この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「人が自殺をしないためのシステム」

一姫と会話していて、たまに感じる違和感の正体が少しわかったような気がする。この風見一姫という少女との会話は、まるで学校の先生との問答に似ているのだ。言い回しが回りくどく、すぐには答えを教えてくれない、学ぶ気のない者には知恵をかすこともしない。そう、まるで老成した学年主任クラスの教師のようだ。
もし一姫が本気で考えてくれたのなら、この窮地もあっという間に脱出できるのではないだろうか?そんな風に考えると、あの呑気に人に教えを説くような一姫の態度は、受け取り用によっては遠回しに『貴女は無能だ』と言われているようで腹も立とうというものだ。そして事実、私は無能なのだから返す言葉もなく、なお腹が立つ。


いつか何かで言い負かしてやろうとは思いつつも、果たして私が彼女に勝る部分とはいったいなんだろう?あ…そうか、料理の腕なら勝てるかも…?そうだ、彼女に勝てる可能性があるかもしれない。

そんな些細な優越のような物をみつけた途端、私は料理下手な一姫を一人で脳内に思い描いてーー『もぉ、意外とぶきっちょさんだね一姫は…』等と想像しては思わず頬を緩め、一姫が可愛らしい小さな女の子に思えてくるのだから、自分の単純さに呆れる思いだ



そこで私は早速朝食作りで腕をふるい、それを一姫と二人でモソモソと食べながら、その思いつきを本人に直接話してみたところ。


その単純さこそが、人が自殺をしないためのシステムよ


とまぁ、よく意味の分からない言葉で、やんわりと微笑まれた。なんだろうなぁ…この子は本当に…。
まぁいい。
朝食を摂り、腹が膨れて心が前向きになったというわけではないけれど、私は早速「    」のアイデアを部長に進言してみることにした

この場合

①「些細な事で優越感を」の方が重要か
②「自分がそう思いたいように簡単に認識を変化させられる」が重要か

私は後者だと思いますが、皆さんはどちらだと思いますか?



鬱状態というのは、この「認識を変化させる」「歪めることができる」ができなくなった状態といえるかもしれません。生きるためなら認識を多少歪ませたって構わないとは思います。正しいことなんて、生きることに比べたらカスみたいなもんです。(いいすぎ)生きるためにも「自殺しないためのシステム」を否定せずむしろどんどん活用してどんどん自分を歪ませていきましょう!(暴論)




もうちょっと実践的な考え方をすると、こんなかんじになると思います。。
自己防衛のための思考停止ならアリなんじゃないかなって話 - インターネットの備忘録

「なに考えてるかわかんない人」とか「いろいろめんどくさくてやっかいな人」とか、「いちいちシャクに触るキライな人」とかに出会ってしまったとき、何とかしてうまくやっていこうとか相手に合わせて自分を変えようとか相手を変えようとか、そういうのはダメ元でやってみるぶんにはいいですけど、まあダメだったら諦めよう、それより自分が楽しいこととか大切な人のことを優先して考えよう、みたいに切り替えていくのも心地よく生きていくのには必要かも

前向き! 好き!