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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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承認欲求に語る際の基礎となる話まとめ

一時期は結構議論が盛り上がって蓄積とか会ったと思うんだけど、最近の承認欲求の議論プレイヤーが入れ替わったせいか、また蓄積ゼロの状態で語感を弄ぶだけの記事が増えて議論がものすごく後退してる感じあって残念だったので一応元のラインまで戻しときたい。

ちなみに「承認欲求の語句の起源」みたいな話は議論に直接使うことは少ないと思ったので省略。別の記事にまとめてるのでそっち見てください。

1 まず「承認をめぐる病」の弊害について

個人的にあまり好きな本ではないので自分では感想を書いていない。下記記事が非常によくまとまっている。

「承認をめぐる病理」は、次の3つに帰結するという。「承認への葛藤(ひきこもり)」「承認への過剰反応(境界性人格障害)」「承認への無関心(アスペルガー)」だ。

http://yamayoshi.hatenablog.com/entry/2014/01/17/215541

「承認の病」を回避する方法としては、次の3つが挙げられている。
①他者からの承認とは別に、自分を承認するための基準を持つこと
②“他者から”の承認以上に、“他者への”承認を優先すること
③「承認の大切さ」を受け入れつつも、ほどほどに付き合うこと

2 承認欲求のより詳細に理解するための分類

「他者承認」・・他人から認められたい
「自己承認」・・自分自身の判断を元にする欲求。「理想の自分」「現状に満足」
「上位承認」・・他人よりも上位に認められたい
「対等承認」・・人並みに認められたい
「下位承認」・・人から蔑まれたい

などがある。

たとえばダイエットをする動機が
人に素敵だと思わせたいなら「他者承認」
理想の自分になりたい なら「自己承認」

承認欲求と言っても相手がどういう承認を求めてるかの考察が必要。


3 承認欲求の枠だけでは捉えられない問題があることを知り「自己愛」の枠組みに広げる

個人的には明らかにコフートの自己愛の方がわかりやすい。

1.鏡映自己対象によるもの  …他人から承認されたい

2.理想化自己対象によるもの …理想とする人物との一体化

3.双子自己対象によるもの  …他者との共通点を見つけて満足を得る

http://rootport.hateblo.jp/entry/20121102/1351863296

最近議論されてる承認欲求が「鏡映自己対象によるもの」だけに限られているのがわかる。
ミニマリストたちの行動原理はをこれで考えると意味不明であるが、あれは「理想化自己対象によるもの」と「双子自己対象によるもの」の合わせ技だったと考えると死ぬほどわかりやすい。これはリアルでは当たり前のことであり、むしろ「鏡映自己対象によるもの」のみにとらわれるのは不自然であるとさえ思うが、「承認欲求」という言葉が独り歩きしているせいでなかなか議論がここから抜け出せずにいる。

また「鏡映自己対象によるもの」以外の満たし方を知らない人が、一生懸命「鏡映自己対象によるもの」の基準のみで自分は認められているアピールしてしまうのも、この「鏡映自己対象」しか知らない故の悲劇だと思う。


4 「承認欲求→貢献感覚」へのシフトを促すアドラー心理学もヒントになる

嫌われる勇気03 承認欲求を持ってはいけない - この夜が明けるまであと百万の祈り

「承認欲求」を求める弊害として「安直な優越性の追求」をあげています。

承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚を持てておらず、自己受容や他者信頼、他者貢献ができていないのです。

良き承認欲求とは「周りの人間を仲間と思いながら、他者に貢献しようとする感覚」であり、悪い承認欲求とは「周りの人間を敵だと思いながら、その人達から承認を得ようとする感覚」

発送の転換。

なんでいきなり承認を求めるところから始めるのだ、と。
承認ってのはまず自らが何らかの貢献をすることが前提にあるんじゃないのか、という発想。
承認について論じるならその元となる「貢献」を論じるべきであろう、と。

自分が誰かに貢献出来ていると感じていれば「承認されてるかどうか」という悩み自体消えるというストロングスタイル。


はてなブログにおける「賽の河原」状態はなんとかならんのか

以前はここらへんまでは議論が積み重なってたと思うんだよね。
でもはてなブログって基本的に他人の意見を参照して記事書く人ってアニメ界隈以外ではほとんどいなくなったような気がする。この地点より前に戻らないようにするにはどうすればいいのかな。

