頭の上にミカンをのせる

「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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炎上について その1

炎上記事を書く側と炎上記事を書く人をいじる側の対談。
https://www.youtube.com/watch?v=C6a3rHezyTc

ほぼ3年前の動画だけどこんなんあったんですね。ちらっと見ようと思ったら面白くて全部見てしまいました。


これ面白いな、と思ったのは、決してどっちかが悪でどっちかが善みたいな善悪論争じゃないんですよね。
どちらも「ネットでの嫌われ者であるという自覚や覚悟を持って、自分にできることをやっていきたい」って言ってる。

根底としては似た者同士だな、と感じました。

根底として通じあってる人たちが、その上で世代や立場の違いから生じる差異について言葉を交わし合うってのが良いですね。

バカだからこそブロガーとして成功する

・バカだから。愚直だから。おろかで未熟な状態でも書き続けることができているから。

・愚かだからこそ学び、未熟だからこそ成長している実感を持てる。


炎上記事を書く側の主張 =「叩く奴はおかしい」「もっと健全な関心や無関心を」

・出る杭は打たれるの構造(叩いてる人がつまらない)

・叩いている人間の不寛容(多様性を認めない人が悪い)

・社会的問題意識を読んでもらうために強めに言ってるだけ(その程度で腹を立てる人は短気すぎる)

自分は公益性を意識している (すっごくうんざりしますが本当らしいです)


その他

「人々が社会性豊かであることが嫌」=「みんなが社会性投げ捨てて個人の思いをぶちまけあう世を希望」
「社会への復讐のつもりで書いている」
「社会を軽蔑しつつ社会から尊敬されたい」
「自分がサンドバッグになっても平気な顔して生きているのを見て
 他の人も炎上なんて恐れることはないと思って自由に発言してほしい」

世の中やネットが、自分さん基準になってほしい、という願いですね。
ブロガーを「芸術家」のカテゴリに入れて語っているのが印象的でした。


炎上記事を書いた人をいじる側の主張 =「わかってて煽ってますよね?」

・文章の真意が伝わらない →文章力の問題?

・「反社会性」に同意が得られない →説得力のある文章がかけない?

・論述が雑で隙がある →論理的思考力が弱い?

・反論の余地が大きい →思索を巡らせる範囲が浅い?

・読み手の生き方や価値観を踏みにじることがある →自分の立場からだけで考えている?

・社会性豊かに生きたいと願う人達から嫌われてしまっているのではないか?



どれだけ努力しても反感を買うのは避けられない。そういう時どうするか? 嫌われた時にどうするか?

書き手は未熟で愚かだから、どうがんばっても雑な理論をしてしまう。それによって嫌う人が出てくるのは必然。それわかってて書くんだから、嫌われものであることは受け止めて嫌われ者だからこそできることをやっていこうと意識する。

「どうやったら読んでもらえるのか考えた時に一番大切なのは笑うこと。」つまり反応を受け止めながら、自分自身が変化していくことによって自分がコンテンツになっていけばいい。


大事なのは「多くの言葉を多くの人に伝えるには」という意識を常に持つことだ、という点は両者共通していました。