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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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ブロガーとは結局どういう生き物だったのか

「人が他人に干渉したいと思うのはその人を好きではないからです」 - この夜が明けるまであと百万の祈り

に関連して。

「友達がどんどん増えていく人」と「孤立化しがちな人」の対比

懐かしの「ヤンキーVSオタク」論
http://www.4gamer.net/games/236/G023617/20140509083/

人間が他人に興味を抱くっていうのは,自分に似ている部分を探す,あるいは似ている部分のみを他人に見い出しているって話です。あくまでその“似ている”ってところにだけ興味があって,その人自身には,実はあまり興味を持っていないって思っているんですよ

(中略)
世の中には,その「自分と他人が似ている」という部分を広く捉えようとする人と,狭く捉えようとする人がいて。「俺とお前は一緒じゃん」と言って,少しでも似ていたら「兄弟」にしてしまうのがヤンキーで,「僕と貴方,ここは違いますよね」みたいに,世間からみたら同じ種類の人間同士なのに厳密に区別したがるのがオタクなんだと。他人が自分と似ているかどうかを判別するときの方向が真逆になっている。

友達がどんどん増えていくヤンキーと,孤立化しがちなオタクの差っていうのは,似ているところがある他人をどのぐらい「仲間じゃん」って思えるかどうかなんだ

全体としては古くなってしまっているけれど、この大前提の部分は今でも有効なんじゃないかと思います。

ヤンキーとオタクって言葉が嫌なら別の言葉にしてもいい。大事なのは「友達がどんどん増えていく人」と「孤立化しがち」な人のタイプの違いについてです。これって勢力が拮抗している限りにおいては、単にタイプの違いなんですよ。私は「孤立化しがち」な方ですし、それが悪いことだとは全く思ってません。でもそう思ってふんぞり返っていられるのは自分たちがある程度の勢力だからです。


ただ、最近はヤンキー側の人が増えてきて、「ブロガーって言葉はダサい」みたいなことを気兼ねなくというようになりましたね。これはとっても面白いことです。きっと今後は「孤立化しがち」な人が、それを当たり前として振る舞える領域が狭くなっていくかもしれませんね。


でも、これってインガオホーとか輪廻サイクルなのかなとも思います。
かつてはてなにはマッチョウィンプ論争っていうのがあったそうです。この時に「どっちが正しいか間違いかって話じゃなく、そのうちマッチョははてなから去っていってウィンプの楽園になる。だからウィンプはただ待っていればかならず勝つ」って言った人がいた。で、実際いま見てみるとそのとおりになってると思うんですよ。それどころか8年後に、当時のネットを知らない人が「ネットは弱者が作り上げてきたものなんだ。リア充のものなんかじゃないんだ」という思いを綴り、それに共感の声が集まる。なんとも滑稽だけれど、歴史を感じて個人的にとてもおもしろいと感じましたね。


いわゆるオタク(=孤立しがちな人)の生存戦略としてのブロガー

仮にオタクが結婚できず子孫を残せない場合が多いとしても,生命体としての本義はまっとうできるんじゃないかなと。物理的な意味で子孫を残せなくても,情報生命体としてだれかに寄生できればそれで良いわけですから。うんうん,何の問題もないですね.

だからオタクがやたらうるさかったり,ネット上で攻撃的だったりするのは,あれは一種の繁殖活動なんですよ。どこかに情報(文化的遺伝子)を残したいみたいな。

オタクに生きる権利があるかどうかといえば,まあ,生物的にはないかもしれない。仮に権利はあるとしてもじっさい女の子にはモテないことも多いし(笑)。でも,情報生命体としては生きる権利も繁殖する権利もあるんだと。いやあ,良い結論ですね。

この認識もとても面白いですよね。
「人」と付き合うこと自体が大事なわけじゃないってことですから。自分が求める情報を得て、それを発展させて、それをまた放出する。
そういう形で、自分が誰かに影響をあたえること。
それを目的として、それに特化してきた生き物がテキストサイト管理者やブロガーって生き物だったってことかもしれませんね。



