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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「いつもいつも、自分だけが被害者だと思うなよ。人を傷つける権利があると思うな」

7SEEDS27巻より。

「他の仲間に脅威となるものは容赦なく取り除け。そう教えたのは要さんや先生たちだ。何か悪いか?俺は間違ってない。

「間違ってないと思っているようには見えません。安吾さん」

(中略)

いや、後悔してるよ。みっともなかったってな。二度としないあんな真似は

「みっともなかった?後悔?二度としない? そうじゃなくて、花に詫びる気持ちは?」

「…詫びる?」

「ものを考え痛みを感じているのはあなただけじゃない。
 花にも感情がある。 傷つけた。」

(中略)

「…嵐よ、俺は、お前には悪かったと思わなくもないが、花に謝る気はない。俺も仲間も、彼女の父親にはずいぶん被害を被ったんだ。後味が悪いんで、もう忘れたい

いつもいつも、自分だけが被害者だと思うなよ。人を傷つける権利があると思うな。

「おまえみたいにのほほんとぼんやり生きてきた奴にはわからないだろうよ。…このまま一緒には行けないな。別行動だ、嵐。けど、なぜかな。お前に嫌われるのは少し哀しい」

誰かを傷つけてしまった時、ちゃんと謝るというのは、ものすごく難しい

私は、よく暴言、人を傷つける発言を繰り返しつつ、それを指摘されても絶対に謝らない存在を見るとすごくムカついてしまうのだけれど、その人達は上のように「自分は被害者であり、被害者でなければならない」という考えに固執している発言をすることが多い。こういう状態を繰り返してしまうのは「被害者である自分だって、誰かにとっての加害者になりうる」ということがどうしても認識できないのかもしれない。


「自分が加害者になった」ということを受け入れるのはかなり難しい。

①「自分が誰かを傷つけたという事実を受け入れること」
②「傷つけた相手の気持ちを考えること」

この二つが両方できない限り何が問題であるかがそもそも分からない。謝る以前の問題だ。むしろそこが納得できないまま謝っても、上で書いたように「失敗した」「みっともなかった」としか思わない。「謝らせられた」という屈辱しか残らないだろう。


さらに「自分が加害者になった」ということが認識できていたとしても「まず自分が被害者であることを先に認めろ。そのことを斟酌しろ。かわいそうな僕を攻撃するな。攻撃するなら僕をいじめたアイツを懲らしめてからにしろ。だから僕が誰かを傷つけることをいっても俺は悪くない」というような態度をとってしまう。



「自分は被害者だ」って意識は拭い去るのがとてもむずかしい

わかったように書いているけど、これは私のことでもあるからだ。私は時々こういう気持ちになってしまう。会社や親やその他人間関係もろもろにおいて「被害者である自分」を引っ張り出してきては、「自分はひどいめにあわされてきたのだから、ちょっとくらい暴言を吐いても許されるはず。俺のツライ気持ちをほかのやつらに味あわせたい」みたいにどす黒い気持ちになってしまう時がまれにある。

私はそういう状態になるのが嫌だ。そんな自分を正当化してしまうのはどうしても嫌だ。

それをぶつけていいのは「加害者」に対してだけだ。親に傷つけられたなら、親にぶつけるべきだ。上司にいじめられたなら上司に反撃すべきだ。それができないのはわかる。だからといって、他の人間に「被害者としての自分」をぶつけるのは八つ当たりでしかないし、その時の自分は「ただの加害者」だ。正当化なんてできない。してはいけないし、たとえできたとしてもスッキリすることなんてできない。

自分の生きにくさを、両親に愛されなかった体験になすりつけて片付けている人を「アダルトチルドレン」と呼ぶ。 (「ひとを愛することができない」p123)

自分の生きにくさへの憤りを、関係ない人にぶつけてもスッキリなんてしない。それを自分に許してしまったら、多分あとでもっと後悔する。

それがわかっていても「自分は被害者だ」って気持ちは拭い去るのが難しい。どうすればこの意識から自由になれるのか、いろんな本



どーすれば「被害者」の立場に嵌り込むのを防げるのか

理想は「傷ついた」ということを傷つけた相手にストレートに訴えること。
自分自身が「自分は傷ついていたんだ」ということ受け入れること。
今って、「自分が傷ついている」ということすらなかなか主張できないのでホントつらい。


「ヒラリー・スワンク in レッドダスト」 - この夜が明けるまであと百万の祈り

俺達には、「傷ついた」と主張する権利がある


「ハラスメントに対する嫌悪」の感覚を共有するのは難しい - お前のことが好きやったんや

「コミュニケーションを求めながら、それが決して成立しないこと」というのはそれ自体苦しいことだろう。しかし、ハラスメントはその先にある。コミュニケーションが成立していないのに「一方的に相手の文脈によって」成立したことにされてしまう。この際に、自分が思っていないことを思ったことにされてしまう。自分の感覚を裏切ることを強要されるこれがハラスメント

コミュニケーションにおいて苦痛を感じる時、苦痛ですと言えればそれだけでも楽になるのにな。




「世の中クソだな」って思うことはあるかもしれないけど、それを言ったら負けだと思うことにする - この夜が明けるまであと百万の祈り

「お母さんが…泣いて寝込んで、部屋から出てこないの。今まで気づいてくれなかったって私が責めたから。でも、違うの。お母さんに泣いて欲しかったわけじゃないの。お母さんに傷ついて欲しかったわけじゃなくてただ、辛かったねって 言ってほしかった だけ で。今まで 辛かったね って…」

ほんとに、これが言えるだけで全然違うんだけどな。



被害者意識の反対は「○○○○○」らしい

被害者意識の反対は「当事者意識」らしい。

結局被害者意識を持ち続けていて苦しいのは「主導権を相手に握られている」「相手に依存している」「何かに縛られている感覚がある」からなのだと。自分のことを考えるのに、その人の事ばかり考えていて自由になれない状態はしんどいだろう、と。だから自分で自分の人生をコントロールしようと思えば自然と被害者意識は薄れていくんだって。


でも、私は中学生の時に「papa told me」を読んでしまったんだよね。

わかっている。ここにいる限り解放されることはない。
いつまでも傷口は開き、裏切りは重く、幸福はただあさましく。
そして私は全てを許せないまま
許せないことをたった一つの証明として---

(papa told me 22巻 ep108 モーニング・グローリー)

全てわかっていてもなお、自分の意思で被害者意識を糧に動き続ける彼女の姿が
自分の中にどっかりと居座っていてつらい。





こういうことを考えながらグルグルしてたころに「花やしきの住人たち」って作品を読んで妙にドツボにはまってしまったのが私という人格です