この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。当ブログでは記事を読まずにはてなスター頻繁につけに来る人はお断りです

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自分の好きや嫌いには正当性や絶対性など求めないほうが良い

ろくでもないことしか書けない状態は今週で終わりにしたい(挨拶)


「先輩を尊敬しているんだな。駿河

お前はそうやって気を張って、俺のことを嫌いでいつづけないと、俺に対して否定的な気持を持ち続けないと、大好きな先輩に不実を働いている気分になるわけだ…。だが無理だぜ。俺はお前を騙さないし、オマエに害をなすつもりはない。だからオマエは俺を嫌いになれない。

好きな奴がオマエのことを好きになってくれるとは限らないのと同様、オマエの嫌いな奴がお前のことを嫌いになってくれるとは限らないんだよ。そして、嫌われてくれるとすら限らねえんだよ。マンガとかのキャラクターじゃねえんだぜ?嫌なだけの人間はいない。悪いだけの人間はいない。」

西尾維新 「花物語」より。



さて、自分が嫌いな相手を見つけた時、自分が相手を嫌いになった時、相手を「敵」認定した瞬間に態度が豹変したり、非常に頑なな態度を取り出す人がいる。


「相手は敵だ」
 →「??」
  →「だから、自分が相手を嫌うのは正当であり絶対である」

という三段論法を埋めるべくこの「??」のブラックボックスを創りだそうとする。この時に使われるのが「投影」だ。

「投影」projection (反対は「取り入れ」introjection)
投影とは、自分自身の中にある受け入れがたい不快な感情を、自分以外の他者が持っていると知覚すること。例えば、自分が憎んでいる相手を「憎んでいる」とは意識できず、相手が自分を憎んでおり攻撃してくるのではないかと思い恐れる、自分が性的な欲望を感じている異性に対し、相手が自分に情欲を感じていると思い、「誘惑されている」と感じたりする。


①「自分から嫌われるような態度を取って、相手がそれに反論したり怒ったりしたら、ほらやっぱりこいつらは俺のことが嫌いなんだということにする(傍からは自分から嫌われるような態度を取っているのだが、その人にとっては「敵が存在する」ということ自体が自分への攻撃という形で合理化される)」というもの。

例えばこんなふうに。
http://togetter.com/li/897037


②もう一つは、相手がいかにひどい人間であるかを強調する。

たとえばこんなふうに。

https://twitter.com/T_akagi/status/663592163222011904

http://megalodon.jp/2015-0603-1718-08/bern-kastel.hatenablog.com/entry/2015/06/03/053000

過剰に相手を敵視して攻撃的に成るのは自分にそういう要素があって、それを相手に投影するから。



他人の気持ちを考えるのは鏡を覗いているのと同じことだ - 最終防衛ライン3

カイジ利根川。俺が蛇に見えたか」
利根川「蛇だろうが」
カイジ「そうか。ならお前が蛇なんだ」
利根川「え?」
カイジ「こんなふうな物言わぬカードを使っての心理戦は鏡を覗き込むようなもの。相手の心を読んでるつもりが、気がつけば自分ならどうするかという自己への問いかけになり、いつしか読みもくそもなくなる。つまり俺が蛇に見えたお前こそ蛇なんだ」

トンデモさんは自分に当てはまる言葉で他人を批判する - Skepticism is beautiful

他者理解を伴わない(つまり、議論相手用のスキーマを形成する努力をしない)批判をするのならば、懐疑論者だってそうなるのだ。トンデモさんとの違いは目立つか目立たないかといったところである。結果的に、こういったタイプの批判をするときは、自分のスキーマをさらすことになっている。それは、批判でも議論でもなく、自分語りに過ぎないかもしれない。

余談。上の話とは関係ないけど今の「障害」ってこんなんまであるのか。

反抗挑戦性障害 - Wikipedia

これらは、通常の発達上のアイデンティティ確立のための、成長に必要な反抗的な行動とは異なる。反抗挑戦性障害は、環境が変わっても持続する

これって結構扱い難しいと思うけどな。