現実から適度に乖離したストーリーを持ちたい。でも乖離しすぎてネットにお花畑ストーリー持ち込みすぎるのも気持ちが悪い

 「ソードアート・オンライン」の主人公は,ゲームの世界で活躍してものすごい英雄になるんだけれど,現実に戻ってくると普通の人に戻るんですね。で,またゲームの世界へ行くとまた大活躍して,また普通の人に戻ってっていうことをくり返す物語なんですけれど,いまの時代は,こういう物語により共感しやすいんだろうなと思います。現実世界では何者でもないとしても,ゲームの世界ではヒーローになれるかもしれないという幻想を,絶妙のリアリティで描き出している

まあ、あとこれはさすがに穿った見方だと思いますけれど現実では全然頑張らない人が、ネットではすごく頑張るって構図も確かにあるな、と。あれって、現実では「努力すれば報われる」みたいなストーリーを信じられないのにネットにはまだフロンティアが存在するって気持ちがどこかにあるんだろうな、と。

ブログやアフィ頑張ってる奴に対して、「そんなに頑張れるならその努力や真剣さを現実で発揮すれば」みたいなのは的はずれでしょうね。

でもね。さすがに「互助会」もそうだけど「ブクマ営業」「スター営業」(新着記事に対して読まずにブクマやスターをつけることで読者数増やそうとしてるクズ行為)してる人たちってさすがにもうちょっと現実感覚持って欲しいかな、と。お前がやってるのはサクラ行為であり、ピンポンダッシュですよ、と。そういう行為をやりながら「僕達の行為には未来や可能性がある」と本気で思ってるなら理想を抱いて溺死しちゃうんじゃないかと心配になります。



余談 本題と関係ないけど勝ち組負け組って分け方が嫌い

言葉がきつめのせいか敬遠されがちで最近は衰退しちゃいましたが、私結構「ヤンキーとオタク」の対比の話は好きでした。むしろ今のネットって全体としては「リアルVSネット」って構図はとっくに終わってると思う。はてなではまだ根強く「リアルと独立したネット」のこだわりあると思いますが。で、そのあと「ヤンキーとオタク」の違いってのがあって、今はそれすらもヤンキー勢が勝利したって感じかな、と。で、之に対して「オタク」と「非モテ」を混在させて、対立相手として「リア充」ってのを持ってくる人がいるみたいですけど、「オタク」=「非モテ」とかいつの時代だよと思いますし「オタク」=「ネット」はさっきも言ったとおりもう終わってると思うんですよ。

で、ついにそういう対比じゃなくて「勝ち組」「負け組」って線引を持ち出して来る人がいて、心底うんざりです。なんというかですね、こういう考えの人ってネットをつまらなくするよなーって思う。

「勝ち組」「負け組」って分類だけはやめようやまじで。それ分類でもなんでもなくてただの呪詛か何かですよ。しかも自分に対しての。しかもタチ悪いのが別にあなたが負け組になりたいならそれでもいいけれど、それにオタクだのネットだの非モテだの、そういうのを巻き込もうとするのね。ちょっとやめてくれませんかと。

勝ち組と負け組って分け方は良くないと思う。今の世の中「負け組」には何も残らないと思う。

ネットにはとうぜん勝ち組と負け組がいる。
オタクにだって勝ち組と負け組はいる。
ブロガー(笑)にだって勝ち組と負け組はいる。
非モテにすら、別に独身や男同士との生活を楽しんでる人がいるし、それにコンプレックス抱いて苦しんでる人達がいる。

最もお金を使うのはアイドルオタク その額は──恒例「オタク市場」調査最新版、矢野経済研究所が発表 - ITmedia ニュース
オタクとはこれほど多様なんですよ。自分だけがオタクだと思ってんじゃねえよ、ですね。


オタク=負け組だの、男=負け組だの、アホかと。そんなわけねーだろ。にもかかわらず、自分を負け組と称しながら、オタク代表、ネット代表、非モテ代表という立場は欲しがるってのはおかしいんですよ。「オタクの中の勝ち組」「はてなの中の勝ち組」「非モテだけどボッチを楽しんでる勝ち組」を目指したらいいじゃないですか。