この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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やりがい搾取の共犯者 「同調競争」「自己実現系ワーカホリック」

過去記事の再掲

同調競争ってなんぞや

スティグマ論」の中の「同調競争」参照。
http://www.socius.jp/lec/20.html

管理教育の防衛策として子どもたちは自分を他者の行動に合わせてはみださないようにする。これを「同調競争」という。同調競争は目的が空洞化しているため、他人の出方や位置によってしか自己を確認できない。ひとりひとりが等しく不安な状態におかれる。そこで、この不安から逃れるために、いちはやく他人の差異をみいだし排除しようとする。そうでなけけれれば自分がやられるという恐怖がそうさせる

今、この「同調競争」がブラック企業において猛威を振るっているのではないかと思われます。

連帯と同調の区別がつかず、同調によって自らを苦しめる若者たち

クローズアップ現代 1/14 「あふれる“ポエム”?!~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3451.html
を見ました。

シンプルで聞き心地のいい言葉の多用が、若い世代のみならず、広告宣伝や企業の研修、そして地方自治体の条例など公共の言葉にも広がっているとして、社会学者や批評家らが「ポエム化」と呼んで分析を試み始めている。共通する特徴は、過剰とも思える優しさ・前向きな感情の強調だ。この風潮を特に支持するのは、「年収200万時代」の低収入の若者層と言われるが、厳しい現実を生き抜くために現状を肯定しようとする傾向が年々強まっているとされる。

そこでコメンテーターの阿部 真大さんが面白いことを言っていた。だいたいこんな感じだったと思います。

①ポエムを求める若者のキーワードは「仲間」で、他の何よりも、仲間がいないことを恥と思う若者の風潮が背景にある。

②ここで行われているのは同調であって、連帯ではない。むしろ連帯の真逆であり、連帯に見せかけた分断である。実際は競争をあおっている。同調は「嫌なことは言うな」「周りに合わせろ」という圧力になりやすく、とノリに合わせられなかった人間はやめざるをえない

これはかなり怖いなと思う。本人たちは連帯しているつもりなのだけれど、連帯の真逆をやってしまっている。意識せずお互いに分断し合い、競争しあっているというのだ。実際この指摘の通り、いかに周りを感動させる言葉を言うかを「競争」している様のTV映像は、当事者の方々には申し訳ないけれど、かなり違和感を感じた。



これについて、「同調競争」という言葉があったので紹介する。

日本では「同調」と「競争」がセットになって「連帯」を阻害することがある

「他人を見下ろす顔ができることが目標である社会」ーーこの定義ほど、競争が極限にまで行き着いてしまった競争主義社会である日本を的確に言い表しているものはないだろう。しかもその競争は、管理の中の競争であり、社会学間庭充幸が名著というべき「現代の犯罪」においても指摘しているように、<同調競争>であることに日本的な特色を持つ。 その<同調競争>について間庭は、同署ではほぼ次のような解明を与えている。


<同調>は相手に近づこうとする(距離を縮めようとする)概念であり、<競争>は相手から離れようとする(距離を開こうとする)概念であって、本来は相互に対立するところがあるにも関わらず、両者がうまく結合し、強い補完関係さえもつところに、日本社会の<同調>と<競争>の特殊な性格がある。



価値の単一性を前提とし、それを増幅するための差異性の強調である<同調競争>では、その<同調>は決して真の人間的な連帯に発展することがないし、また、<競争>は決して互いの個性を刺激し合いつつ人間的資質を引き出すことにつながらない。なぜなら、連帯は常に相手を出しぬき裏切ろうとする<競争>によって否定され、個性は常に相手を模倣し孤立の不安を和らげようとする<同調>によって否定されるからである。



この<同調競争>の現実形態の典型的なものが、今日の日本の学歴競争なのだ。どこの学校でも、点数=偏差値をあげていい高校、いい大学に入ることが、共通にして至上の目的になっている。点数は人間の個性や生き方とは無縁の受験技術によって左右される特殊な能力である。そうした能力競争を通じて、誰もがみな同じ高校、同じ大学を目指す。人間関係は、すべて点数をめぐる競争関係に矮小化されていく。しかも、ここでの競争は同一目標をめぐっての食うか食われるかの<同調競争>ーーすなわち、「同一化の為の差異化(!)」ーーであってみれば生徒間はもちろん、生徒と教師、また教師同士の間にも真の連帯は育ちはしない 

