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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「楽しませてもらう」モードから「他人を楽しませる」モードの切り替えについて

http://anond.hatelabo.jp/20151230153042
全部に賛成するわけじゃないがここだけグッときた。

「あなたがその時間を「楽しくない」と感じるのは当たり前のことだ。
その時間は「あなたを楽しませるための時間ではない」。
あなたという存在が、親戚を安心させ、楽しませるための時間なのだ」

常に自分が楽しいか、楽しませてもらってるかどうか、だけで考えてると判断を間違う時がある。

どんなオフ会に参加してもレポ書く時に文句言う人いるよね。「楽しませてもらえなかった」「こういうところがダメだった」と消費者や批評家目線でくどくどと書く。自分のブログは絶対ケチ付けられたくないって思うくせに他人のブログには気軽にダメ出ししてしまう。

自分が参加者の一人だっていう意識がない。他の人だって自分と対等なんだって気持ちがない。もちろん参加者だからってみんなが馴れ合いでほめあって問題点を指摘しないってのもどうかと思うけれどまず自分も参加者の一人だったって認識をもつべきなのにそれが最初から無い。自分は状況に何ひとつ影響を及ぼせないって認識で参加する。交通費払ったり参加費払ったんだから主催者が頑張って自分を楽しませて当たり前だと考える。自分が場の中心で手取り足取りかまってくれて楽しませてもらえないと不満になる。 そういう人に限ってコミケは全員が参加者なんだとか言ってたりするので苦笑してしまう。

こういう態度をさして、内田樹さんというおじさんが「下流志向」だという言葉で言ってて、すごく納得していた時期がある。


「他人を楽しませるモード」になるのは私には簡単じゃない。少なくともあんまり自然にできることではない。

ちなみに。理性と感情は別である。 ここまで理屈ではわかっててもやはり文句言いたくなったりする。他人事ならそういう風にわかったようなことを言えるけれど、自分事になるとそんな人達に共感してしまう。なぜならかくいう私もコミュ障だからね。下手なオフ会に参加したら一言も発言できずに終わってしま帰宅後死にたくなるとか普通にあるからね。しかも、学校の先生に期待してないくせに学校で起きるすべての問題(個人的問題も含む)の責任を教師に押し付けるガキのように、あまりの苦しみから主催者や他の参加者を恨みたくなったりしたことありますよもちろん。



とりあえず「楽しませてもらう」モード以外に「他人を楽しませる」モードが必要な時があると意識する

「自分から楽しませる」ことによって人と親しくなれるきっかけが増えるのに、親しい人にしかそういう態度を取れない。こうなってしまうとデッドロックがかかって前に進めなくなってしまうよね。常に誰かに楽しませてもらうこと、誰かに認めてもらうこと、そういうことばかり考えていると、はてなでは「承認欲求ガー」と言われちゃう。踏んだり蹴ったりになってしまう。


「嫌われる勇気」って本がベストセラーになってましたが、実を言うとこの本で言ってるのはこれだけです。
時々でいいから「他人を楽しませる」モードにシフトしろって。それを楽しめるようになれって。それ以外はすべておまけです。

嫌われる勇気03 承認欲求を持ってはいけない - この夜が明けるまであと百万の祈り

貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、結局は他者の望み通りの人生を歩まざるを得ません。承認欲求を通じてえられた貢献感には、自由がない。われわれは、自由を選びながら、なおかつ幸福を目指す存在なのです。もし本当に貢献感が持てているなら、他者からの承認は要らなくなります。


ま、こういう言葉でないにせよ、似たような言葉で同じ話はみんな聞いてるはずです。で、思い返してみたら意識せずに「楽しませるモード」ができてる時は結構あると思います。ただ、苦手な状況になればなるほど「楽しませてもらう」モード(受け身、相手待ち)になってることが多いと思う。いやだって、そりゃしょうがないでしょ。苦手なんだし。間違ったたら恥ずかしいし、嫌われるかもしれないし。

それでもそういうことを心配すんなって。そういう時こそ意識してやったらいいじゃんと。やらないよりはうまくいかなくてもやったほうがいいよって思えるかどうかですね。まぁ、そこでまたすぐ見返り求めたら台無しですけどね。あくまで「他人を楽しませる」モード自身を楽しめるようにならないとダメですよ、という話ですね。



当たり前の話では有るのですが、ちょっと冒頭の言葉がなかなかイカシテル(死語)だと思ったのでささっと書いてみました。