この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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「がっこうぐらし!」6巻  安定や今までの役割を捨てて、もう一度自分を見つめなおす

雑だな。生き方が雑だと言ったんだ。そのままではいつか自分に殺されるぞ。姉貴が最後に試合で見た景色をお前も見たくはないのか?生きている意味が全て噛み合うその瞬間を味わいたいのなら丁寧に生きろ(少女ファイト


6巻は悲惨ながらも安定していた今までの「がっこうぐらし!(日常)」を捨てて外に出ていきます。ここからはロード・ムービーの始まりです。



そうすると、学園生活において安定していた

わかもの(くるみ)
ばかもの(ゆき)
きれもの(ゆうり)
よそもの(みき)。

という役割が機能しなくなります。そして、それぞれが環境の変化に対応するべく、自分自身のありようも模索し始めます。その結果として、特にゆきとゆうりの変化は顕著で、その変化を観ることで、学園において、いかにゆきが無意識に自分の「役割」を果たしていたのか、そして、いかにゆうりが自分の役割やゆきに依存していたのか、ということがわかってくる。



みんな「変化」にとまどい、脅え、今までの自分にとどまりたいと願う。実際に私達の現実では変化を拒否し、そこに留まってうずくまることもできてしまうし(モラトリアム)、そうせざるを得ない人たちもいる。

けれど、この作品の場合、状況がそれを許さない。

「大学もいいですけど。もう少しこのままでもいいかなって思うんです」
「そうだな、でも、ま。そうもいかないだろうよ。こっちがこのままでいたいって思ってもさ。あっちから来たりすんだろ?じゃあ、準備しとかないとな?」

必死に自分の殻を破って、新しい自分を見つけなければいけない。それが一般的には間違っているものであるかもしれなくても、生き延びるためにはそれが必要なのだから。その過程で見られる劇的な変化は、見ているだけでも胃が痛くなる……。

6巻終了時点での変化は決して喜ばしいものではないけれど、間違いなくそれは生き延びるための選択だった。あとはここから、また変化が起きてより望ましい形にたどり着いてくれればいいのだけれど……。



でもきっと大丈夫だと思いたい。なぜなら、4人には、今までの「がっこうぐらし!」による蓄積があるから。



学園生活を真摯に生きることが、将来の過酷にも立ち向かう力の蓄積にもなる

それにしても、このマンガは私は巻末の作者さんのコメントが非常に面白いです。アニメだけ見る、という人でも立ち読みする機会があれば、是非作者の巻末コメントだけでも読んで欲しいです。作者である海法さんは本当に「学園での生活」と「そこからの卒業」をストレートに描こうとしているんだな、ということが伝わってきます。


意識しなければ、なんとなく過ごして、通過できてしまう学園生活というもの。私なんかは実際にそうやって学園生活をやり過ごしてきてしまった気がする。そういう生き方をしてしまったり、せざるを得なかった人というのは結構いると思います。



一方、この作品の5巻まででぐっと凝縮して描かれてきたのは

「命がけの意識で、一瞬一瞬を真剣に捉えながら学校生活を送ること」
「役割を明確に意識しながら誰かと一緒に過ごすということ」
「一つ一つのイベントを全力で楽しむということ」

です。それは苦しくて辛いことだけれど、だからこそ、それは個々人の「蓄積」になっていると思う。なんというかなー「極東学園天国(卒業後を描けなかった作品)」とか「G戦場ヘブンズ・ドアー(卒業後まで少し踏み込んでいる)」とかを思い出します。きっと「AngelBeats!」が描きたかったのもこういう話だったんじゃないかな、と思わずにはおれない。



この作品の場合は、突然の極限状況がそれをもたらしているわけだけれど、意識さえすれば、私でもある程度は可能なことだったと思うんですよね。

「私が過ごしたあの頃の学園生活とは、自分にとってどういうものであったのか」その時に何を考えて、どうやって過ごしていたのか。そういううことを肯定を否定も交えつつ真剣に考えてみるというのはすごく面白いことなのかもしれません。決して短い時間ではなかったわけだし。


うーん、なんか当たり障りなことしかかけてない。実際にはもうちょっとこうぐっとくるものがあるんですが。とにかくこう、なんというか「まぶしさ」みたいなものを感じたんですよ。……やっぱり直接読んでみて欲しい!