この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです。 ※記事を読まずにはてなスターを押して回る行為はお断りしております。

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GATEの楽しみ方で面白いと思ったものメモ

◆「今時ここまで突き抜けた文化帝国主義を描くのはわざとなんじゃね?作者のサイトでも文化帝国主義反対って書いてるし」

オタカルチャーと戦争 『GATE-自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり-』と文化帝国主義 - ヲタ論争論ブログ

『ダンス・ウィズ・ウルブス』や『アバター』のように、近年のハリウッドでも強く意識されるようになった、「文化帝国主義」に対する批判意識、或いはポリティカル・コレクトネスといった視線は全く『ゲート』には存在しない。

異文化交流をまともに描けないとか、気がつかないとかいった無自覚的なものではなく、恐らく作者においては相当に自覚的なものだ。そこまで首尾一貫して不均等な世界は描かれており、余計なものは一切登場させない。作者のサイトには「文化帝国主義反対」という言葉が掲げられており、この意味を知らないはずがない。

◆「自衛隊やら先進国日本マンセーというより、むしろ旧日本軍がNGという話では?」
かいがいの : GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 5話 「イタリカ攻防戦」 海外の感想

イスラエル
この作品の奥が深いのは戦訓としての側面がある事だ。私は仕事柄、各国の戦史について研究してるけど、ここまであらゆる形で日本の戦術的失敗の歴史が物語や戦闘の軸になってる。

例えば、1話では彼我の戦力差を弁えずに攻撃したことが帝国側の視点で描かれた。送り込まれた将軍が乱立する巨大建造物で違いを悟ったものの引き返すことも出来ず、逆に敵からの猛攻を招くあたりも象徴的だ。
2話でも帝国側の視点で「塹壕陣地にただ突撃するばかりの兵士たち」が描かれた。将軍が夜襲に出て返り討ちにあうのもそうだけど、あれは地理的条件も含めて、ポート・アーサー(旅順)攻囲戦で起こったことになってる。
3話では、自衛隊側の視点で孤立無援状態の退却行と苦悩、そして、情報公開の要求がでてきたけど、ここでは史実とは違い、正しい理解と判断によって犠牲を最小限にできた上、正確な情報も発表されてる。
4話では、星形要塞が出てきた。日本にも五稜郭という星形要塞があるがこれは明治の内戦で完成をまたず戦闘に突入して、実際には充分機能を果たせないまま守勢力側が敗退してる。それをここで使うんだから面白い。
今回、何気なく描かれた突撃破砕線だって日本軍のバンザイアタックがこれによって制圧された歴史を考えればかなり重みのあるやりとりだね。全編にわたって糧食や補給の大切さを描いてる点でもわかりやすいけど。

逆のパターンも有る。一話、正体不明の相手から交番に電話がかかってきたシーンがあったけど、あれは天皇が交番に電話をかけた、二・二六事件がベースになってる。史実では関係機関がクーデターの可能性に気付いていながら、情報が伝わらず止めることができなかったのが、作中ではこの電話によって事後とはいえ多くの命を救ってるんだよね。

このアニメは軍事的に「こうするべきだった」あるいは「こうしてはいけない」という戦訓を多数内含してる立場が裏返しになってる部分もあるけどそれがただの意趣返しでなく、物語性を保ったまま失敗の戦史を振り返ることに繋がってるあたり、素直に感銘を受けてるよ。

GATEはいろいろとむき出しな感じなので、その反応によって受け手側の人間が普段どういうスタンスで作品を楽しんでいるかが映しだされるよね。





あんまり関係のない話

解釈の自由をどこまで認めるべきか(あるいは作者はどこまで責任を負い、読者はどこまで責任を負うべいか)的な話

作者へ「この作品のメッセージは?」って質問をするな - Togetterまとめ

うーん。どこぞの人が好きそうな話。わかるようなよくわからないような。でもそんな大げさな話かなこれ。

①言語の問題(そんな簡単に言葉では説明できないので、語りえないものについて、答えを求めるのをやめてください、ということ)と ②コミュニケーションは受動者が主体になるという問題(いくらこちらが言っても最終的に決めるのは受け手なんだから、責任は受け手側で取ってあることを自覚してください)という話が合わさってるだけなんじゃないかな。

だから、作品にはある程度解釈の幅において、多様な解釈を許容する余地があるという話じゃないですかね。その上で、作者がどの程度受け手側をコントロールしようとするか、それとも自由に委ねるか、みたいな話になってくるんだと思います。間違った受け取り方をしてほしくなかったらコントロールはするでしょう。

で、絵画やら音楽やら芸術作品とかはその許容する振れ幅が大きいのかな?「言語」から遠いから。

逆に、アニメやゲーム、ergなど、複数人が集まって制作する商業作品においては、製作者側が伝えようとするものと受け取りての解釈のズレがアホみたいに大きくなる、てのはアリなのかどうなのか。

だから、ラノベやergに関して、あんまり上のような話を錦の御旗にして「己の解釈」はどんなものでも自由だ、とか相対主義を誇張して語る人見るとなんかモニョる。というかそういうこと言ってる人に限って他人の批評はけなすし、自分の批評にケチつけられるとキレるので、自分が可愛いだけなんだなとしか思わない。批評家でもなんでもないネットのドシロウトが唱える相対主義って、基礎的なレベルすらできてない言い訳にしか聞こえない。


においては「企画」というハコにはできるだけ多くの人の意見を詰め込めるほうがよい、と書きつつ、一方で膨らませすぎると制作過程における統制やコミュニケーションのすり合わせには相当苦労するみたいなことを書いていたように記憶している。

だからなんやねん、という話だけどただのメモだから特になにもないです。