頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

最近のこのブログのお気に入りは「アークナイツ」です
アークナイツ
kindleセールの紹介
新NISA解説ブログ
発達障害

麻枝准作品について大前提として理解しておくべきこと

http://tm2501.hatenablog.com/entry/2015/09/25/172953
私は麻枝准信者ではあるけれど、麻枝准作品にアンチが多いことはむしろ自然なことだと思っている。だからこの記事も否定するつもりは全くない。むしろ青二才さんは自分が感じた違和感を率直に表現していて嫌いではない。

青二才さんの記事へのブコメのコメントで擁護のつもりか筆者批判のつもりかわからないが、麻枝作品に対して興味が無いのか「深く考えずに楽しめよ」とか「ファンタジーにケチつけるな」みたいなことを書く人がいるが、こういうコメントは、そんなことはわかった上で、それでも深く考えずにはおれなかった結果としてアンチになってしまった人に対しては意味のない言葉だと思う。

麻枝さん作品ははっきり言ってベタに見ようとすると超不親切だし完成度が低いです。なにせ、麻枝さんは自分自身にも完全につかめてない、手に届かないものをあえて描こうと挑戦する人だからです。不確かで抽象的なものをかなり描こうとするためにこじつけ臭かったり、強引な展開になることも多いです。 つまり青二才さんのようなベタにリアリティを重視するような鑑賞方法は単純にこの作品と一番相性悪いです。相性悪い方法でこの作品を理解してつまらないというのは、彼が多用する言葉を引用すると「全く生産性がない」行為であり時間の無駄になってしまいます。まあ青二才さんは存在自体から行動すべてが非生産的だからむしろ彼らしいと言えば彼らしいかも?*1

この作品にはこの作品ならではの見方があるので何を重視すべきかは作品にあわせるべきでしょう。(別にどの作品見る時でも自分の価値観にこだわってもいいとは思いますが。どの作品でも1つの鑑賞方法しか持ってない人というのは、楽しめるアニメが極端に限られますよね。それって「こじらせ」なんて格好つけられるものじゃなくて単純に「楽しみ方の幅が狭い人」であって、ドヤ顔できることじゃないと思うけどな―)


ということで、ある人にとってクソだと言われるような作品だとしても、それを楽しんでいる側としては、理解してもらうためにやはり鑑賞方法、あるいは最低限の前提を説明すべきだと思います。参考: Charlotteを「宗教」にしてしまわないために今のうちに考えておきたいこと - Togetter
というわけで、語るべきことはたくさんあるのですが、この記事ではものすごく基本的なことだけ書きます。せめて麻枝准作品において「リアリティ」「整合性」は重要ではないのではなく意図的に否定されているものであり、その「違和感」は目的があってやっていることなのだということを知ってほしい。です。


麻枝准作品を楽しむために大前提として理解しておくべきこと

麻枝准作品に関してはアンチの人たちの言いたいことはとてもよくわかる。否定するつもりは全く無いです。もともとある前提を共有できない人には絶対に理解できないものだから。それは麻枝准作品は寓話だとかファンタジーだとかそういう話じゃなくもっと個別的なもの。

大前提として理解しておくべきことは、麻枝准作品は必ずリアリティから外れて、戯画化した描写をするということ。それから解決されない謎がたくさん残ること。 なぜか。ここが理解・納得出来ないと麻枝作品というのはただの破綻したシナリオでしかない。この時点でダメだという人は、たとえば「ノエイン」のように親切で丁寧な、誰でもわかるようにエンタメとしてきっちり管理されている完成度の高いアニメを見たほうがいいと思う。


麻枝さんは「自分はこういうライターだ」と規定されることを極端に嫌ってるので、あまりこうだと断言するのは避けたいが、ヒントは麻枝准にとっては世界は多層構造でとらえられているということ。


(「恋愛ゲームシナリオライタ論集30☓30」より引用)

作品中で描写される日常は「もうひとつの世界」と現実がまじりあったものになっている。だから、あえて日常に違和感を感じさせるようなあからさまにおかしい描写を入れていてくる。現実の確かさを揺るがせようとする。「こんなことありえないだろ」を感じさせるために「間違い」をあえていれてくるのである。だから、青二才さんが「間違い」に反応するのは自然なことであり、それを「こじらせ」だとか「アンチ」だと思う必要はない。信者だってそこをごまかしてるわけではない。逆に、この「違和感」から浮かび上がってくる超常的なもの、これに麻枝作品は何を描くことを目指しているのか、それを感じ取るのが麻枝作品の楽しみ方になる。
 


おそらく過去に最も麻枝准作品と真摯に向き合われた一人であろうthen-dさんが「麻枝准論」の冒頭で書かれた序文によるとこう。

麻枝准の多くの作品において最も特徴的に現れることは、現在(いま、ここ)の否定にある。このことは、現状に諦念を有し、べつの道に「高み」や強さを目指す志向に現れている。この高みへの志向は、大抵の場合、過去における否定的出来事に寄る視点人物等の記憶に基づき、ねじれた上昇志向となって現れていることが多い

