この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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記事のタイトルを安易に「なぜAはBなのか」って形にするのやめて欲しい

なぜなぜ分析は、危険だ : タイム・コンサルタントの日誌から
1年前の記事の記事なのですが「なぜなぜ分析」が話題になっていますね。

なぜなぜは人ではなくプロセスに帰着しないといけないのは基礎中の基礎中の基礎中の基礎

恐怖の「なぜなぜ分析」IT編 - novtan別館

障害が起きるってことはなにか問題があることを疑うべきだし、改善すべき点は改善すべき。でも、所詮は費用対効果の世界で我々は仕事をしているわけですから、その分岐点を超えてしまうような改善って実質的に意味が無いわけですよ。特に「誰の責任か」を追求するような分析には全く意味が無いと現場としては思います。でもね、上の上の上の方の人が求めている報告って「で、結局誰が悪いの?」だったりするからたちが悪いんです


「なぜなぜ分析」にかぎらず、私は私は「なぜ?」「なんで?」という言葉を安易に他人に向けて使うこと自体が嫌いでありこの言葉は取り扱い注意であると普段から思っており、基本的にはよほど親しくなるか、あるいは逆によほど嫌いな人相手でないかぎり、あまり「なぜなぜ」いいません。自分ならともかく安易に他人に投げつけたり、まして確認したことでもないのに「なぜAはBなのか」を押し付けるとか何考えてんだこのやろうって思う。


まぁそう言いながら、私も結構やっちゃってるわけで。嫌だと思うのに自分もやってるのって結構気持ち悪い。

とにかく「他人を理解しようとする」って行為自体があんまりすきじゃない。理解できると思ってる=自分のスキーム内で理解できる範疇に押し込めるに繋がりやすいから。理想は受容なのだけれど、それが出来ないから、壁を作るというか、自分のコントロール下に置こうとする行為に感じてしまう。 「理解する」という行為自体が、かなり慎重にしないといけないと思う。 これを無条件でいいことだと思ってる人ってすごく気持ち悪い。

私自身は、理解するって行為について「他者とはなんでもは分かり合えないよ。受容できるところまで」という前提で、他人との間にトラブルにならないよう線引する行為くらいに思っている。そのため「なんでもかんでも分かり合える→わかりあえなきゃいけない→私が納得できる答えを出せ→私が受けいられる人間になれ」前提の人とは咬み合わないしかなり怖い。そういう前提で発される「なぜ」は極めて直線的だし窮屈だし攻撃的だしもうやってらんない。


で、「なぜAはBなのか」というタイトルの記事を連発する人の記事を読むと…



という感じでいろいろ思うところがあるので、このあたりについて一度ちゃんと考えておきたい。

①「なぜ」という言葉を発する事自体暴力的であり危険をはらむものであり安易に使うべきじゃないことでありまして大上段から振りかざすなど論外である。使い方の作法や礼儀をちゃんと理解しないなら使ってほしくない。

②「なぜ」は誰かのせいにするためじゃなくて、プロセスや構造を考えるためにあるものだーみたいな基本を確認したい。

③多くの人が「なぜなぜ」を「犯人探し」に使っちゃうのは「なぜ」なのか? どういうシステムが動いているのか?あたりを考えたい

といった話をいつかちゃんとしたいなと思いますが、自分自身勉強不足なので今日はそういう目標設定だけ。




はてなでも「なぜなぜ分析」は人気あるっぽい?

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