この夜が明けるまであと百万の祈り

とあるマンガ好きの備忘録です。私が元気づけられた出来事や作品について少しでも共有できたら嬉しいです

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「人が他人に干渉したいと思うのはその人を好きではないからです」

https://ask.fm/suna_kago/answers/134668702127?utm_campaign=answer_own&utm_medium=social&utm_source=twitter#_=_

Q.私は仲の良い他人がとても怖ろしいです。というのも、私は他人に自分の領域に干渉されることを嫌うし、また自分も他人の領域に干渉したくありません。しかし、他人と自分とが異なる存在である以上、どうあがいても他人との関わり合いの中で干渉の可能性は常に伴います。ですから、そもそも私は他人が怖いのです。しかも仲の良い他人ともなると、干渉の可能性は飛躍的に向上します。つまり、仲が良いということはそれだけ無遠慮に相手の領域に踏み込みやすい関係であるということです。だから、仲の良い他人が怖いのです。 かと言って彼らと疎遠になりたいわけでもないのです。私は彼らが怖いと同時に好きなので。 私はわがままなのでしょうか。

A.たぶんあなたは我侭なのではなく単に不器用なのだと思います。なぜなら他者に対して本来両立するはずのない感情を同時に抱いているからです。

もちろん人が好きな相手と仲良くしたいと思うのは人間として当然のことです。また他人に干渉したくない/されたくないと思うのも人間として当然のことです。しかしこれらふたつは本来両立するはずがない感情なのです。

というのも人が他人に干渉したいと思うのはその人を好きではないからです。その人を好きではないからこそ干渉したい(=変えたい)と感じるのです。相手のことを好きならば干渉するという発想はそもそも生まれません。逆に誰かがあなたに干渉したいと思うのは相手があなたを嫌いだからです。だから干渉する/されることが視野に入る時点でもはやあなたか向こうのどちらかが相手のことを好きではないのです。そうした関係をズルズルと続けていても双方が幸せになることはありません。「好きだけど干渉するかもしれない」「好きだけど干渉されるかもしれない」こんなことを考えること自体がナンセンスだと私は思います。干渉するかもしれないならあなたは相手を好きではない、干渉されるかもしれないなら相手があなたを嫌っている(だからあなたが相手を好きでいるメリットもない)ではありませんか……いや、そういう片想いが好きならもちろん構わないのですが。

私もよくよく赤の他人から干渉されやすいタイプなのですが、彼らが何を考えているのか全く理解できないのです。だって私のことを自分好みに改造するよりも、最初から自分好みの人を見つけたほうが遥かに楽ですからね。なぜわざわざ気に入らないはずの私に近づこうとするのか、そしてそんな私に自分の好みを押し付けようとするのか不思議なところです。まあ、他に大した出会いがなくて視野が狭い人はそういう行動に走りがちですね

あくまで個人からの問いに対して、個人としての回答=自己開示であるのでしょうが、ask.fmってときどきこういうどきっとするやりとりがあるのですきです。


そうなんかなあ。やっぱり助けを求められないかぎり他人のことはほうっておくのが大正義ということなのかなぁ。(極論)

「小森さんは断れない」の最終話は嘘だったのかなぁ?(極端)

私よくいろんな人に介入されるけど、心配されてるとかじゃなくてみんな私のことを嫌いって思ったほうがいいのか?(被害妄想)


「嫌い」ってなんだ?「落ち着かない」とか「不安」とか「不快」くらいの感情も全部これに入るのか? 「嫌い」ってそんなに軽いものなのか?

私今まで人を嫌うためにめちゃくちゃ手間ひまかけてきたしそのくらいしないと簡単に人を嫌っちゃだめだと思ってたけど、人を嫌うってそんなにカジュアルでいいのか? 嫌いな対象についてなら半日まるまる語れる状態とかじゃなくていいのか?


わからない。私には嫌いというものがわからなくなってしまった。

わからなくなってしまったので次の記事ではこの本でも読んでもう一度「嫌い」とは何かを考え直したいと思います。

今冒頭だけ読みなおしましたが、だいたいこんな感じですね。

お互いの考え方や感受性の違いが身にしみてわかり、どうも変わりそうもないなあという断念のもとに、無理なく互いに気に入らないことを表明してゆける関係は、とても健全なものです。

「和して同せず」という君子のたしなみとも少し違う。別に和を表現しなくても良いのです。二人の間には適当に不穏な空気が漂っていても良い。それを耐えず確認する関係でも良い。

自分の信念を貫くためには適度に相手を傷つけること、そのかわり相手から軽く傷つけられることも辞さない。私はずっとそういう境地を目指してきました。

諸個人のどうしようもない差異を徹底的に認めてそこからスタートし、その只中にごまかすことなく自分をおく。ここには個々人の微妙な差異を均一化しようという衝動がありませんから、たえず自分と他人との距離を測り続けることとなる。

普通の人は不快をなるべく避けようとしますが、私は微妙な不快をもごまかさずに体験し尽くそうとする。人によっては大層くたびれる生活ですが、わたしにとってはかえって清潔で生きやすい空間です (p37)

私はこういう関係っていいなと思うんですよ。無理やりでも褒め合い、絶対に相手のことを否定しないよ、みたいな関係大嫌いだし。どんな無茶振りでも必死に拾え、嫌そうな顔をするな、みたいな強要は耐えられないし。

親しくて、基本的には意見が通じあって楽だけれど、何でもOKというじゃなく。時に意見が違うと表明したり、極端なときには否定したり批判したりするという緊張感があるほうがいい。ちゃんと事実や根拠をもとに話してくれるという最低限のレベルは必要だけれど、だからこそお互いにきちんとするって関係でいたい。 


反応はして欲しい、でもなんでも受け入れて欲しいわけじゃない。それはむしろ気持ち悪い。ルールに縛られた群体みたいなものじゃなく、ちゃんと他者でいてて欲しい。他者と通じ合えた時は、絶対に否定しあわない空間よりずっと楽しいかなと思う。