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「奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール」感想

俺思うんだけどさ、世の中電車の運転手にすごいなりたかったけど結局なれなかった人もいるし、そういう、好きだから頑張れる道に進めなかった人もいると思うんだよね。でも意外にゲーム会社にも就職できずゲームデザイナーにもなれなかったけど、でも俺今ゲーム屋さんやってんだって言う人のゲームに対するまじめさや、僕これお勧めなんですってことを言う力とか、意外にお金で買えない部分があるんじゃないか
(伊集院光 深夜の馬鹿力 2012年12月14日より)

奥田民生に憧れる35歳のライフスタイル雑誌編集者・コーロキは、仕事で出会ったファッションプレスの美女・天海あかりにひとめぼれ。
しかし、それがコーロキにとって地獄の始まりとなるのだった……。
もう決して若くはないとはわかっているけど、仕事で迷い、今後の人生を憂い、うっかり恋に狂ったりもする……いつになったら、奥田民生みたいに「力まないカッコいい大人」になれるのか?
青春の最後の最後の残りカスのなかでもがき苦しむover35男たちの人生迷走曲!

この作品については作品の内容の紹介は一切しません。感想だけ。(普段からそんなもんだけれど)

前作「ボサノヴァ」の方は「それもう蛸壺屋のけいおん同人誌で見た」「蛸壺屋のほうが個人的には刺さった。

ボサノヴァよりこっちが刺さるということは私はサブカル者じゃないのだろうか」などと思ってしまったのでそれほどのめり込めなかった。「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女も全部持ってかれるマンガ(MASH UP)」はちょっと好きだけれど、これにしたって、いつまでたっても諦めない主人公を応援したいという気持ちにはならなかった。むしろ極めてグロテスクである、と気持ち悪いなと思った。


で「奥田民生になりたいボーイ」である。
ネタバレ厳禁であろうから言わないけれど、
「口の上手い売れっ子ライター…」の主人公のグロテスクさは何なんだろう、ってことの答えわせがされる。
そこは面白かった。しかし、それにしてもいろんな要素詰め込み過ぎで胸焼けがする。


他の人の感想を読むと、読んだ人の多くがこの作品にリアリティや生々しさを感じたという。実際そうなのかもしれない。 しかし、私は下記のようなリアリティをこの作品との間に構築する関係になれなかった。それは作品が悪いというよりも、私がこの作品がぶつけてくるものを受け止めるレセプタというかキャパシティがなかったのだろうが、とにかくそうなのだ。

僕が元記事で連呼していた「リアリティ」とは一体なんだったのかというと、「表現と受け手の脳が結ぶ共犯関係」のことだった

http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2015/12/04/183700

この作品「奥田民生になりたいボーイ」の話にはある程度リアリティを感じられたかもしれない。でも「すべて狂わせるガール」がうそ臭く感じられてしまったのだ。「すべて狂わせるガール」が絡むエピソードはなんだか作り物めいて感じられた。だから、私にとってはこの作品はリアリティを楽しむ作品というよりは「ミュージカル」のようなものだと理解している。現代をセットとした寓話的な何か。後半に行けば行くほど展開が荒唐無稽になっていくこともあって、そういうものなんじゃないかと思ってるけど違うんかな。

そんなわけで、この2作品はなぜかわからないがうまく自分の心に刺さらなかった。「小保方本」と同じくらいよくわからない本だった。





でもこれだけだと何のために書いたのかわからないので自分が気に入ってる部分メモしとく。

例えばp117~p120ページあたりの「ライフスタイル」というものの捉え方に纏わる話が好き。これはてなでプチブームになった「ミニマリスト」に関する話にも繋がると思う。

この作品、主人公が「ライフスタイル」と呼ばれるテーマを扱う雑誌の編集者なのだけれど、ここで雑誌にケチをつけてくる読者がいる。雑誌は「ライフスタイル」誌と名乗って入るが結局「スタイル」だけを提示するだけであって「ライフ」としてのリアリティが全く感じられないのだと。結局こういった雑誌で紹介されているものは、格好をつけた見せかけだけのものであり、読者は想像して楽しむことしか出来ない。その程度の手応えしか感じられない。絵に描いた餅でしかない。生活の「本質」が抜けた空っぽな「スタイル」だけを提示することに意味など無い、と言うわけだ。

これを受けて主人公は「リアル」や「本質」について考える。そして、それは決して「共有しようとしない人間とは共有できない」ということを悟る。だから、それを共有できるものと、共有できるものによって、共有できる人のために雑誌を作ることに専念しようって決心する。


この部分さらっと描かれてるけど結構考えがいのあるテーマなんじゃないだろうか。


詳細は書かないが最後のオチもこれと同じことを言ってると思う。この作品はどこか「カイジの鉄骨渡り編」と同じように、人と人が真に心の底から通じ合うこと、のようなものを断念している。「結局みんな自分という殻からは抜け出せない。自分が見たいものしかみない。だから○○すればいい(しなければならない)」という結論を導いている。 しかし、それでいて通じ合うことや共有しあうことを心の底では求めている。そんな葛藤を描いている。



そういう己の「執着」をむき出しに描いてくる部分の描写はほんとに好き。みんな何かを諦めたり割り切りながらも、諦めきれないという気持ちを持ちながら生きてるんだよなー。



そういう意味で、この作品に描かれている、込められているものは多分すごく好きなんだと思う。

でも、私はこの作品におけるその「描き方」が好きじゃない。 なんでだろうな。



描き方はいろいろあると思うけれど、私が一番好きなのはこれかなぁ。

この、くそったれな世界に、精一杯の愛をこめて。

今値段見たら1900円だった! 悪いけどこの値段なら「奥田民生~」よりこっちおすすめするわ。 この作品マジで好き。