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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「いじめはなくせると思いますか?」 ムリダナ(・×・) と思ってしまうマンガ「傷だらけの悪魔」

タイトル身も蓋もないですが正直なところそう思ってます。その上でどう考えるかが大事なんじゃないかと。


いじめがテーマのマンガ「傷だらけの悪魔」というWebコミック読みました。

傷だらけの悪魔 | 澄川ボルボックス -comico(コミコ)マンガ / タテ読み!タダ読み!人気のオリジナル漫画が無料読み放題

この作品は「いじめ」ってどうやって発生するのかという話について「一つの学校のスクールカーストにおける権力関係の移り変わり」に原因があると考えていじめを描いているように思います。

「いじめ」という悪が独立に存在するわけではなくて、この作品の舞台においてはみんなどうしても権力争い(生存競争)をする必要がある。「争い方」が教育されてない集団においてその権力争いを放置しておくと、闘争の手段としていじめという原始的な「手段」が用いられ始める。

その結果として

・いじめられっ子が強くなるだけではダメ。恨みが解消されないから。
・いじめられっ子をかばってもダメ。ターゲットが切り替わるだけだから。
・いじめっ子をやっつけようとしてもダメ。猿蟹合戦じゃないけどいじめっこがいじめられっ子になるだけ。

こういう展開が繰り返され、状況が変わっても常にいじめられっ子は発生し続けます。いじめられっ子は入れ替わるけれど、いじめられる子がなくなるという希望は一切持てないんですね。「こうすれば解決する」が見えない分、読んでてしんどいかもしれません。純粋に作品として読んだ時にすごく面白いかというと微妙なところなんですが「いじめ」マンガとして今のところ非常に丁寧で真剣だなと思って読んでます。
 
「LIFE」は勧善懲悪が行き過ぎた上に後半ギャグみたいなバトル作品になってしまったので、この漫画は最後まで丁寧に描いていってほしいなと思います。

「ライフ」 山程文句言いたいけど間違いなく面白かった - この夜が明けるまであと百万の祈り



ここからは作品とあまり関係ないいじめに関する思考メモ。バラバラだしまとめてないので読みたいところだけ読んでね。


原始的な共同体において「いじめ」が発生するのはむしろ当たり前

この作品のテーマは「いじめはなくせると思いますか?」なのですが、
読んでみて「この作品の舞台ではムリダナ」という感想になりました。

今適当に考えたのでいろんな要因は有るのでしょうがとりあえず思いつく話で言うと

①その空間にいる人間が「気に入らない人間がいた時に無視できない」限り
②その空間に負の感情が蔓延していて「いじめより優れた発散法を持っていない」限り
③その空間のコントロールする存在して「いじめをすることが割に合わない」という状態になっていない限り
「強い奴から弱いやつの攻撃」という形でいじめは発生すると思うからです。


①については
「空間が過密・ウェットすぎる(人口密度)」
「メンバーの感情制御や対人能力が未熟であるか、空間内で発生する問題がメンバーの解決能力を超えている」

②については
「全体あるいは各個人が目的を持たない(マネジメントの不在)」
「日頃から鬱憤を抱えていてその処理方法を持っていないか、禁止されている(禁欲的な戒律や厳しい校則など)」

③については
「これはいじめであるかどうかという自覚を持てる程度の教育」がされている。
「法の統治」の不在。

という感じでしょうか。


この作品は今のところすべての条件でアウトです。
子どもたちが幼くて感情を制御出来ないクソガキであるのはまだ子供なのだから当然としてそれを補うための大人の存在も教育も不在、そういう「集団としてのレベルが低すぎる」の状態では、どうやってもいじめはなくならないと思います。

最終的には結構いくところまでいって取り返しの付かない犠牲が出るか、途中で「3月のライオン」のような大人が登場しないかぎり収まらないんじゃないかなあ。



いじめが起きるのは子供が悪いのか? 大人が悪いのか?

