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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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自分の夢を殺すのは自分以外の誰でもない(「幻想強度」という概念について)

fateというゲームが有る。

このゲームには3つのルートがあるが私はstay/nightが好きだ。

unlimited blade works」は自己超越の物語であるし

「heaven's feel」は選択の物語だ。

「stay/night」は王道のボーイ・ミーツ・ガールであるが、

同時に「創作論」という側面があると思う。




「幻想強度」について

特にこのルートにおけるバーサーカ戦が好きだ。

主人公の能力は鍛冶師みたいなものだが、

基本的には「模倣」しかできない。他人の武器をみてそのコピーを作るだけ。

しかもその模倣は、細部まで正確にできていないとすぐに砕け散ってしまう。

このパラメーターが「幻想強度」というものだ。

主人公は「模倣」の繰り返しによってイメージを強めていき

まず「幻想強度」を高めていくことですこしずつ武器を強くしていく。

ついには自分のイメージのみで見本がない状態から最強の剣を作り上げるに至る。

ああこれって創作論だよなぁって思いながら読んでた。




同じ夢でも「幻想強度」の低いものは淘汰される

記事タイトルでは「自分の夢を殺すのは自分以外の誰でもない」と書いたが

さすがにそこまで極端ではないと思う。

うみねこのなく頃に」という作品のように

「魔法(幻想)」は、それを共有しないものに見せると消えてしまう、と語る作品もある。

夢を殺すのは周りの視線も確かにある。




でも、やはりまず心がけるべきは、

己がその幻想を、他人の目にさらしても砕けないように鍛えあげることだろうと思う。

最初から多くの人が批判してくるからとか

無理解に耐えられないからやめますっていうのはなんか違うと思う。



一方で、そういうやたら傷つきやすい「繊細さ(フラジャイル)」な部分も

感性としては必要だという話もあって、こういう話はやりだしたらきりがないけど面白そうだなぁとは思う。




ただ、一人の内面を突き詰める創作やら芸術活動ならともかく、

大勢の人間を巻き込んで形にしていく必要があるビジネスにおいては

絶対に「幻想強度」という概念をメインに於いたほうがよいと思う。




なので、安易に「夢を語ることは大事だ」とか「他人の夢を否定するな」とかいう

過保護な姿勢は、長期的に見たらよろしくないように思う。






っていうかさ、「お祈り」メールもらったら「お断りの理由をちゃんと教えて欲しい」って

人事部の人間のコストも考慮せずにいう大学生いるけどさ

それなら「夢を批判するな」って話がいかに的外れかわかるよね……。

もしその分が通ったところで障害がなくなるわけじゃないよね。

「障害が不可視化される」だけだよね。

何も言わずにお祈りされるだけで、ノーヒントになる分難易度があがる。

それよりはムカつくかもしれないけど可視化されてるほうがいいんでないの?

そういう障害を見たくないなら、生煮えの状態でネットに書かないようにするしかないんじゃないかと思いました。