたの5年前って、すごいなー。

解体の希求、結合の希求 - Chikirinの日記

現代人が「逃げ出したい」と思った伝統的な共同体と、時間やお金を投資してまでも「手に入れたい」「入りたい」と思っている共同体は何が違うのでしょう?

長く続くコミュニティの多くは、下記の2種類のいずれかの場合が多いように思われます。
(1)フリーライダー(ただ乗りする人)が混ざり込まない、ごく少数の間だけは成立するケース。(コミュニティの規模が大きくなると崩壊してしまう。)
(2)コミュニティの維持運営に相当の役割を担う「コミュニティリーダー」が仕事の大半を担ってくれる「個人主催コミュニティ」のケース。多くの場合、そうすることに商業的なメリットがある人がその役割を引き受ける。
本来は、すべての人が「テイクより少し多めにギブする」というのが共同体が成り立つ条件ですが、実際には多くの人が「ギブよりテイクの方が少しでも多いなら参加したい」と考えるため、多くのコミュニティの寿命はとても短いものになってしまうのです。

2010年以降のちきりんさん

この後の日記を見ると、ちきりんさんは「世代全体を救うことは不可能」と考え、「世界を変えるのは個人」という記事や「優秀な人間だけでも救う」という記事を書かれています。「WORK SHIFT」という本を強く推奨されてましたが、これもかなり能力がある人の世界ですよね。

このあたりから、どうも、「能力や意欲のある人たち」だけに呼びかけるようになっている気がします。多分、最初はちきりんさんも若者全体に期待していたのでしょう。でも多分今はもう期待してないと思う。

今は期待できる人だけ期待し、応援する。そういう人を通じてその気になる人をちょっとでも増やす、という考えのように見えます。このあたり、堀江さんとの対談においては極端に態度の違いが感じられますね。

第3回[ちきりん×堀江貴文 対談](前編)伝わらない悔しさを乗り越えて|堀江貴文のゼロ──なにもない自分に小さなイチを足していく|ダイヤモンド・オンライン

これって、ちょっぴり切ないですね。

まぁ「ちきりんなんぞに期待されても嬉しくないわ!」っていう人が多いのでしょうが。私は若者全体がよりよい戦い方を見いだせないもんかなーと今でもちょっと思ってます。

*1:そう、「承認欲求が強い」とか弱いとか、そういうところで個別に文句を言ったところでどうにもならない(意味が無いとは言ってない)だが、そこで「俺達はこれでいいんだ」と開き直る姿は、古市氏が「絶望の国の幸せな若者たち」で描いたような、ごく一部の偏った若者像をなぞっているにすぎない。それって、もう完全に「家畜の安寧虚偽の繁栄」状態よね。古市氏をDISり、進撃の巨人をDISっていた青二才さんとしてはそれでいいの?本当に?