法や道徳の教育が十分でない子供なんて普通に考えたら「万人の万人に対する闘争」になりますよそりゃ。「万人の万人に対する闘争」だったらいじめはいじめじゃないんですよ。生存のために必要な行動を取ってるだけなんだから。むしろ、馬鹿正直に「いじめはよくない」なんて考えてしまう良い子こそが犠牲になる。ちゃんと教育されて「他人をいじめてはいけない」と考える子の方が割を喰うような運営しかできてない学校はほんとダメだと思います。

いじめが起きるのは子どもたちのせいじゃなくて、そういう運営しかできない大人が悪いです。大人がキャパシティ足りないならそれを認めて警察の介入を受け容れるべきなんですが、それが実質できない状態なので大人(教師)もほんとに辛いのですが。そういう運営状態の学校って誰も幸せにならないんですよね。

そういう学校ってブラック企業と同じなので、子供が再起不能になったり過剰適応して人の心を失う前に逃げれたらいいよね……。

傷だらけの悪魔 | 第27話 近藤千穂④ | 澄川ボルボックス - comico(コミコ)マンガ / タテ読み!タダ読み!人気のオリジナル漫画が無料読み放題


共同体のレベルとか考えてみると…

LV1 学校の教室運営が本当にずさんなら「学級崩壊」します。ガチで世紀末ヒャッハー状態です。最近話題になったようなプロフェッショナルがいればともかく、そういうのが無い限りは取り返しがつかないでしょう。
学級崩壊した後の学級担任|小学校非常勤講師のブログ


LV2「いじめ」が発生することによって秩序が成り立ってる状態は共同体のレベルとしてはひとつマシかもしれません。「供犠システム」は原始的な共同体では必ずといって良いほど採用されてきたことです。「原始的な共同体では集団を安定させるために必ず生け贄が必要となる」と言うのは歴史の必然です。それに対して何の手もうたずに子どもたちに共同体を運営させたらそりゃ「いじめ」は発生しますよと。

LV3 その次に「女王の教室」や「よいこの黙示録」のような宗教的な集まりがあったりするような気がします。

このあたりのレベルまでは大人に依る介入が絶対的に必要になってくると思う。漫画作品のいじめモノって教師がが不在であるか、あるいはどうしようもないクズ人間として描かれるものばっかりでげんなりする……。


で、このあたりのレベルを乗り越えて初めて、
そこから先は子どもたちの発達段階に合わせて対応を変えていくことに成るんとちゃうかな、と。

http://rzt.sakura.ne.jp/shinri/001050/001117/

第一段階 罰と服従への志向
第二段階 道具主義的な相対主義志向
第三段階 対人的同調、あるいは「よいこ」志向
第四段階 「法と秩序」志向
第五段階 社会契約的な法律志向
第六段階 普遍的な倫理的原理の志向

最初から第四段階以降を求めるのも論外だし、第一段階と第二段階すっ飛ばして第三段階を強いられるのもいじめの原因かなと。
窮屈でもちゃんとこういうの学び取っていかないと、はてなブログでも何段階かすっ飛ばしてる人を見かけます。


私のいじめ観に強い影響を与えた二作品

「コミュニケーション不全症候群」の金魚の話と石原吉郎の「ペシミストの勇気について」が形づくっています。いじめについての様々な本を読んだけれど、結局この2作品を上回るインパクトを与えてくれるものはありませんでした。そのくらい自分の考えはこの2つの作品に影響を受けています。

ユリ熊嵐を見る前に「ペシミストの勇気」 - この夜が明けるまであと百万の祈り

すこしでも弱い者を死に近い位置へ押しやるのである。ここでは加害者と被害者の位置が、みじかい時間のあいだにすさまじく入り乱れる。加害と被害の同在という現実。加害と被害が対置される場では、被害者は<集団としての存在>でしかない。被害においてついに自立することのないものの連帯。連帯において被害を平均化しようとする衝動。被害の名における加害的発想。集団であるゆえに、被害者は潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。しかし加害の側へ押しやられる者は、加害において単独となる危機にたえまなくさらされているのである。

よくいじめは傍観者も悪いとかいうことが言われますが、あれは私の感覚からすると違うと思う。傍観者も、加害者でもあるが同時に被害者なのだ、いじめが行われる場では加害と被害が同在してるんだと思わない限り理解はできないと思う。ユリ熊嵐の「透明な嵐」ってのはそういうことでありこのコトバ引用しても「集団」を加害者としか見れない人は多分全然わかってない。「傷だらけの悪魔」においても、いじめを止められないけど加担しない人間を「偽善者」として罵る人間がいるけれど、こいつホント何もわかってねえ、と思いました。ちなみに人を「偽善」と罵るその人物は後にいじめっ子の主導者になってました。


あとは先程も触れましたけど「3月のライオン」の6巻~7巻あたりは絶対読んでおいたほうが良いと思う
3月のライオンの描いた「いじめ」と、自分のかかわった「いじめ」を絡めた話をする - いつかたどり着く