この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「代案を出せ」問題についてのメモ

とりあえずメモ。いつかガッツリ考えたいなと思います。

この「ふつう」が難しいんですよね。代替案問題というとニュートラルな響きが有りますが実際は

「しない理由」を追求するくせに「する理由」を求めない。
「する理由」は説明しないくせに「しない理由」は求める。

ということです。

「しない」側の人間になにかと手間や負担がかかるようになっています。
これって合理的じゃない、理不尽だって言うのは簡単だし私もよく思う時はあります。
だから、上のようなツイートってすごくスッキリします。



ただ、実際は結構めんどくさい話ですよね。
多分人類始まった頃からずっと問題になってるけど未だに解決してないので、全体的な解決は無理だと思うんですよね。
でもそれってナンデなんでしょう。

本人にとってはただ「やらない」「したくない」だけのことが、他人との関係では「否定=やめる」や「変化=違うことする」というニュアンスを帯びてしまうところがややこしい

なんでこうなってしまうのか




それでも代替案を出すことが不要な場合は明確に存在する(その逆も)。いつでも代替案を出せと言うべきではない



ほんと、ただそれだけの話しなんですよ。

ただ、大体の場合、「しない側(否定する側)」と「する側(肯定する側)」の両者の間に認識の違いがあるからモメる。

なんせ、食事や飲みを断るだけでもいちいち理由を聞かれるくらいウェットな文化が残ってるところ多いですからね。

あれもこれも「特別な理由や、別の用事がない限り~するのは当たり前」が定着しちゃってる人はたくさんいます。


組織においては「慣習」を定期的に問いなおすようにして欲しい

それぞれの文化において「慣習」というのがあります。

こういうものは理由や必要性を問わず、ただやれ、と言われることが多いです。

これにはこれで一定の合理性はあって、因果関係を説明しにくいけれどやったほうがうまくいくことは結構あるとは思います。

そういう時に「考えるな。とにかく従え。動け。」というものが残されていないと動きが鈍くなってしまいます。

ただ、私は逆に殆どの場合は「するべき理由がない限り別にしなくてもいい」ことばかりだと思ってます。

だから逆に、何かするときは理由を考えます。考えて納得出来ないとあまり行動できない。

これを慎重といって評価すべきか、鈍いとか生意気と言われるかとかはもう完全にその組織の文化次第になってしまう、と。

だから、組織においては「慣習」を定期的に問いなおすようにして欲しい。

全く儲けにならないというか、昔と業務内容が変わって全く関係ないのに昔からの付き合いでズルズル続けてることが多すぎるんよ。


「代替案を出せ」を「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」話法と組み合わせて悪用したり、批判をシャットダウンするために使うのは極めて悪質

http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/door.htm

最初から無理難題を出して、それを否定するなら代替案を出せ、とかこれを受け入れろと迫る行為は悪質です。



あと代替案は出せばいいってもんじゃないです。ダメダメな代替案出してドヤ顔するのもやめましょう

http://allabout.co.jp/newsdig/c/84425/3/

これじゃあ私の負担が増える一方じゃない!と、ママは思ってしまいますよね。それでも、パパが理不尽に怒鳴って、子供が怯える姿を見るよりはマシではないでしょうか。
パパにとって大切にしたいポイントをおさえ、ママが上手く立ちまわることで、パパの感情もコントロールすることができます。それも今だけのことですから、ほんの一時期の辛抱だと思って頑張ってみましょう。

ただの青二才じゃねーか




とこんなかんじかな。