頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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読み手と書き手

ブログを書いているからといって誰もが書き手なわけではない。

たとえば私は書き手ではない。

私は自分のことを書き手、語り手だと思ったことは無く、ずっと読み手でしかないと思ってる。





みなさんが私について覚えているのは某氏に関する記事だけで、

それ以外で私がどういう記事を書いてるか覚えてる人は多分いないはずだ。

自己申告しておくと、私はマンガやアニメのほか、教育、コミュニケーション、ハラスメントに関する記事を好んで書いてる。

でも、多分誰もそんなこと覚えてないはず。

それは多分、今まで私はずっと読み手であっても書き手ではなかったから。

書き手として、私以外の読み手の興味を引くような書き方をしてこなかったから。

私が、何かを読んで自分が感じたことを記録しているだけで、誰かに語りかけようとして記事を書いてない。

そんな中で、某氏に関する記事だけが他者にアピールする意図を持って書いているからそれだけが記憶に残りやすかった。

そんな感じかな、と。





氷菓」のDBのたとえじゃないけど、読み手に過ぎない人は、自分の意見を出せない。

人によっては意見を出せないから読み手というかもしれないけれど、私の中では順番は固定されている。

自分は読み手か書き手かという自己定義が先にあって、そこが自分の意見を出せるかどうかの制約条件になる。

読み手の人間は、他人の意見をまとめたり整理することはできても、自分の意見を出さない。

ワンピースに関する記事がホッテントリしたけど、自分の意見は書いてない。「アレ」は意見とはいえない。

これは賢しらぶったりしているわけでも責任回避をしているわけでもなく、自分をそういうものだと決めつけてしまっているから書けないのだ。

もちろん、完全にDBやロボットになれるわけじゃないから、意見は漏れる。だけれど、そういう「お漏らし」としてしか意見を表出できない。それでは他人には伝わらない。伝わったとしてもろくな形ではあるまい。





じゃあもう自分は読み手にしかなれないかというと別にそういうわけでもないと思う。

ただ、あまりにも読み手側でばかりいつづけたので、切り替える部分が錆びついてしまって書き手としての自分がどういうものかわからなくなっている気がする。

某氏に対するときだけ書き手であることができたのは、何を言っても通じないという安心感があったからだ。

たとえ書き手であることを選んだとしても、普通の人に対してああいう文章は書かない。

では、普通の人向けに書き手として接するならどういう文章が書けるのかな、と。

誰かを「読者」として想定して、その人向けに文章を書くのはどういうことなのかな、と。

長年ブログやってきたのに、そういうことをまじめに考えたことがない。





某氏からも解放されたことだし、ちょっくら私もそういうことを考えてみようかと思います。

その際に今までの行動が足かせになるなら、また新しいブログで一からやり直しますよ。

今までのブログは正直自分の意見なんて書いてないただの備忘録だったから、「自分が読める状態でさえあれば」捨てることになんの抵抗も感じなかった。

ひとつくらい「このブログはちょっとやそっと問題があってもつらいことがあっても捨てたくない」って思えるようなブログがあってもいいと思う。




<書き手の心得っぽいと自分が勝手に受信したもの>

ttp://d.hatena.ne.jp/shi3z/20150219

・ニーズはつかむものではなく、引き出すもの。


・一店一店、しらみつぶしに回って置いてくれるよう頼んだ。それどころかこれみよがしに町中で使ってみせた。そこからSONYが世界的なブランドに成長する快進撃が始まったのだ。誰にも利用法がわからなかったもの、いわば「いらないもの」を、その特性を活かして電池で駆動する小さなラジオを作って売る、しかし小さなラジオにマーケットはない。ならば、小さなラジオを使ってみせる。「あ、あれいいな」と思わせる。そこまでやって、ようやく市場が開拓される



・いらないものを作り、ヒットさせる。一見、非合理的に見えることをやって、いくら笑われようと、戦略を信じてやりきる。



・我々コンピュータ屋にとっては大事件だが、ふつうの人にとってはそうでもなかった。だから僕はこれを事件にする必要があった。



・行列を安全に作るには、どうすればいいか。




・僕らはiPhoneアプリ開発という「いらない仕事」を得るために四日間の行列を作った




・マーケティングとは泥臭いものである。言ってみれば、殴り合いだ。




・将棋を指さずに棋譜だけ読んでも将棋に強くはならない。実際に頭を使ってなにかやってみないことには、マーケティングを理解してるとは言えない




素晴らしい。





ttp://bulldra.hatenablog.com/entry/momo-ranger


・木を隠すための森を育てる


・コミュニティ内での恋愛が当たり前に流通していれば




良い。





・他社でも出来る事はやる必要はないが、自社でないと出来ないし、自社がやるべき事は、採算が取れなくてもやり続けていく