このあたりは作品ごとによって変遷しているので個別に検討してほしい。麻枝准作品を村上春樹作品と関連付けて語る人もいるが、別物であるとはいえ、多少類似点はあるのは間違いない。こういう「作者が見ている世界観」が、自分たちの現実と全く違う、ということを受け入れないと、ただの気取った話として嫌いになる、という構造も村上春樹作品と似てますね。



「作者にとってのリアリズム」と「視聴者にとってのリアリティ」がぶつかるときどちらを優先するかという問題

確か村上春樹が、なにかのインタビューで、どうやってこんな独創的な世界観を生み出しているのですかと聞かれている時に、私には世界はこう見えているからそれをそのまま描いているだけみたいなことを書いていた気がする。(ソースが検索で見つからなかったのでご存じの方は教えて下さい)

作品によっては「作者にとってのリアリズム」を理解することが重要になる。たいていのエンタメ作品は視聴者が気持ちよくなれるように「視聴者にとってのリアリティ」に合わて描かれるが、麻枝准作品の場合は、必ずしもそうではないということだ。視聴者が自分の感覚と一致しない。リアリティを感じないからといって、作者を否定するという姿勢なのであれば、そもそも向いてない。

アンチの人は、自分のリアリティの感覚を優先した、信者の人は作者のリアリズムに共感した。それだけの争いである。決して分かり合えないわけではないと私は思っている。繰り返すが、青二才さんの感覚が間違っているわけではない、のだが、そこから一歩進んで「作者にとってのリアリズム」というものが有るということを知ってほしい。



13話の短いアニメでは麻枝准の良さが生ききらず、違和感や謎だけが浮かび上がって残ってしまうだけになってしまう?

とはいえ、麻枝准の感覚は、13話アニメだと表現しきれないということはだんだんわかってきた。やはりある程度尺がないと「現実の描写の数々に違和感を感じつつもそれに適応していく」という過程がえられないのかもしれない。アニメではむしろ尺を考慮してか、大げさに違和感を強調しようとしすぎて滑ったりぎこちなくなっているかもしれない。

私もAngelBeats!やCharlotteが完成度の高い作品だと思っていない。 アニメの中では、ひたすらに違和感の塊が投げ出され、それがうまく昇華されないまま残ってしまっているように感じてしまうのは当然のことだと思う。 ある程度前提知識を持って、補完しようと努めてなお、納得しきれない。

AngelBeats!はそれほどでもないがCharlotteの終盤はかなりつらいものがあると思う。信者だからといってなんでも肯定するわけではないのでそこはご安心を。


then-dさんの「亡き現在のためのパヴァーヌ」

簡単に書いたけど、本当は、私が何か書くよりも、真摯に麻枝作品に向き合ってきたthen-dさんの論考一覧を読んでもらったほうが良いと思います。

『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』掲載原稿リンク集 - then-d’s theoria blog ver.
http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/maedajun.html

これを読んだ上で、それでもAngelBeats!やCharlotteに突っ込みたいという人は、それはそれで構いません。多分分かる人って半分いないだろうし、それでいいと思ってます。


「Charlotte」について真面目に批判している人がいるので誰か応えてあげてください

Charlotteを「宗教」にしてしまわないために今のうちに考えておきたいこと - Togetter

私の記事も、2ページ目から突っ込まれまくってます。このwaniwaveさんという人、明らかに自意識過剰すぎるキライはありますが*2そういう思い込みが激しすぎるという欠陥を除いては、批判内容は結構理屈が通ってる内容になってると思います。

興味が有る方はぜひ読んでみて、きっちり応えてあげてください。

*1:彼の不幸なところって自分が非生産的な存在であるという現実と向き合うのを避け続けてるから、自分を改善することも受け入れることもできないってことですね。生産的になれとは言わないけど、自分が非生産的な人間であることを受け入れて、それからどうするかを考えないと一生親に寄生してるだけのただのクソデブキモオタニートのまま終わっちゃうと思うんですが

*2:①私はこの人への応答のつもりで記事書いてませんので「私への応答と受け取れるブログを読んだ」と言われても困る。②そもそもCharlotteの話は全然してないのだが、自分がCharlotte批判をしている時に読んだせいかCharlotte擁護の文章だとして攻撃対象と認識している③勝手に私の記事を自分への応答と受け取って反論しまくった挙句「僕はあなたにリプしてないんだからこの反応はナイーブすぎる」と言われてもそれブーメランやろ、と。④ブログ投稿時間と自分の読んだ時間を混同してたりして時系列がうやむやになってるのも、ちょっと落ち着いてほしいですね