この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「冷静に考えて口の悪い成人男性がかわいい筈がない」

至言

これがわかったからといってスパッと悪口をやめられるわけではないのだけれど。


小野ほりでいの暮らせない手帖|悪口や毒舌について - 週刊アスキー

いつも冗談のていで何かを悪く言っているのだが、自分ではそれが冗談だと分かってもらえるつもりでいるわりに、だいたいの人にはそう取ってもらえず、嫌われたり恐れられたりしている面がある。

この食い違いがどこから生まれるのかというと、彼が彼自身をかわいいと思っていることである。冷静に考えて口の悪い成人男性がかわいい筈がないのだが、まさかかわいい自分が恐れられるとは思っていないので、きつい冗談を言ってしまうのだ

彼にとっての悪口はきついことを言っても許して貰えるかわいい自分、という周りに甘やかされた環境の確認でもある。

親との確執は、そっくりそのまま社会との確執です - 珍獣枠でやり直し。

知的および倫理的な怠惰の中身は機能不全家庭出身者の場合、「親の悪口のみを一生垂れ流して生きること」だと私は思う。

生まれ育った家庭の病理に気付いた最初の数年間は膿出しの時だから、悪口はむしろしっかり言った方がいい。腹の底から吐き出すことであなたは呪縛から解放され、尊厳は回復される。共通の絶望を抱えた人達と分かち合った分は希望に変化するから、自助会などの連帯の場は大きな救いをもたらしてくれることだろう。でも味を占めて何十年も悪口「のみ」を続けるとしたらナンセンスである。

情熱の大半には、自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は、すべて逃亡者に似た特徴をもっている。情熱の根源には、たいてい、汚れた、不具の、完全でない、確かならざる自己が存在する。だから、情熱的な態度というものは、外からの刺激に対する反応であるよりも、むしろ内面的不満の発散なのである