かつてはsirouto2さんという、ネットでの議論をすごく丁寧にストックしてくださる神のようなお方がいて、こういった議論の蓄積が風化することが防がれていたと思いますが、そういう人が去った後のはてな賽の河原状態になっちゃってるのかな。今では「最終防衛ライン3」の人と、ときどきカトゆーさんが神のような記事を書いてくれるけれど、それが無いときは、ほとんどみんな思ったことをゼロから思ったように書いてるような。敷居は下がって良いかもしれないし、ゼロからかくからこそ個人の想いが前面に出た顔の見える記事を読めるようになってるので一長一短かなとは思うけれど。さすがに「承認欲求」みたいなバズワードで何回も同じこと繰り返されるとイラッとする。

twitterでの議論はtogetterという存在によってある程度過去へのアーカイブが容易になっています。コメント欄が汚すぎるためリアルタイムでは罪の方が大きい気がしますが、長期的には功が大きいサービスじゃないかなアレ。はてなはもうそういう機能がなくなってしまって、「一部の人がそれを覚えてて時々はてブで捕捉してくれる程度」な気がする。

はてなのレベルが落ちた」って言う時に、人のレベルが落ちたことを嘆くのってなんかすげえアホらしいと思うんですよ。なんで人のレベルが落ちたかって、やっぱり「はてなはてなたるインフラ部分が個人の有志頼りだった」のがすっぽり抜けちゃったってのも大きいんじゃないかな、と。 で、それを埋めるような仕組みが今のところ足りてないのかな、と。 

はてなブックマークニュースってすげえ無難な話題しかまとめないし、まとめろとも言い難い。「裏はてなブックマークニュース」の運営の実現を求めてやまないけれど、難しいのかな。そこで「じゃあ私が頑張る!」って言えればいいんですけどさすがに私には荷が重すぎるよ……。こういうのって運営側でなんとかならないのかなぁ。



おまけ できればこういう話題は「承認欲求以外のキーワード」で語って欲しい

何回か繰り返してるけど「承認欲求」ってワードが嫌いなんですよ。この言葉を使うとみんなが頭悪くなるような気がする。ぼんやりしすぎててあんまり深く議論するのに向いてないと思う。斎藤さん私より遙かに知識あるはずなのに、いまいちパッとしない記事になったのは多分この「承認欲求」ってキーワードに縛られたからだと思ってる。

なので、この話は別の言葉使って語ろうよ、と。
私は承認欲求って言葉使わずにダイエットに語ったこの文章とかすごく好きです。

え?太ってるのが悪いんじゃないよ?
デブが理由で不幸なのがダメだったんだよ、私の場合。
いるじゃない。太ってて幸せな人。それは正しいの。痩せて逆に不幸になったら無意味なの。
痩せるのが目的じゃないんだよ。 楽しくとかさ。自分が好きにとかさ。キーワードあんのよ。


昔さ、仕事で痩せた人をみて分かったの。
ダイエット本出しておいて、リバウンドでものすごく太ったタレントがいたんだよね。
その人が後々のインタビューで言ってたの。
「私にとっては、食べられることが幸せ」なんだって。
子供の頃に親の事情で親戚に預けられて、くったくなくお菓子を食べているいとこと遠慮してしまう自分を比べて「ああ、おうちでおもいっきり食べたいなあ」って気持を強く持ってたんだって。その人の食べたい気持には「楽しく」が入ってたと思うのよね。だから、食べて太って幸せならそれでいいのよ。でしょ?


私はさ、デブな自分が嫌だったから痩せた。
それで笑えるようになったし、わかったこともあったでしょ。だからやせてよかったの。
そういうのなしにただ痩せただけだったら、きっとリバウンドあったなぁ

だから、○○君が△△をやめて笑えてたんならそれでいいの。
△△をやめるのが悪いんじゃないの。 それで笑えなくなるのが問題でね。
つらくなるだけだったら間違いなんだよ。

△△やめて楽になるんだったらそれはそれでいいんだよね。
でも☓☓くんは違ったでしょ? だから帰ってくると思ってたよ。

お帰り。ねえ、自分で選んで帰ってこられるって、実は幸せだよね。