今日やらかしてしまったので反省のためにメモ。
とある案件で、お客さんからクレームが着いた。
そのクレームは「問題のある箇所を指摘しただけ」のものだったのだけれど、具体的に何で困っているか、どう不満を感じているかは示されていなかった。
にも関わらず、こちらで勝手に「この箇所を指摘しているということはきっとあの問題だ」と判断し「その件につきましては、このように対処させて頂いております。問題ありません」的な対応をしてしまった。
結果としては、全く違った問題が起きており、それについてトンチンカンな対応をしてしまったことになってしまった。お客さんは大人な方で怒りを露わにすることはなかったが、むしろ怒ってもらった方が良かったかもしれない。冷静なヒトほど怖い。
それにしてもなぜこういう対応をしてしまったのか。
一番は慣れとか惰性の問題だと思われる。全く未知の箇所であればこういう対応はしなかったはずだ。しかし、指摘された箇所は度々他のところでも問題の報告がありこちらも「この箇所はこういうトラブルを起こすものだ」という先入観があった。
また、トラブルというのは、理屈としては慎重に対応すべきものなのだが、感情的にはうんざりするのでさっさと済ませたい、リソースを割きたくないという気持ちになっていたと思う。また、早めに対応しなければ、という焦りもあったのは間違いない。
他にもやる気や疲れの問題など、「なぜ」を言い出したらきりはないだろうと思う。
トラブルは、まず相手のもの
次から何を気をつけるべきかというと、やはり原則の確認か。
トラブルといった時、やはり「トラブルはお客さんのもの」とかんがえるべきなのだろう。こちらが対応するべきものではあるけれど、それでも「お客さんの問題」なのだ。だから、そのトラブルがどういうものかは、お客さんの話を聞いてから出ないとわからない。ちゃんと確認せずに、あんまり先回りしてはいけない。
なんとなく、こういうの先回りして解決したほうが格好いいように思ってしまうところあるけど、商品をすすめるのとトラブルに対処する時では考え方が全く違うよな、と。確実さすごく重要。
だからこそ、まずお客さん次第だと思ったほうがいい。
話を聞く前から、自分が対処しなけりゃいけないものだと焦って、ろくに話を聞かずに自分だけで考えて間違った対応って完全に空回りしても誰も幸せにならない。場合によっては、自分が対処すべきことではない場合もある。他の人が対処したほうがよいことおもある。そもそも問題かとおもったらそうでもなくて、心配事の相談だったということもある。何もしないほうがいいこともある。
落ち着いて話を聞けるだけの余裕を持つことが必要
そういえば、中学生の頃は、なんかやましいことがあったりすると、それについて指摘されると相手がまだ全部言う前から「あれはこういう事情で、こういう理由で、こうだから、問題ない」などと、相手の言いたいことを先回りして言い訳することが多かった。
即興で考えた例なので正しいかどうか微妙だけど、たとえば
「よく、一人でこっそり、お菓子を買って、夜中に、一人でこっそり、食べてるよね」って話をされた時に、「相手はそもそも批判するつもりなのか」「批判するとしてどこが批判ポイントなのか」は本当はよくわからない。わからないのに、私は「批判するつもりである」「一人でこっそり食べているの部分を責められている」を責められていると判断し、「自分のお金で買ってますが何か」みたいな言い訳をしてしまう。でも相手は「夜中にお菓子食べると太るよ」という話がしたかっただけだった、みたいな。
そして、相手は心配して声をかけたのに、「勝手に自分が相手に文句をつけてる」と決めつけられ、わけのわからん言い訳を聞かされるだから、自分をないがしろにされたかのように感じるだろう。
こういう対応をしてしまうのは、やましさがあったり、余裕が無かったりするからだと思う。
あんまり心の問題ばかりにしてしまうのもどうかと思うけど。
トラブル対応だって対話の一つ
あるいはこういう時にどう対応すべきか、という型がしっかり身についてないからかも。
これだって「対話」なのだと思えば、昨日書いたように対話を意識した振る舞いをすることが重要になるよな。
あんまり防御を意識しすぎて殻にこもらないようにはしたいな、とか。