頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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ハイキュー!13巻  意識だけが高くても技術が伴わないと本気の遊びにはならない

ハイキュー!10巻について
「下手なままじゃ、楽しみきることは難しい」
 =「上手になれば、何か壁超えれば楽しいと思えるかもしれない」
という話を引用したけれど、これも似たような話。


最近「どうすれば今の仕事を楽しめるか」が自分の中の悩みなのです。
何も考えずに全力でぶつかってみる、みたいなアプローチが苦手なので、
自分なりに全力を出すために、なにかしらの納得が欲しいんですよね……。






なぜか「楽しむ」っていう言葉を
無理やりテンション高めるとか、バカっぽく振る舞うとか、
そういうことと結びつけちゃう人がいる。

違う、そうじゃない。

気合とテンションだけで何とかしようとしすぎ。
劣勢でも不調でも楽しむ? そんな奴が居るとしたら変人か変態よ。

劣勢だったり不調だったりした時でも
「楽しまなきゃいけない」「ニコニコしてなきゃいけない」なんてことにしちゃいけない。
そういうのは逆に息苦しいし、気持ち悪い。

なんでもかんでも楽しいってことにしようってことにするのはただの思考停止だ。

上手く言ってない時は、楽しくない。
下手くそで思ったような成果が出てないなら楽しくない。
そういう「当たり前」をむりやり意識だけで乗り切ろうとしちゃいけない。


じゃあどうするか。
本気で遊ぶってのはどういうことか。

真剣に考える

あんたたち、バカッぽいけど、バカじゃないでしょ
「遊ぶ」ことと「考えない」ことはイコールじゃない。

頭を空っぽにして思うままに動くことは「遊ぶ」ではない。
そんなもので上手く行ってしまうゲームなんて、すぐに飽きる。
真剣に考えるからこそ、面白い。


考えたことを形にできるだけの力量を身につける

頭のなかのシミュレーションと現実が一緒になるって、サイコー!

①自分の意思で動くことと、
②それを実行できる技量
この両方があってこそ自由に遊べる。
やはり上に行けば行くほど、そういう連中が増えてくるな…

そうしないと、低いレベルで楽しむことはできるが
より高いレベルで楽しむことは出来ない。

簡単な話、それ以外が全く同じ条件なら意識は高い方がいい。
だが、意識だけ高くて、つまり「勘違いして」、
己の力量に及ばないところに首を突っ込んでも何も出来ない。
意識の高さは空回りするだけだ。 何一つ思い通りにはならない。
そういう状態で楽しもうったって楽しいわけがないし「本気の遊び」とはいえない。
高いレベルの人からしたら、「ただの勘違い」「子供の遊び」にしかならない。

必要な技量や力量は絶対に必要だ。
そのためにはシンドい訓練に耐えることが必要なこともある。
その過程をどう受け止めるか、にこそ「意識の高さ」は活用されるべきと思う。


成果を出す

勝負事で、本当に楽しむためには強さが要る。
思うように体を操る、ボールを操る、そういうことが必要になってくる。

思った通りの成果を出せるってのは、やはり続けるための「必要条件」なんだと思う。
負け続けて、それでも楽しめるかって言うとなかなか難しい。
もちろん、他人から見た勝利でなくてもいい、

自分なりに設定した目標を達成できるかどうか。
それを積み重ねていかないと、「遊び」にはならないだろう、と。





こういうことを考えながら、なんとか今の仕事を「遊べる」ようになりたい。