この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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対人関係療法でなおす 双極性障害

双極性障害は一生にわたって付き合っていかなければならない病です。とはいえ、治らないからと言って放置してよいものではありません。放置すればするほど本人の状態のみならず、周囲の状況も悪化していきます。ますます治療が困難になります。

しかし、それがわかっていても、

双極性障害であることを受け入れて
双極性障害の治療を開始し
双極性障害の治療を継続し
双極性障害の治療のための環境を整えること

は非常に難しいです。



その理由について下記の本の内容を元に簡単に説明してみます。


双極性障害の治療の基本的なプロセス

まだまだわからないことは多いのですが(特に薬物治療について)ある程度治療のプロセスは確立されています。

薬物療法・精神療法・心理教育などを組み合わせて

・Ⅰ型の場合は薬物療法が必須+対人関係・社会リズム療法(IPSRT)
・Ⅱ型の場合は薬物療法を推奨+対人関係・社会リズム療法(IPSRT)

という形が推奨されています。

対人関係療法は

・状態を正しく評価すること
・病気についての十分な教育を行うこと
・社会リズムの安定化
・対人関係問題の解決

の4つの要素から成り立っており、これらを着実にこなせば状態が改善されます。しかし、言葉でいうのは簡単ですが、これらのプロセスを実際にこなすのはめちゃくちゃ大変です。というより、まず本当に「双極性障害を受け入れること」そのものが困難なのです。


双極性障害を受け入れるのが難しい理由その1

しかし、そもそも双極性障害に陥る原因は、

・自分の状態を正しく評価することが困難(他者の評価を気にしすぎて客観的な評価を受け入れられない)
・たとえ病気であったとしても普通通りにできない自分に感じる劣等感や罪悪感
・残業が多かったりシフト制だったりでリズムを一定に保ちにくい仕事環境
・ストレスがおおい環境や人間関係、認知のゆがみなど

といったものであることが多く、受け入れたところでその困難な状況を変えることは難しく、むしろそれを受け入れると、こういった「問題」を一つ一つ解決していかなければならないと考えてしまいます。ただでさえつらい状態なのに、これを受け入れる余裕を持つことは一人ではかなり困難です。だから、己の状態を正しく評価し、理解することこそ拒否したい、と考えても仕方がない。



双極性障害を受け入れるのが難しい理由その2

また、個人の問題にしぼって考えても、自分が双極性障害であることを受け入れがたい理由が多くあります。

躁状態の自分こそが本当の自分だと思いたい

鬱状態における躁状態には(代償さえなければ)メリットがあり、優秀な自分、活力がある自分という良い気分を味わえます。そちらが本来の自分であると錯覚したくなり、この「(代償は大きいが)良い状態」を薬で抑えこんでしまうことや、本当の自分の基本状態がそういう躁状態の時ではないことを受け入れることへの抵抗は非常に強いです。


②種々の行動の制約・コストがつきまとい、いろんなものを我慢したり諦めたりしなければいけない

双極性障害の人は非常に変化に弱いです。ちょっとした刺激でもすぐに躁状態になります。かといって、躁状態の反動を恐れてあらゆる刺激をさけていても結局鬱状態になります。刺激が強すぎず弱すぎず、かつ常に一定に保たれた生活リズムを常に管理し続けなければいけない。
常に自分を厳しく管理し続けなければいけない。

これは双極性障害ではないいわゆる健常者でも難しいことですが、さらに双極性障害の人の場合は薬などの副作用や、気分による変調といったものに対処しながら普通の人でも難しい節制状態を続けていかなければいけません。しかも、治療のための薬代もバカになりません。

しかも、ここまでがんばって継続していても、ふと気を抜いてしまったり、自分にとってやむを得ない周りの状況によって強いストレスを受けるとまた振出しに戻ったりしてしまうわけです。ある程度安定してきたと思った時に調子に乗って躁状態に入ってしまい、その後反動の鬱状態に落ち込んだ時の罪悪感や絶望感は半端なく、非常に危険です。


健常状態でもダイエットがなかなかうまくいかない人がいる中、毎日が綱渡りのような感覚を一生続けていかなくてはいけない。こう言われてげんなりしない人がいるでしょうか。たとえよくないとわかっていても、躁状態にまかせて毎日twitterで刺激的なことを書き散らかしたり、徹夜してフリーゲームをしたり悪化してもそれを責めることは難しいと思います。*1


③対人関係がすでにボロボロになっていることが多く、改善する意欲が持てない

双極性Ⅰ型の人の躁状態がひどい時は、たいていまわりの人に迷惑をかけたり、あきれさせるような行動をとります。*2

・自分は偉い、自分はすごいという気持ちがたかまり時に暴力的なふるまいをする
・あまり眠らなくても三時間程度の睡眠でも十分休んだと感じ、
・普段よりも多弁になったり、考えがいろんなところに飛びながらまくしたてる
複数の考えが頭の中で競い合うような状態になり、幻覚や妄想を伴うことも多々ある
・まずい結果になる可能性が高い快楽的活動に熱中する。たとえば異常な浪費・性的逸脱・分別のない投資など

とにかく異常だと一目で分かる状態が続きます。まわりの人は双極性障害のことは知らない人が多いだろうし、知っていても迷惑であることに違いはありません。親子ですら(むしろ親子であるからこそ?)関係が破たんすることが多いのに、他人でそういう状態に付き合ってくれる人がいないことは多々あります。だからかもしれませんが、双極性障害に限らず「メンヘラ」と呼ばれる人たちはネットで熱心に自己アピールをすることが多い気がしますね。(これは承認欲求よりももっと深い次元の問題だと思っており、別の言葉が欲しいところ)


