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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「願望の投影」と「事実」「分析」の区別はつけよう

分析したつもりだけれど、内容が願望の吐露になっているだけのことはよくある。感情がニュートラルな場合に対してはあんまりないけれど、「好きな相手」「嫌いな相手」に対しては意識しないと簡単に分析をしているつもりで実際はただの願望の投影になってしまう。


①自分の気に入らないことを言ってる奴に対しては否定的なイメージがすぐに浮かぶ。たとえば自分の記事を批判してくる奴に対してノータイムで「嫉妬してるだけ」「相手は自分の文章を理解する能力がない」なんてことが浮かんだら赤信号。「相手に嫌なやつであって欲しい、相手は自分より劣った人間であるに違いない」という気持ちが働くのはしょうがないが、それは本当に事実だろうか。


②自分が好きな相手(さらにいうと「自分がこの人に好かれたいと思う相手」)についても同様だ。あの人は「自分が得意なことや自分の属性を好むに違いない」とかもっとストレートに「あの子は私が好きに違いない」という勘違いは恋愛マンガでよく描かれるが、コレも仕方がない。むしろ多少は勘違いがないとしんどいだろう。


ちなみに、こういう誤解は別に悪いことではない。別に思うだけなら自由だ。しかし、それを確認するステップを飛ばしていきなり言葉に出したり、それを前提に行動する人は見てて怖いなーと思う。誤解を避けるためには「事実にもとづいて話す」よう意識するか、「本当にそうであるか確認」をすればいい。必要な手続きを踏む前にあたかもそれが事実であるように語るから揉め事になる。



そして、揉め事になるような発言を平気でするような人に限って、それに対して文句を言われると①や②が発動する。嫌いな人は偏見で跳ね返し、自分を肯定してくれる人の意見ばかり求める。

ツッコミというのは、予め受け容れる覚悟や準備ができていなければ受け入れられない。ブログで批判された後にキレ気味に①や②のような態度をとっておきながら「批判であれば私は喜んでうけいれるけど…」と言ってる人いるけど、その文章中に①や②のような要素を多分に書いておいて、そんなことを信じてもらえると思ってるのだろうか。

とはいえ、嫌いな奴については執着しないのであれば偏見でもってバッサリ切り捨てるのも良いと思う。別に誤解したところで一生関わりがないのであれば特に支障はない。だが、誤解したままその人に嫌悪感を持ち続けたり、関わり続けるのはやめよう、くらいかなと思う。





事実や分析ばっかりも味気ないので、必ずしも願望を否定するつもりはないのですが、うまく書けなかった……。

http://tyoshiki.hatenadiary.com/entry/2015/10/21/173140

あいつのすごいところは瞬発的に妄想に浸れる。そこだったんですよ。その妄想を現実に応用して人を○しちまう。まさにバケモンですよ。本当の過去の事実は60%くらいで、あとの40%は、○す相手に見合った妄想を意図的に創りだすんですよ。だから彼の瞬時に出てくる妄想は事実と作り話が混ざってるんだ。そうなんすよ。そのブレンド加減が絶妙なんですよ。へへ・・・・・

人はたった40%の妄想で人を○せる。