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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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男女論というよりは生きづらさの根っこを考える本「モテたい理由」

過去記事リターンズ。

男女論としても充実してるとは思うけれど、個人的には男女論というよりは生きづらさの根っこを考える本というイメージです。

「世の中はこんなに陽気でテンション高いように見えるのに、なぜ自分は楽しくないし、生きづらいと感じるのだろう」って考えている人が読むとおもしろいかな、と。 

「いろんな基準や方向性が自分から離れた場所で決定され、それに対して納得がいかないのに異論を挟むことは許されず、適応できなければ負け組やオタクとして排除される。このおかしな社会のイメージはどこから来るのか?」を自分で問い直すきっかけにするといいんじゃないかな。

正直この本に書いてる内容すべてが正しいとは全く思わないけれど、読んでてたのしめました。



目次(一部)

①女の目から見た世界
 ・目的を無くしたモノの末路
 ・最後のフロンティア
 ・「モテ」とはなんなのか?

②獰猛な恋愛資本主義
 ・女の鏡像、その名はオタク
 ・恋愛資本主義の仮想敵
 ・2つのマイノリティ派閥
 ・「イメージ」に殺される
 ・真に受けたほうが悪い?

③蔓延するライフスタイル語り
 ・むき出しの内面
 ・いつでも自分らしく
 ・極度のポジティブ・シンキング
 ・みんなで大本営発表
 ・結局同じなんだから
 ・私が決めるというプライド
 ・オス化するメス

④女子が生きるファンタジー
 ・他人探しから自分探しへ
 ・全てに恋愛が添加される
 ・キャラ設定あれこれ

⑤ライフスタイルの先祖たち
 ・他力の美質こそ羨ましい
 ・ベストセラーになった「愛される理由」
 ・ナチュラルな勘違い
 ・他人に承認してもらうこと
 ・「セレブ」が意味するもの

⑥男たちの受難
 ・ヤンキー兄弟とハンカチ王子
 ・お笑いがモテる理由
 ・抑圧された男性性
 ・戦う物語の不在

⑦女という水物相場
 ・案ずるより有無は難しいに決まってるだろう
 ・子供に託される夢
 ・女の人生の最大の要所とは
 ・産む性の変貌
 ・男の不在

終章 :「戦争とアメリカと私」



終章のみ引用(1~7章は気になったら自分で読んで)

・<私は大した準備もなく親にアメリカの学校にやられたことがある。この意味が長いことわからなかった。にも関わらず、私の大きな部分がこれによって決定された。自分の決定的な部分の意味が分からないというのは、人間にとってつらいことである。しかし思い出してみると痕跡だらけで、しかしみんなが隠していることなので、直接何の関係もないところにその抑圧された力は向かうのだ。その力を暗に明に受けて、私は育った。>


・人間は、自己を支える物語がなければ生きることが難しい。<戦争経験者が、私達が全面的に悪かった、と言い続けること。これをただの語りの類型としてみてみたい。すると心理的に以外なメリットがあるのに気づく。これはもっと安定した語りなのである。それより悪いことがないというのは、価値の下がりようがないからである。彼らは二度、人格の大きな上書きを受けた。もう書き換えられたくないのだ。>

→これ以上悪化しない物語を得て安心する、と言うのは「絶望の国の幸せな若者たち」と同じ論理のような気もするな。



・戦争は、日本の中で語られないままにあまり当然の存在になってしまい、透明になった。それゆえに外に出すことができない。他人ンと考えを共有すrこともできないし、違いを比べ考察することもできない。私達にとってのアメリカもまた然り。



・私は個人的な生きづらさを考えるうちに、意外なほど私の生活からは遠くて大きな原因に突き当たってしまった。それはまるで亡霊だった。私の親や祖父母は、大きな喪失について固く心を閉ざした。それを見えないように、他人や子世代に見せないように振舞った。しかし私はその影響を確かに受けた。極端な話でもなければ、辛いとさえ言えやしないということだ。 

→沈黙と言うより石原吉郎の言う「失語と沈黙のあいだ」の失語に近い印象



・<ある傷は、それ自体の真実に向き合わない限り癒えない(言えない)>ということだ。他のことで成功した所でダメなのだ。そういう視点から見ると、戦争経験者の話は昔の話と言うよりは今の話だった。無批判に語り継いで「あなた方の意思を継いで平和を守ります」とかいう決まり文句を返せるようなことではなく、むしろ「あなた方の頃から何も変わってなくてごめんなさい」と私たちは謝らなければならない。

締めの言葉

<心が何とか繕おうとした物語ではなく、身体がつないでいた記憶。そんな意味のなさに私は助けられていたのかもしれないと思うことがある。(中略)意味なんて要らなかった。ただの幸せというのは、ある>

とらドラ!の冒頭のセリフを思い出す。
<この世界の誰一人、見たことがないものがある。それは優しくて、とても甘い。たぶん、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。だからこそ、世界はそれを隠したのだ。そう簡単に手に入れられないように。だけどいつかは、誰かが見つける。手に入れるべきたった一人が、それをちゃんと見つけられる。そういうふうにできている。>


大きな物語や意味にとらわれすぎるな。自分の身体で幸せをつかめ、ということだと理解しておく。

理詰めで考える人からしたら敗北主義に見えるかも知れないけれど、とにかくだいじなのは「幸せ」ではなく「幸せだと感じられること」だ。君がいないことじゃなくて君がいないと思うことが悲しいのだ。