この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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私のアレルギー

「気持の強さは関係ないでしょ。勝負を決めるのは戦力・戦術・あとは運だ」
「そうですか?気持が人を強くすることもあると思いますけど……」
「そりゃ多少はな。けどそれだけで戦力差がひっくり返ったりはしない。気合でどうこうなるのは実力が相当近い時だけだ」

(中略)

「勘違いするなよ?俺は気合の乗った熱い勝負は大好物だ。けど、気持の強さで勝負が決まるって言っちまったら、じゃあ負けた方の気持はしょぼかったのかって話になるだろ?
ワールドトリガー12巻 太刀川さんのセリフ)

ワールドトリガー」って他にも名言たくさんあるのでもっと評価されてほしい。


http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2015/09/post-cd21.html

主語が大きいほどヒステリックに傾くため、「わたし」を主語にしよう。そこまでお金をかけて苦しんで生きたいか、あるいは安らかに逝きたいか、二択にするのは単純だが、覚悟を決める準備にはなる。

素晴らしい。主語を大きくしたり、あえてぼやかす文章を書くとヒステリックに成る。誰かの代弁者のつもりになって気が大きくなる。私はそういう文章は意識して書かないようにつとめないと。

私の中では気持の強さ至上主義とか当事者意識をことさらに叫ぶ人には最大限の警戒が必要

為末さんの記事、実際の為末さん自身がそうかはこの文章からではわからないけど、文章そのものは完全に当事者意識のない人が書いてる愚痴でしかないというのは皮肉だなと思う。ぶっちゃけ、あんまりらしくないと思う。むしろ為末さんといえば今までそういうの否定してきただろうに。なにか腹に据えかねることが合ったのかもしれないけれどそれなら具体的にいうべきであって、こうやってぼかしてもっともらしく「当事者意識」なんてクソワードを持ち上げないでいただきたい。一見もっともらしいからものすごく迷惑。でも、自分以外について「当事者意識」なんてクソワードを云々しようとするとだれでもそうなると思う。私はすぐにやる気や勇気や「当事者意識」の問題にしたがる人が好きではない。今回の件で言えば当事者意識については、当事者は当事者意識を持ちましょう以上のことは言えないし言うべきではない。なぜなら他人の内面なんて測りようがないからだ。行為や結果で判断するなら行為や結果を直接批判すれば良い。行為や結果を論じるだけであれば当事者意識という言葉は必要ではないしむしろ害悪にしかならない。。無理に言おうとするとマイノリティー憑依みたいなろくでもない概念しか生まれない。くらいに思ってる。「当事者は手段を選ばない」とほかならぬ為末さん自身が言っている。これは当事者のみのグループは危険。外部は絶対に必要であることを意味してる。東芝の例を挙げるまでもないが、当事者である意識を持つということは、目的のみに対して意図的に視野狭窄になることであり、それ以外の要素(たとえば世間一般の常識)をできる限り締め出すことにつながる。 一点突破を目指す時非常に重要になる一方、ちゃんと全体を見て手綱とる人がいないと事故る危険がある。だからドラッカーは「当事者意識」なんて曖昧な言葉を使わずもっとわかりやすく責任とか真摯さって言葉を使って説明してる。私もこれで十分だと思う。あえて当事者意識という言葉を使う必要がどこにありますか? 責任ある立場にある人が、責任を自覚して真摯に行動せよ、のほうがよほどわかりやすいし正確ではないですか?当事者意識という言葉は、意識という、具体的実体のない内面的なものを問う、しかも責任と違ってその基準が曖昧である。こういう言葉は、批判する側は便利だろうが受け手には無限責任となる危険があり大変迷惑だと私は思う。 責任と責任感の違いに同意するのであれば、当事者意識って言葉に同意できないと思う。何度も言うけれど、当事者が当事者としての責任を果たさないなら、意識をどうこう論じる必要はなく、責任を果たせと要求すればいいだけ。それができないなら、問題なのは責任範囲が明確でないこと。ここで意識を論じ始めると、誰もが相手の意識を批判し始める泥沼状態に成る。自分だけがそこを逃れられるわけがない。 為末さんの記事に同意している人はその言葉が他人から自分に向けられた時のことちゃんと想像できてます?その言葉を使って自分が気に入らない人を批判することばかり考えてませんか?部外者締め出したいなら「責任を負わない人の意見は、参考にすることはあっても応答する義務はない。どうしても自分の考えが重要だと思うなら、参加して責任を持ってください」でいいじゃないですか。当事者意識だのやる気だの危機感だの責任感だの、こういう言葉は、励ます時につかうならともかく、この言葉を人を批判するために使う人のことが私は本当に嫌いです。小田嶋隆さんの受け売りでしかないけれど、ブラック企業批判って多分こういう一件ポジティブだが抽象的すぎて危ない言葉や、前向きポエムが蔓延することによって、どういう空気が生み出されるか、とかそういうことも考えるべきだと思う。 この言葉が「あの人は当事者意識があるね、いいね!」って感じで褒め言葉に使われていたりするなら考え方を改めます。ですが実際には「もっと当事者意識を持て」とか「あの人は当事者意識がない」っていう感じでふわっとした否定や締め付け以外に使われてるのほとんど見ない以上、やっぱ警戒せざるを得ない。これと比べると、今日のスゴ本さんのように「大きすぎる主語はヒステリーを引き起こす。私は私の問題を語るのだから、私を主語とする」という言葉は非常に格好いい。為末さんは、当事者意識が本当に大事だというなら今後はこういう語りをしてほしい。うーんと、つまり私が言いたいことはあれだ。「ワールドトリガー」の12かんの太刀川の言葉が私には大事だと思うんだ。この話でいうと、じゃあどれだけ頑張っても成果出せなかったやつは当事者意識がなかったってことかよ、ということ。己のマッチョな価値観によって、成果だけを見て他人の内面を評価することに疑いを感じない人は、あまりにも乱暴すぎるので私はそういう考え方にはくみしないよって立場を表明しておきたいんだ。