頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「絶歌 神戸連続児童殺傷事件少年A」 感想その1

読みました。


以下は昔の彼ではなく今の彼に対して、
文章から私がウォッチャー目線で推測したことです。

他人の意見をバカにし、演技めいた誇張的な表現を好む印象を受ける

「原罪」の章

あなたはこれから神父になる。
そして僕はこれから精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることが出来ず、二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞いこんできた自らの「原罪」とも言える体験を、あなたに語ろうと思う。

(中略)

罪悪とはマトリョーシカ人間のようなもの。
どんなに大きな罪も、その下には一回り小さな罪が隠され、
その下にはさらにもうひとまわり小さな罪が隠され、
それが幾重にも重なった「入れ子構造」になっている。
僕が抱える「罪悪のマトリョーシカ」の一番奥に隠された小さな小さな罪の原型を、ここに懺悔したい


(中略)


この時はまだ、自分がどれほど恐ろしい「龍の尻尾」を掴んでしまったのか、知るよしもなかった

ちなみにここで語られる「原罪」のエピソードは別に大したことがない。
語るのもあほらしいので語らない。


この後精神鑑定書の結果を小馬鹿にし、
その上で自分のことは自分が一番良くわかっているんだと言わんばかりに、
他の人間が語ることはすべて間違いであると言わんばかりに、
気取った調子で自分で自分の解説をはじめる様子はなんだかもうアイタタタという感じだ。


本人の自覚と実態に乖離があったように見える

ただ、本人の自覚しているレベルはかなりしょぼい悩みだったりするのだが
本人がいまでもあまり自覚できていない部分は相当にゆがんでいる。
このズレが、かなり気持ち悪い。

本人が異常だとか致命的な問題だったと思っている部分は大した異常ではない。
しかし、本人が淡々と語っている日常描写の側には深刻な異常が見られる。

本人の語りだけを読んでいると、
こちらからすると実にどうでもいいところを自分が殺人鬼になった理由だと考えており、
そこから非常にあっさりと殺人するところまで飛んでしまっている。そんな風に読める。
よくある中二病の「覚醒」とかそんな感じの認識なのだろうか。

しかし、本人の自覚があるのかどうかはわからないが、
本人があまり重要だと意識せず、それゆえに淡々と語っている日常描写の異常を考えると
実際は長い年月をかけてちょっとずつ狂っていっている様子が迫力を持って感じられる。


長い年月をかけて精神鑑定やカウンセリング、医療を行ったという人間が書いている文章が
これだということが恐ろしい。


すんごい細かいところまで観察している割に、人間の理解はものすごく薄っぺらい印象を受ける

例えばP55から数ページにわたって、彼の友達との交友関係を回想するところがあるのだが、

文章の描写を見ていると、事物に対してはものすごく細かいところまで正確に観察しており、しかもそれを正確に記憶していることがわかる。曖昧な表現が少なく、数字や事物の名詞を多用し具体的に語っていて臨場感がある。「瞬間記憶」とか「写真で記憶する」能力があるのかもしれない。


だからこそ、その一方で人間に対する描写がおっそろしく薄っぺらいことが目立つ。語りが抽象的な評価であり、「かもしれない」を多用し、途中からすぐに自分語りになる、など明らかにレベルがグレードダウンしている。それでいて、彼自身は「一瞬でその隠された本質を見抜く」力を持っているかのようなうぬぼれが透けて見えるような調子で語っている。


本人がどう思っていようが、文章見たこちらはあまりの落差にこれは全然自分以外の人間のことが見えてないな、と感じてしまうのだ。


「殺害」の描写はやたらと詳細かつ具体的でしかも恍惚とした様子であり心底気持ち悪かった

p62からp65で最初の「殺害」の回想を語るのだが、それまでのページはラノベのように改行を多用して語っていたものが、4ページの間殺害が完了するまでの描写はほとんど改行がない。書き手の心の中でドライブのギアが一気に上がっているのがわかる。

語る内容も殺害の対象を非常に冷静に細かく観察しており、それを逐一描写しつつ、さらに己の興奮を余さず語ろうとしており、こいつ書きながら気持ちよくなってんなーってのが伝わる。



あまり論理的に物事を考えたり説明するのは得意ではなさそう。というよりも、自分でもよくわかってないのに知ったぶって語りたがる傾向があるように思われる

彼は「殺害」のシーンの描写が終わったといきなり賢者モードになったらしく、自分の行為をフロイトの学説を引用して解説を試みる。しかし正直微妙。しかも途中で村上龍のコインロッカーベイビーの話にそれてしまい、そこから自分語りに入ってgdgdになっている。数年前の青二才の文章を読んでいるかのような尻目つぶりであり、先ほどの迫力のある文章はどこへいったのか、と思われるがっかりぶりである。

どうも、観察力や記憶力が優れているため、それをそのまま語る時は力のある文章になるが、理解力や思考力には難があるようで、抽象的な話をしたり、自分の考えを説明するのは苦手のようだと感じる。



など。

まだまだ書きたいことは山ほどありますが、
正直もうこちらは読みながら相当ストレスを感じているのでこの辺りで一旦お休み。

その2はその気になったら書くかもしれない。
「GODLESS NIGHT」における自己陶酔の気持ち悪さとか。




本全体の感想ですが

①この少年はやたらと抑えがたい衝動が自分を殺人に駆り立てたというが、
 衝動と向き合い、発散する方法は本当に殺人しかなかったのだろうか。
 この時代にブログがあったらこの少年は犯罪を犯さずに済んだのだろうか。

②現代教育や医学はこの少年(の更生という課題)に敗北してんじゃないだろうか


みたいなことは思いました。