『高校教育のアイデンティティ』p105~p107)

最後の「学歴」の話は古いと思われるかもしれませんが、この「同調競争」という概念の提唱は30年前だそうです。


ちょっと前は「ハイパー・メリトクラシーという言葉が話題になっていましたね。

30年前から、日本には「同調圧力」ならぬ「同調競争」というものがあり、連帯が阻害され続けてきたという話がされていたわけですが、現状でもこの論を古臭いと笑えないような気がします。
まぁアレだ。はてブ数とかPVを競ってる人がいたら、それも同じだしね。


「同調競争」に取り込まれるということの恐怖

クローズアップ現代で描かれていた、外食産業等のサービス残業で働く若者たちは、まさにこの「同調競争」に取り込まれている形に見えました。

①「自分の幸せ」よりも「お客様の幸せ」を単一の価値と言われ、お客様の幸せ=自分の幸せという図式を信じこまされる

②「お客様の幸せ」「ありがとうの数」という単一価値によって評価され、ここで同僚たちと差別化するよう競わされる。ここにだけやりがいを感じるように仕向けられる。

③①で、お客様の幸せを追求することだけが単一の価値とされているので、それ以外を求めることが許されない。給料が低く抑えられても文句が言えないし、実はすごく狭い範囲で細かい差異化を求められることになる。差異化ができなければ、認められるためには長時間労働してポイントを稼ぐしか無い。

④結果として、1日16時間労働が発生しうるような環境で1年目の社員の平均年収250万、それでも「自分が望んでやっていることです」という話になる

本人たちは「やりがい」を感じて「幸せを感じている」と言っている映像が紹介されていましたが、どう考えてもこれ長持ちしないですよね。少なくとも結婚して家庭持つことは絶望的じゃないかと思います。体壊れたら一発でアウト。怖すぎです。こういうことにならないためにも、「経営者が誘導したとおりに同調する」のではなく、労働者としての自覚を持ち「連帯」することが必要だというのが番組の趣旨でしたが、そのとおりだと思います。


過去にこういう記事も書きましたが
□自分探し中の若者とブラック企業の相性が良すぎて怖い
http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20120929/1348892980

□正社員になるのが怖い世の中
http://d.hatena.ne.jp/TM2502/20121230/1356879919

一度取り込まれると、このブラックな環境との共依存関係になります。そこから抜け出すためには、若者たちが労働者としての自覚を持ち自衛すること、それ以上に大人が、若者がこういう企業に取り込まれそうになっている時にキャッチャーインザ就職活動する必要があるような気がします。



おまけ ブラック企業は当事者が良ければ良いという問題ではない

ワタミの件もそうだが、社員側がそれで良いって思ってて、企業側もそれで良いって思ってるのに、 外野がブラックだとかどうたら騒ぐのってどうなんだ」

ブラック企業で働くってのは労働力のダンピング販売みたいなもんだし、外野にも「迷惑だから止めろ」って言う権利ぐらいある」

ココらへんについては、明確に「ブラック企業は当事者が良ければ良いという問題ではない」と言っておきます。



参考記事

□同調的な大衆から連帯する大衆へ

現代の大衆は「フラッシュ・モール」と表現される。 何かに熱狂して簡単に集まったとしても、それが終わるとスグに解散して1人の個人に戻ってしまうという特徴があるらしい。(いわば、サッカーのサポーターみたいなものだ。) それを「同調的な大衆」と呼ぶ。

 「『人を動かすコミュニケーション』を展開するためには『同調的な大衆』を『連帯する帯衆』にしていかなければなりません!そして従来のメディア発想では『帯衆』は作れないんです!」 この発想はストンと胸に落ちるものがあった。

http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2009-11-12-4