この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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ラノベ原作アニメに見る「テンプレ」の必要性と功罪(途中で飽きた)

当ブログは「月見月理解の探偵殺人」の作者である明月千里先生の「最弱無敗のバハムート」のアニメを応援しております。

ネットラジオのファンです。
最近ラノベ原作アニメの「テンプレ」化が言われて久しいがこれについてテンプレを指摘するだけの記事が量産されており、そういうのってそれこそお前がテンプレでつまらんなーとしか思わないのだけれど、このラジオの最新号ではちゃんと「テンプレ」の必要性と功罪について語っていて面白かった。


ラジオの意見が全て正しいというわけではないと思うが「テンプレwww」って言ってそれを指摘して満足してるだけのテンプレ的なことしかつまらないひとたちよりは、仮説でも「なぜ?」ということを考えて答えを出している人の話のほうが、面白いよね。


というわけで、ラジオで語られていた内容を自分なりに整理しようと思ったが途中で飽きた。

テンプレは、どんどん高くなる視聴者の要求に応えるために発展していった

①「テンプレ」はなぜ必要か。

効率が求められるから。

②なぜ効率が求められるか。

それだけたくさんの情報を詰め込む必要があるから。
テンプレという言葉のイメージが悪ければ「物語圧縮」とでも呼べば良い。

③具体的にはどんな情報か。

キャラクターの「数」と「強度=各キャラクターのエピソードの掘り下げ」の両方が必要となる。
どちらか片方では満足しなくなった。両方が必要

その結果が必ずしも両者にとって幸せな形になっていないかもしれない。


13話という制約の厳しさについて

ギャルゲやラノベを原作とするアニメは常に13話という分量の制限と戦ってきた。

本来、13話という限られた分量において、キャラクターを掘りさげようとすると1人か2人しか出せない。そもそも主人公の設定や世界観の説明などが凝ったものだとその説明が大変になる。

ラノベを原作としたアニメの方だけを見てラノベを語ってる人にはわからないだろうが、ラノべ原作では、細かい差別化を意識して導入部分では凝った設定やキャラを作っている。本気で丁寧に原作のニュアンスを削がずにアニメ化しようとすると「六花の勇者」は13話かけて1巻を消化せざるを得なかったり、「はたらく魔王さま」のように2巻までしか話が進められなかったりする。「とある飛空士の恋歌」のように、5巻分の内容のうち、枝葉にあたるサブキャラの部分は潔くバッサリ切り捨ててメインに集中した作品もある。

成功例として「俺ガイル」は2クールで10巻まで詰め込んだ割にそれほど不満が出ないなどかなり上手に編集されているがあれはそもそも学園について説明が不要な舞台や設定であることが大きく貢献している。しかも、そこまでやっても完全にエピソードをすっ飛ばされたヒロインもいるしやはり重要なセリフが多数割愛されていて、やっぱり原作ファンとしては原作も読んで!って思う。
(本当にアニメはものすごく上手に編集されてると思ってますよ!)

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多くの説明を映像の力でカバーできる京アニですら、kanonを全部描写しようと思ったら13話ではなく26話必要だしCLANNADに至っては52話を必要とした。むしろそういう枠を与えられないとなかなか難しい。だからこそ京アニは最初からアニメ化に適した原作も自らで供給しようとしてるのだろうと思う。

そんな中でもラノベ原作やギャルゲの原作をアニメ化する試みは延々と続けられていた。

忠実にアニメ化することはそもそも分量的に不可能。だから「メインヒロインキャラの掘り下げの代わりにサブヒロインを切り捨てる方式」だとか「キャラを平等・多数として扱う(ハーレム化)」の二者択一が行われたりしていた。原作に忠実にアニメ化しろとか言ってる奴はさすがに作り手のことをもう少し考えてあげてください。結果として前者での成功例はすくなく、後者においてインフィニット・ストラトスという異常なレベルのヒットが誕生したことで流れが変わったのだと思われる。

インフィニット・ストラトス」前後の変化について

インフィニット・ストラトスは原作はラノベとして抜きん出た面白さはない。特に目新しい物はなくぶっちゃけあんまりおもしろくなかった。最初アニメ化が決まった時「こんなん絶対爆死するだろ」と思ってた。ところがこれが13話という枠にこの上なくバッチリハマった。

