この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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「やさしいセカイのつくりかた」  モラトリアムという苦しい期間の生き延び方

「子供の頃はこの世の不条理にさえ何か理由があって、大人になればなんだって理解できるようになるって信じてた。だからはやく大人になりたかった。けど、大人になった今でも理解できないことは増えていく一方だ。だからオマエも急いで大人になる必要なんて無い。」
「うん。わかってる。それでも私は早くおとなになるよ。先生があたしのこと助けてくれたみたいに。今度はあたしが先生を助けてあげる。ずっと、そばにいるよ。そしたらもう、寂しくなんて無いでしょう?」

物理学の分野で将来を嘱望されたエリートだった主人公が一度キャリアで挫折を経験して大学を飛び出した後、一時的に糊口をしのぐため女子校に赴任し、そこで女子高生の手助けをしたり交流したりするお話。

作品の構造としては「ばらかもん」と似ているし、もっといえば「これなんてerg」ってやつである。「ばらかもん」はerg臭をうまいこと脱臭しているがこちらはその空気が強く残っている。

この作品の場合、テーマは「思春期」というよりは「モラトリアム=自分の将来を判断し選択するための大事な期間」である。外部から見ると「何にも縛られず遊べる時間」や「ゆとり」のように見えるが、実際この期間にいる人間は、

①現状に大きな課題を抱えてそれと向き合うという重圧
②さらに将来に向けて自分がどういう選択をしなければいけないという不安

に苦しんでいる。主人公を含め、それぞれのキャラクターがどうやってこの2点と向き合っていくか、その際に友達や先生、大人や先輩といった他人はどういう役割をはたすのか、そういったことを丁寧に描いていて非常に好感が持てる作品だった。


厳しいセカイ=「今」を生き延びるために精一杯で、自分以外や将来のことに向ける余力が持てない

今抱えている不安とか悩み事なんかは後何年もしたらつまらないことでばかみたいだったと笑い話にできるのかもしれない。けれど、17さいの私にとってそれは世界を構築している全てで。その殻の外を望んだ先に、重ねた業が跳ね返ってくることは理解していた。傷つくのも傷つけるのも。今でも怖い。それでももうざわめく声に立ち止まったりしない。私はこの先の世界を選んだのだから

大人にとっては簡単な問題でも、17歳の時にはとてもむずかしく感じるものだ。ましてこの作品のキャラクターは、みんな大人でも解決が難しい不条理に翻弄されて苦しんでいる。そしてその苦しみに対して「しかたがないこと」「世の中にはよくあること」「私だけが不幸なわけじゃない」として折り合いを付けてしまっている。


なんとか今を生き延びるために、今の状態にすべてを費やさざるを得なくなっている。大人たちは気楽に「将来のことを考えろ」というが、すべてのエネルギーを今に費やさざるをえない現状ではそれはとてもむずかしい。ちょっとした問題が起きたらすぐに今が崩れ去ってしまう状態では心の余裕もなくなる。だからいろんな問題があっても「仕方がない」として向き合うことを避け、やり過ごし、誰かに押し付けるしかない。自分を押し殺し、友達にうそをつき、家族から逃げ、教師を警戒し、その場しのぎでなんとかかんとか1日1日を凌ぎきるので精一杯。余裕が全然ない。

もちろんそんなことばかりをしていて、自分に自信をもったり自分を好きになることは難しい。そのために他人に依存したり、逆に自分より弱い立場の人間を蹴落とす方向に走る人達もいる。そういう人達が増えてくると、だんだんと世界が優しくないものに見えてくる。

生きていく上で「戦い」はある。何かをなしたい。壮大であれ些細であれ、そこに困難が伴うならそれは戦いだ。たとえば学問を修めることだったり、ただ今日一日をよくいきることだったり、恋をすることとか。そんなふうに自分の人生のために費やされるべき戦う力を、人生の外からくる強大な力への対処に割り当てねばならない。それが戦争だ。「戦争のせいで」「戦争があったせいで」人生を十全の状態で戦わせてもらえない。それが戦災だ。そうやって、戦う力をすり減らされ弱体化すれば、さらなる戦災を被ることに成る。抗うべきものに抗えず、歪んだ戦争の残滓に屈してしまう。不条理を受け入れてしまう。人々が生きていくための戦いのルールが、戦争という巨大な力でネジ曲がって何でもありになっている。

やさしくないセカイで、それでもやさしくあろうとする少女たち

この作品で出てくる少女は、こういう「やさしくない」世界観を持ちつつ、それでも踏ん張って他人に優しくあろうとする。

このあたり一時期流行った「可哀想だから、男の主人公が助けてあげなくてはいけないergヒロイン」とは一線を画している。彼女たちは可哀想な存在などではないし、自分たちの意思で、自分たちの周りの世界だけでも優しくしようとしている。近視眼的ではあるけれど生きるために自分たちで努力している。

ただ、そのためにいろんな形で傷ついたり自らを犠牲にしてしまっている。いろんな形で自己犠牲を払ってなんとかセカイを維持している彼女たちは見ていて非常に痛々しい。

私たちの世界にはときどき「猫の手を万力で潰すような邪悪なもの」が入り込んできて、愛する人たちを拉致してゆくことがある。だから、愛する人たちがその「超越的に邪悪なもの」に損なわれないように、境界線を見守る「センチネル(歩哨)」が存在しなければならない…

http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20071115/1195140305

彼女たちの尊厳は大事にされるべきではあるが、しかしなんとかならんのかという感想になる。


「大人」の役割について

たとえそれが必要なことで、尊いことで、また本人の意思で行っていることで、それは少女が引き受けなければならないものなのであろうか。他の、もっとうまくやれて、余裕がある人が代わりに引き受けることはできないのか。誰かが問題の解決の方法を知っていたり、その手段を持っているなら少しだけ手助けしたりすることはできないのだろうか。


この点において、この作品の主人公は面白い。決して道徳的な人間ではない。むしろ非常に「わがまま」な人間である。だが、「わがまま」だからこそ「もったいない」ことや「自分が納得出来ないこと」は許せない。学校も女の子も「世の中こういうものだ」「仕方がない」とかに抗う。女の子が可哀想だから助けるのではなく、自分がそうしたいから、自分が納得したいから、自分にとって納得出来ない行動をしている女の子にちょっかいを出す。

その結果として、この作品ではいろんな形で女の子に変化が起きていくのを見るのが非常に楽しい。この作品の女の子はみんなめっちゃ可愛いので、それが幸せそうな表情してるだけで見てるこっちも幸せな気持ちになる。




余談として他にも「才能」に関する話があり、このあたり最近プッシュしてる「サクラの詩」や、古い作品だけど「星空☆ぷらねっと」と通じるものがあって個人的にメッチャクチャ好き。