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「育てる」SNSなんてノーセンキュー

はてブには、「人を育てる」という概念が少ない。 だもんでちょっとでもひ..

言いたいことはわかる、と思う。

ただ、はてなにそれを求めてもなぁとは思う。

【おおつね×けんすう対談】ネットウォッチは紳士の楽しみ。むきだしの世界となめらかなコミュニケーション (4/4):MarkeZine(マーケジン)

コミュニケーションで生まれるコンテンツはふたつあると思っていて、ひとつは「パケット型」、内容が重要なものですね。おおつねさんが話していたように1行で済むわけですよ、「おまえの言ってることは間違ってる」って言うのは。だから装飾したりするのは無駄と言えば無駄ですと。

もうひとつは「グルーミング型」って言うんですけど、内容はどうでもいい。あなたの言ってることが間違ってるとか正しいよりも、「あなたのブログを見ました。すごいステキな文体ですね」みたいなところから始まる、そのコミュニケーションのなめらかさが重要な人たちっていうのも結構いて

はてなはどう見ても前者寄りだったものが、徐々に話すネタがなくなってきて、後者寄りにはなってきてるけど、やはり今でも内容はそれなりに重視されると思う。

過渡期として、現状はパケット型よりのサービスで、普通のことを「なめらか」に受け入れさせる技術を競うような所ある。

いずれにせよ、はてなにおいてはわかりやすく間違ったことや挑発的なことを言って炎上させるのはg○mi。そういう人は育たなくていい。逆に、賛否両論ありそうなことについて、「異論はあるけどお前の言うことも頷ける」みたいな感想着いたら大勝利みたいなイメージ。


「育てる」じゃなくて「保護する」「ウォチする」くらいが妥当かな

私は「育てる」はノーセンキューです。これにはどーしても管理や、矯正の要素はいる。もっといえば、「育てる」の主目的としては「自分の代わりを作る」「自分の目的通りのものを作る」ってのがあるので、育てるって言葉で考える限りろくなことにならないと思ってる。

学校や企業においては「もっとちゃんと育てろ」って思ってますけどネットについては「育ててください」じゃなくて「自分で育つ」を目指したいところ。



ただ、「自分で育つ」すら阻害される場所は困るのでそこは文句言ってもよいかもしれない。「育つのを見守る」とか「遠くから保護する」とかならわかる。もっといえば「受け入れる」「肯定する」があるほうがいいのかもしれない。


でもそれ以上はやったらあかんと思う。



まずネットはその人の親じゃないんで「無条件肯定」とかはいきすぎでしょう。この条件は自分だけに適応されるわけじゃないから、弱肉強食になるし。

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あとネガコメとか否定的な態度ばっかり批判されガチだけどどっちかというと、「いいね!」とかそっち方向が束になった時のほうが怖い。こういうのを「育てる」とかだと思ってるなら、過剰回復でも人は身を滅ぼすってことを意識しておきたい。

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古川 当時のネットウォッチ板は、おもしろかったんですよね。

おおつね 独特の仁義があって。

古川 絶対にのぞき穴からのぞいてる対象物にさわっちゃいけないとか。

さわっちゃいけない? 

古川 さわっちゃいけないんです。自然みたいに保護しなきゃいけないという意識があって。バードウォッチングと近いというイメージがあった。向こうの人たちに感づかれてはいけない、それは自然の景色を壊してしまうから、みたいな。

(中略)

こいつをこらしめてやろうというより、どっちかっていうと、また面白いこと起こしてくれないかなっていう感じ。

(中略)

アメリカとかだと、ディスカッションのほうにいっちゃうイメージがありますね、だから、変な人を外から眺めて感想を言い合うだけ、みたいな、日本独特の楽しみ方はあんまり見ないですね。