この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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スキミング戦略とペネトレーション戦略

ネット向けで簡単に言えば

前者は「高いコミュニケーションコストについてこれるやつだけを相手にする代わりに、相手すると決めた人には丁寧にコミュニケーションをとったりしっかりした価値を提供できるように心がける」

後者は「にわかでも炎上でもなんでもいいからとにかくバズりやすいネタを提供し続けてまずになることを目指す。フォロワーさえつけばこっちのもの。PVイズぱぅわー」ただし、ネットでは後者に置いて正当なコストやリスクを負担しない例が多発しておりレモン市場化に歯止めをかけることが難しい。

スキミング戦略では、PLC(プロダクトライフサイクル)の黎明期において、流行に敏感なイノベーター層(マニア、オタクとも呼ばれる)をターゲットとして、高めの価格設定で収益を獲得します。市場の先端からもぐり込むため、「上澄み戦略」とも呼ばれており、一般的には、短期的に高い利益率をあげることができると言われています。この戦略を採用する場合には、製品自体の市場認知度が低いため、単に価格を高くするだけでは売れず、テレビコマーシャルや雑誌広告など適切なマーケティング活動を並行して行うことが欠かせません。

一方、ペネトレーション戦略は利益よりも市場シェアを優先する考え方であり、イノベーターからアーリーアダプターはもちろん、フォロワーまで幅広い市場セグメントをターゲットとします。利益を当初抑えることで、早期に量産体制に入り、それによりコストの低下が図られ、時間がたつことにより、利益が最大化されます。競争プレイヤーが多いPLCの成長期において、低い販売価格で一気に市場を押さえますが、利益が出るまで時間がかかるため、大企業に向いた戦略といえます。ただし、スタートダッシュによってライバルを抑え込むことが可能になり、参入障壁を築きやすく、しばしば有効な戦略です。

http://www.educate.co.jp/2008-10-05-11-30-59/87-skimming-penetration-strategy.html

どっちか一方が正しいって訳でもなく、どちらもターゲットや手持ちのリソースにあわせてうまく使えば機能します。だからこそやれマーケティングリサーチだの昔から3CだのSWOTだの性格分析だのアクセス解析だのあれこれあれこれやってるんだと思う。













余談。

「極論」というのは条件を厳密に絞り込んではじめて成り立つわけで、一般論において「極論」をぶちまけるのは使い方が間違っているというかもうそれほとんどコミュニケーション拒否ですよね

上の話で、「どっちか一方が正しいって訳でもなく、どちらもターゲットや手持ちのリソースにあわせてうまく使えば機能します」ということは逆に言えば、あるときは大正義、みたいな方法論がさ、別の状況ではむしろ最悪だったりすることもあるってことです。

いつだって絶対的に正しい方法などないし、それに固執するのはリスク高すぎですよね。

だから、「どれがただしい方法か」と考えるから、特定のものに固執して他を否定しちゃうようなことをしてしまうわけで、「自分の目的はなにでなしとげたい成果はなにでそのために適した方法は何か」って言う風に考えれるようになりたいですね

みたいに話をすれば、そういうの当たり前だって言ってくれる人多いと思う。




にもかかわらず最近やたらと「自分の方法」だけが正しくて、それ以外の方法が正しくないかのような排外的な主張をする人よく見かけるんですよね。特定の「偏った主張を言い切る」のが格好いいと思ってるような印象を受ける。「こじらせ」だか「中二」だかしらないけれど、私はそういうの全然格好よいと思えない。

あげく「ただしい方法」を選びさえすれば上手くいく、みたいに考ええているのか、その方法の理論武装だけは立派だけれど実践の成果が全く見えない人がいます。「ぼくがかんがえたさいきょうの方法」を声高に語って成果物のレベル低かったらめっちゃダサいと思うんだけどな。教科書読むだけで東大いける学力が付くなら受験産業なんて存在しないしナンパ本読むだけでモテモテになるならこの世に非モテなんて存在しないでしょうに。

「極論をいうことはいいことだ」って思ってそうな勘違い発言してる人いるけど、「自分はいろんな選択肢のなかからこれを選ぶ」ということと「一つしか選択肢が見えてない」というのは全く違いますよね。炎上して「議論を喚起した」って思い込みたがってる人もよく見ますけど、「自分以外の意見を受け入れるUTSUWAがない」人に議論喚起してもらう必要なんかこれっぽっちもないです。

「特定の状況において、目的を達成するために決断する」というための手段として極論があるのであって、極論を言うこと自体が目的の人は要らないです。


普段から一般論において「極論」をぶちまけてる人いますが、使い方が間違っているというかもうそれほとんどコミュニケーション拒否ですよね、としか言いようが無いです。そのことに自覚が無く、他人からコミュニケーションを実質的に拒絶しながら「他の人がいいにくいことをいってるオレ格好いい」とか思ってる人を見たらさすがにイラッとします。