以前よりアニメにおいて「エロ枠」(最近は石鹸枠?なんて名前が付いてるみたいですが)があったし、個々で売れる単発の要素はあったけれど、そういったものがこの作品においてガッチリ揃り、そしてヒットした。


インフィニット・ストラトス以前とインフィニット・ストラトス放映後から2期後からだいぶ傾向が違っていることがわかるだろう。
ライトノベルのアニメ化作品一覧 - Wikipedia

ここから「ラノベ原作アニメ」「アニメ化されるラノベ」というもののイメージが大きく転換している。

それまでは「すでに有名なラノベ原作をアニメ化することで売る」だったり「まだ売れてなくても原作に力がある作品をアニメ化することで販促する」ことがメインだった。しかし御存知の通り、アニメ製作はアニメのDVDを売るのが第一だから。「面白い」ことよりも「売れる」ものが必要だ。明らかに平凡なラノベ原作であったとしても「アニメにした時に売れるフォーマット」というものが発掘されたのだ。むしろそちらのほうが大事だろう。

優先順位というものが大きく変わった。「アニメ化には向いていないが面白い原作」よりも「アニメ化したら売れそうな作品」であったり「最初からアニメ化に適したフォーマットを採用している作品」が重要であるという発想になり、ラノベ原作サイド(特に編集者)もそうしたアニメ側の需要を意識した供給を行うようになったのではないだろうか。

※そもそもラノベ側の変化があったのが先だという意見もあり、私はそっちは確認できない。だからこの意見はあくまで「アニメ」側から見た意見でしか無い。




というあたりで本題はまだまだ先なのですが、途中で書くの飽きました。そもそも私はラノベにそんなに詳しくないんだよ。私が何か書くのはおこがましいよ。ごめん……だれか詳しい人が補完したりダメ出ししてください。

続けて書きたかったのはこういう内容でしたが、もうだいたい見出しだけでわかってくれるよね。後は補完して……。
気が向いたら続き書きます…


具体的なテンプレ(物語圧縮)の内容

確か1000はてブくらいついた記事があったはず。


テンプレの利点

ガンダムの1話は完全なテンプレですが、アレ否定する人おらんよね。テンプレであること自体が問題なわけじゃない。
ガンダムはテンプレがあるからこそ、1話は説明とキャラ紹介に徹しきれるとか利点も有る。
そして、そういう条件やフォーマットに合致した作品以外13話という枠に収めてアニメ化することが難しいし、頑張ってアニメ化したところでやはり売れないようだ。



テンプレ化の弊害

常にアニメを見てる人間としては「既視感が非常に強い」「先が読める」ために退屈であるし
あまり見ていない人からすると、圧縮されすぎて説明が「記号化」されたように見えて文句をいう人が出てくる。
最近はこの弊害が目立っている。


テンプレ的導入の効果およびその後の展開について

実際にテンプレ化して情報を圧縮することによってどの程度以前より情報量が増えているのか。
テンプレ化前のラノベ原作アニメとの情報量の比較。

また、導入がテンプレとしてあまりに共通していると指摘された

「学戦都市アスタリスク」と「落第騎士の英雄譚」、および今期の「最弱無敗のバハムート」などについて
3話以降の展開の差異についての比較。



本題 テンプレを有効活用した成功例と、テンプレアニメが今後目指すべき方向性について

当たり前だがテンプレが悪いのではなく、テンプレの意味を理解してさらに発展させていけていくという作品やアニメ作りがなかなか難しいのかもしれない。

この点において「冴えない彼女の育て方」という作品の完成度の高さはもっと評価されるべきである。

ストーリーもキャラもテンプレといえばテンプレ。しかしテンプレを極めたところに生じた作品の強度は凡百の作品より上。そして、この作品はきっちり売上を出して売れている。爆発的ヒットではないが手堅い強さを見せており、pixivでも登場人物はそこそこの人気を誇っている。

今の「テンプレ」が目指しているのはこういう作品ではないだろうかと思う。

本当はここが本題であり、これについて10000字くらい書きたかった……。


このように「最近のラノベ」については作品単体での評価も大事だが、やはり評価ポイントとしてこうした文脈抜きに語ることは出来ないと思われる。単体で評価したい人は、最初からテンプレでない作品を読んだら良いと思う。そういう作品は山のように有るというか、「いわゆるテンプレ」作品は、アニメにおいては圧倒的な割合を占めてるけどラノベ全体においてはメインではないと思う。 売り場に行ってよく観察してみよう。