頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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改行が「少ない」記事や切れ味の「悪い」記事を書く人が好きです

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150226091410
記事内容には同意しないのだけれど、このコメントは良い。

一刀両断にできる事象というのは多くない。一刀両断が決まれば気持ちいいが、その快感におぼれてしまうと、不可能なのに一刀両断しようとして、ツッコミどころの多い主張になってしまう。逆張り過剰も同じ

せやなって思う。

切れ味のいいことをいう人って、最初は素で語っていたものがよい切れ味という結果になっていたのかもしれない。でもだんだんと「切れ味のよいことをいう」が目的になっていってしまうと、だんだんと「簡単に切れるもの」を探して行ってしまうようになってしまうおそれがある。特に自分を「毒舌キャラ」と認識していたり「切れ味のよい記事を書くから人気があるんだ」と語っちゃったりすると危険。

こういう状態は、「比喩の世界をずらしてしまう」と、本人は「切れ味のよい言葉で華麗に相手を切りつけている武士のつもり」なのだけれど、周りからは「自分よりアホな人を探して、上からマウンティングしてるだけのゴリラ」になっていたりする。

すっぱり切れないからといって刀がなまくらかというとそうじゃなくて、それだけ歯ごたえのある題材を扱ってくれてるケースも有る。すっぱり切れてるからといって刀が素晴らしいかというとそうでもなく、ただ切りやすいものを大げさに切ってるだけのケースも有る。難しい話題の時でも無理やり切れ味良くしようとすると、嘘が混じったり必要な部分の切り捨てをやらかしてしまう。それでも切れ味の方が大事とか言い出してしまうと、もう内容そっちのけになってしまう

もちろんそういう人ばかりではないとおもうけれど。切れ味は時々良い、くらいでいいんじゃね。








※残りは問題提起だけ。自分の中ではこのあたりが全部つながってるんだけどうまく書けない。最近最後まで書ききる気力がないというか、考える側の気力が足りない。でも、ブログそのものを更新しなくなるよりはマシだと思うので一応途中まででも書いておくようにします。


省略(「キャラ免罪」問題)

(※余談だけれど、「比喩を多用する人が比喩の世界で自己完結すること」の恐ろしさはこういうところにある。これはなぜ「差別ではなく、区別である」と語ってしまう人が後を絶たないのか、という構造的な問題=「トンデモさんのスキーマ」問題についてもつながっているのだけれど、今回は本題じゃないので飛ばします)

(表現のまわりで)差別発言、キャラで免責 寄稿・斎藤環:朝日新聞デジタル


省略(姿勢や情報量の話)

別にこちらにわかりにくい文章書いてくれなくても私はいっこうにかまわないです。

煮え切れないことを一生懸命考えて格闘しているのが見えている記事が好きだ。また、一行や二行で語りきれない大きな情報量の塊を頭のなかで処理できるような人の文章は面白いと思う。あっちにいったりこっちにいったりしてる文章も、それだけ多くのことを参照しているということだから嫌いじゃない。読むときは別にそれでいいのだ。(会話だったらダメだヨ)

特に重視してるのが「結論よりも過程を重視する」ってこと。「過程を結論に従属させる」のは私が陥りがちな限界なので、いざとなったら気に入らない結論が出ても思考過程をおろそかにしないって人に強く憧れます。






省略(わかりやすさの話)

わかりやすいといっても池上彰さんのわかりやすさと、雑な語りのわかりやすさは質が全く違うのに、そこを混同しちゃうとダメだと思う。
雑な語りがもたらすわかりやすさと、わかりやすく料理するための努力は全く違うと思うのだけれど、そういうのって「わかりやすく書こうという努力」をしたことない人には伝わりにくいのかもしれない。

Passion For The Future: ユーザーイリュージョン―意識という幻想

メッセージの送り手は、巨大な木構造の中から、枝葉を捨ててあるパターンを選び、メッセージに託す。受け手はそのメッセージから、木構造の全体を想像して、パターンを自分の頭の中に再現しようとする。再現された木構造の大半は、意識にはのぼらないかもしれない、捨てられた情報である。著者はこの捨てられた情報を<外情報>と呼んだ。<外情報>量こそ、生成された情報の意味の価値を表す指標であるとする。<外情報>で、情報の価値を測ることができるという考え方を支持する脳科学の研究成果もある。脳の活性化状態を電位測定すると、たんに何かを報告するときよりも、会話しているときの方が活性化していることが分かる。情報処理よりも<外情報>処理の方が、コストがかかっていることが分かる。

省略(理想と現実)=「コンフロンテーション」の重要性について

このツイートのニュアンスはアレなんだけれど、そこから自分が勝手に想起した
「夢を見るためには、まず現実を知って受け入れよう」って考え方が結構好きです。

逆に、ブログではやたらきれいなことを書いてるのに、現実が全く乖離してる人、危ういなと思う。