この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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「何かをバカにすることは楽しい!」

最近ラノベはなぜバカにされるのかみたいな話があった。
みんないろいろ書いてたけど、私は「その人達にとっては、ラノベそのものを楽しむより、ラノベをバカにするほうがより楽しみを引き出せる」からなんじゃないかな、と思った。ラノベそのものを楽しめる人はそれは決して理解できない感覚なのだろうが、人によっては俺妹やゼロの使い魔をまじめに読んで理解する手間をかけるより、読まずにバカにするほうがより楽しめるのだ。その人にとっては、ラノベをそういう風に使うことが一番ラノベを楽しめる方法なのだろう。そういう人の基準からすると、まじめによんで楽しむよりバカにし、笑い飛ばそうとするほうが効率的で、合理的なのだ。


これはラノベに限った話ではないと思う。何かをバカにしている時、いろいろ正当化や理由付けをしてるが、結局のところ、何かをバカにするのが楽しいんじゃないかな。わざわざ何かをバカにするということは、他の方法で楽しむよりも、他のことを楽しむよりも、何かをバカにしているほうが楽しい。そういう状態なのだと思う。


※「バカにする」と「批判する」の形式的区別について
「バカにする」と「批判する」は全く別物である - この夜が明けるまであと百万の祈り




何かをバカにすることは、「一見」簡単だしお手軽だし楽しいし満足を与えてくれる。けれど実際にはまわりまわって損をすることが多い。毒舌や罵倒というのは、他人を傷つけたり不快にする。それを笑いに変えるユーモアを誰もが持ち合わせているわけではない。それは、何かを素直に楽しむよりよほど難しいことだ。素人が考えなしに手を出すのはおすすめできない。

何が問題かというと、
①軽い気持ちで始めるが、歯止めがかかりにくくエスカレートしやすい
②どこかで立ち止まれないと自分が大怪我をしたり、取り返しのつかないケガをさせてしまう

ことだ。

確かに何かをバカにするのは楽しい。ある程度は。他の方法でそれ以上の楽しみを引き出せないなら、とりあえずそれを選択してしまう程度には。そして、代替手段を見つけずに惰性でつづけたり、それによって注目をあつめることに慣れてくると依存してしまうことになるだろう。
確かに何かをバカにするのは簡単だ。後のことを考えないならば。相手が反撃してきたり、まわりまわって自分が損しないなら、とりあえずそれを選択してしまう程度には。バカにした結果、相手を傷つけてしまったり、自分が恥をかいたり、自分がバカにされたりなど損することが多いと学習しなければそれを続けてしまう。ここでポジティブ・フィードバックが作用すると「いじめ」に発展しうるだろう。
確かに何かをバカにするのは自分を誇らしい気持ちにしてくれる。えらく見せてくれる。少しの時間だけは。その日その時だけ、偉くなりたい気持ちがあるなら、とりあえず1時間くらいは満足を与えてくれる。その行為が自分のハードルをあげて苦しいと感じないなら、いつまでたっても続けることができてしまう人もいるだろう。

現実においてはどこかで歯止めがかかっていたものだけれど、ネットでこの「何かをバカにする行為への依存症」にかかっている人って歯止めがかからなくなってたりするのでネット怖い。




とりとめなくなったので、いいたかったことを整理


・「バカにする」は確かに楽しい。それ自体は否定しないがそれは楽しみ方としては低レベルだと思っておきたい



・「何かをバカにする」以上に楽しいことを常に持っておきたい。



・特定の対象について「バカにする」以上の楽しみを引き出せないなら関わらない方が良いのかもしれない。



・どうしても何かをバカにすることがやめられない場合、それは自分に問題があるのではないか





余談1
私は、とある人物をずっとバカにしてきた。
「私のは批判であってバカにしたわけではない」って言いはることはたぶん無理だ。そして、上に書いたように、バカにすることでイロイロと損していると思う。いろんな物を失っていると思う。時間以外にも信頼とかその他諸々。
で、そうなることも多分頭では理解していたと思う。それでもなんでやったのかというと、やっぱりそれが楽しかったのだと思う。それ以上の楽しみを持たないつまらない人間だったからなのだと思う。相手がたとえどんだけバカにしたい人間であろうとも、みんながバカにしてるわけじゃない。そこに執着してしまったのはやはり自分に問題があるのだ。

半分の月がのぼる空PV【ラスト差し替え版】 by (・∀・) アニメ/動画 - ニコニコ動画

いつでも自分以外の何かのせいにしては
目を背け 自分を守っていた ずっと逃げてた
自分にだけ許してた 甘えて夢見ること
目をあけた 出口は見えない

変わらぬ毎日 ただ生きてく
待っていればいつか ドラマみたいに
劇的な何かが 降り注ぐはずと 空白地図広げた
そんなこと起きないのは 知っているのに

自分が動かないなら 何にも変わらないと
わかってて 何もできずにいた ずっと逃げてた
毎日つまらないのは 自分がつまらないと
その心閉ざして いるから

余談2。
最近見た「イミテーション・ゲーム」という映画でもそういう問いかけがあった

人はなぜ暴力をふるうのか

この部分、作品中でうまく消化されなかったので非常に残念に思う。あるいはちゃんと答えがあったのだろうか。もう一度映画で上映されたら確認のためにみてみてもいいかもしれない

「いじめは楽しい」だから笑顔で行われる。
いじめの原因は快楽と圧倒的メリットにある | ハイパーメモメモ

ちなみに、今はてなにいるフェミニストたちがオタク叩きに邁進しているのもこの「いじめは楽しい」の感覚が暴走しているのだと思う。最初は正義のつもりだったのかもしれないが、最近はもう「こいつらを攻撃したら周りが褒めてくれる」「こいつらを攻撃することで連帯できる」という感覚が強い人が多いだろう。(※こういう憶測は、反論ヒエラルキーレベル2、あるいは議論において忌み嫌われるべき内心の忖度や勝手精神分析によるレッテルであるのでマネしてはいけない) 

私が最近までやっていた互助会批判もそれに近いものになりつつあるので、ちょっと距離を取りつつ有る。結局みんな、「安全に叩けるモノ」が欲しいのだ。私たちはいじめ大好きである。大好きであるからこそ強く戒めなければならない。これは坂口安吾堕落論」にて示された考え方である。 我々はいじめが大好きである。だからこそ、いじめはよくないといい続けなければいけない。