躁状態はともかく、本当にきつい鬱状態に対して理解を得られない

躁状態は見ればわかる状態のため、少なくともそういう状態だと理解はしてもらえます。むしろ、周りの人は、躁状態の方が問題なのでこちらを深刻だと認識します。一方、動きが目立たない鬱状態についてはあまり興味を持ってもらえないときが多いです。「まぁあいつの迷惑な躁状態が収まってよかった」「ずっと鬱状態だとこっちは楽なのにな」程度の認識しかない人も多いと思います。

しかし、双極性障害者にとっては躁状態はむしろ気持ちがいいくらいなのですが、鬱状態のときこそつらいのです。実際は躁鬱状態は周期性のものなので、鬱状態にも終わりは来るのですが実際に鬱状態だと、いつまでも終わりがこない深い苦しみに押しつぶされるような感覚に悩まされます。イライラして人に対してきつく当たることもあります。ところが、これは周囲の人から見てもよく分からないのです。この「鬱状態で苦しい本人」と「躁状態よりはましだと考える周囲」のギャップが対人関係ゆがめることがあります。

さらにいうと、躁状態のときやたらと元気で態度もでかかったりするものだから、周囲はそのギャップを正しく受け止められません。鬱状態で無力な状態になっている時に周囲の人はついつい「がんばれ がんばれ 」と励ましてしまったりします。励ますだけならまだましで「同情を引いてるだけでは?」「これが承認欲求か」「いつもの調子はどうした」「もともと怠け者なのでは?」「性格が悪くなった」「可愛そうだとは思えない」「自業自得だ」などいろいろ無理解なメッセージが飛んできたりします。

ただでさえ厳しい状態で、対人関係にトラブルを抱えているとますます追い込まれていきますし、その際に理解のない周囲への恨みが募って、「もう誰も信じられない」ほむらちゃんみたいな孤立状態になってしまいます。そうやって孤立化していくとなおつらいことになるとわかっていても、苦しい時に無理解な言葉をぶつけられるというのは、孤独以上につらいものなのですよ。



⑤いざ治療を決意して薬物療法を始めてもなかなか合わないことがある
特に抗うつ剤は副作用が強く、「躁転」や「体調の異常」が起きるリスクがあり、容量や用法が難しいです。さらに長く使っていると躁鬱が入れ替わるタイミングが短くなる「急速交代化」が起こるケースがあります。頼りにしている薬がなかなか効かないということの不安は筆舌に尽くしがたいものがあります。

頭やお腹が痛い時に「この薬飲んでもきくかどうかわからないよ。ただし副作用は確実にあるよ」と言われて飲みたいでしょうか。それでも飲まざるを得ない。そして飲んだら聞かなかったうえに副作用に苦しめられる。「これだったら薬自体のまないほうがましなのではないか」そう思いたくなる時もあると思います。



双極性障害を受け入れるのが難しい理由その3 「実質的には一度今までの自分の死を受け入れるようなもの」

この問題については別の記事で書きたいと思います。





こうした状態から治療を開始するためには、強い目的意識や、幸福への希求が必要になります。平凡かもしれないけれど、淡々とつづく日常を愛する気持ちが必要になると思います。そういう話もできたらいいなと思いますが、自分には難しいかもしれない…。


余談。マイフェイバリットツンデレキャラ沢崎うたはさんの台詞です。

「幸福に生きて見せるぞ!」という意志力 - この夜が明けるまであと百万の祈り

控えめ…か。
…本当は、私は極度のあがり症だから、なるべく目立たないようにしてるだけなのにな。
幼いころには遊にさんざんからかわれたこのあがり症だが、今は半ばあきらめているのだった。
一時期は自分なりに解決法を調べてみたけれど、あがり症というのは簡単には治らないみたいだから。

だから、うたははこのあがり症を、ありのまま動じずに受け入れることにした。
あがり症を治すことはできない。だけど、たとえそれが不治の病であっても、上手くつきあうことはできる。

糖尿病みたいなものかな?とうたはは思う。
病気そのものは治らないけど、発症は抑えられる。私のあがり症はそんな感じ。

だから私は何事も目立たず、控えめに生きてゆく…
クラスでも変に波風は立てない。宿題だって言われればすぐに見せてあげる。
私はただ淡々と、だけど着実に日々を過ごして、少しでいいからそれを自分の糧にする。
それが私、沢崎うたはの生き方。
地味だけど、私の好きな生き方。
そうすることで、このあがり症とも仲良く出来る。
不治の病であっても、うまくつきあっていける……

だから私は今日のこの日もいつもと一緒、目立たつ控えめに過ごすだろう。
○○○○なんて関係ない。そんなことで私の日常は変わらない。○○○○なんかに私の日常を邪魔させない。
(中略)
私は、ホームルームが終わった後の十分だけの休憩時間で、予習を済ませられるだろう。だからこれから授業中に当てられようとも抜き打ちテストがあろうとも、動じず涼しい顔で受け入れる。
だから、私は今日もあがらずに過ごすんだ――――

*1:それでも私は殴ってるわけですが。この人でなし!

*2:ちなみに躁うつ病の報告がよくホッテントリしている青二才さんはブログでの報告を見る限りは軽躁の双極性障害Ⅱ型か、あれでもだいぶ躁状態は抑制されているほうだと思います。実をいうと、ものすごくがんばってるな、と褒めてあげたいくらい