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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「普通」と「特別」の表現

ブロガー

数年前に「病気でないイコール健康、ということではない!」みたいな話が流行ってた時期があったと思う。
健康というものは、病気になってから意識するのでは遅く、普段からちゃんと「こうなりたい健康」というものを意識して、それを目指して努力しなさい、みたいな話だったと思う。

その時は納得したけど、結局私は「こうなりたい健康」を意識せず、途中から「未病」の状態であったにも関わらずそれを放置して漫然と過ごしていた。

未病とは - 日本未病研究学会

その結果、最近になって健康を損なってしまった。つまり「不健康」「病気」になってしまった。そこからあわてて「健康状態」つまり、「自分にとってこうありたい状態」について意識しだしている始末。いやはや。


あんまり必死に健康健康言いすぎるのもどうかと思うけれど、「病気でない」というだけで安心せず、ちょっと調子悪いなって思った時に警戒するくらいの心構えは持っていたいですね。よーするに、自分のことだから、もうちょい敏感になって、もうちょい意識してあげたい。そして余裕があれば、「未病」状態から遠ざかり、「健康」の方向に近づけたい。 そう考えることに損はないと思います。




唐突に話変わるけれど、「普通」と「特別」の話。

これも「健康」と同じように考えてみる。つまり

普通→ではない。(一定の閾値を超えない)
特別→である。 (「健康」または「病気」のように、良くも悪くも一定の閾値を超えている。) 

とバッサリ割ってみる。




こうすると、なんとなく、私は「普通」の人だと思われてるなーと感じることが多い。

どういう時にそう思うかというと、自分について言及があるときに
「あなたはは○○(ネガティブな表現)ではない」という表現を使われる時だ。
こういうふうに表現されることが多い。

実際はこういう話ではないのだが、感じを掴んでもらうためにわかりやすく例をあげると例えば

・デブ「ではない」が、「細い」とは言われない。
・チビ「ではない」が、「身長が高い」と言われない。
・頭や性格が悪いわけ「ではない」が、「良い」とは言われない。

何事に置いてもこんな感じである。
他の「特別(異常)」な人の話とかの後で、比較対象として
「あなたは、○○○じゃないですよねー」って感じで話をふられる。

要するに、あまりわかりやすい特徴があったり、これだぞいう印象を与えない、ということなのだろうか。
よく言っても人畜無害、ぐらいで悪く言えば得体のしれないヤツ、ってことになるのだろうか。



たまには「ではない」ではなく、「である」という表現で言って欲しいと思うこともある。
もちろん、だからといって、「デブ」だとか「バカ」だとか言われたいわけではない。
どうせ何か良い方向で、「あなたは☆☆☆(良い表現)ですね」って言われたい。
就職活動の時に友達に自分の印象きいてみたら、「悪いやつではないけど…」みたいな感じですごく微妙な表現ばかりが返ってきたのは苦い思い出。


そのためには、まず自分自身の姿勢を変えないとダメだろな、と。
そもそも他人から見て私にわかりやすい特徴がないのは、
私自身が、「私は☆☆☆である」みたいなことをあまり意識してないからだと思う。

意識しなくても特徴がにじみ出まくっちゃう人がたくさんいることも知ってるけれど、
少なくとも私の場合はそうじゃなかったわけだ。
それならまあ、ある程度は自分でちゃんと、「こうなりたい」「こう思われたい」という輪郭意識して、
それにあったふうに自分を動かさないとダメですよね。
「私はこういう人間です」って自分で自己申告するのは嫌だけれど、
相手にそう思ってもらえるような事実を積み重ねていく必要はあるかな、と。




そんなわけで、自分なりに「私は☆☆☆である」みたいなのを意識してみて、それに基づいて文章書くところからはじめてみたい。
直接「私は☆☆☆である」を自己申告せずに、それが伝わるような感じを目指したいところ。
「読者であるあなたにとって、私は☆☆☆である」くらいまで意識して文章書いてる人はすごいな、と思う。




…ここまで書いてて何だけど、こういう「自己表現」というか「自己演出」みたいな話って
もっと以前の、それこそ中高生くらいの時に考えるべきことじゃないだろうか。

パッと思いついただけで突っ込みどころしかない話ですが、
もうちょっとまじめに考えてみて、退屈~平凡~普通~異常~特別、くらいの幅で印象の差異について、
マトリクスのようなものにしてみたら、ちょっとは面白い話になるかもしれません。