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この夜が明けるまであと百万の祈り

私が元気づけられた出来事や作品についてのメモ。最近TED聴き始めました

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「意識高い系」とは何か、をざっくりと調べてみる

基礎シリーズ 意識高い系への処方箋

全く書かないのも何なので1記事くらいは書いておこっと。



私も今まで全く知識なく自分の経験と語感だけに頼っていろいろ考えていたのですが、自分としてはこのように理解することにしました。

エリクソンの発達段階における「青年期」に直面する問題

②この時期の発達課題である「自我同一拡散」という状態が有る。之自体は問題ではないがこれを克服しなければいけない

③「自我同一拡散」自体は誰もが通過しなければならない課題だが、この課題を克服出来ない状態が長期間続くと様々な問題が引き起こされる。これが「意識高い系」である。

④「意識高い系」も最初はそれほど問題がないが「アイデンティティ意識の過剰」または「否定的アイデンティティの選択」の状態にまでなっている人は末期症状であり深刻に捉えるべきである

⑤こういう人に対しては暖かく見守ろう、など悠長なことを言っている場合ではない。しかし否定(勇気くじき)をすると逆効果になる。身近な人間による正しいサポートが必要になる

⑥ネットでは「自我同一拡散」や「意識高い系」をどうしても克服しなければならない圧力がよわく、むしろそれを助長する力すら働いているように思われるので、注意が必要である。

今後はこの理解に基づいて対応を考えたいと思います。
もちろんまだ理解が浅いと思うのでコメントお願いします。



意識高い系は本当に問題なのか?そもそも意識高い系とは何なのか?

そもそも意識高い系というものはどういう状態を指すのか。どういう特徴があるものなのか。みんな「語感」や経験からなんとなくで想像しているだけのような気がする。

個人の問題としてそれをどう受け止め、どう対応していくかを知らなければ、いつまでも言葉遊びだけして変わることが出来ない。

そもそも、それは本当に問題なのか、なぜ問題なのか。本人だけでなく周りの人間はどう対応していくべきなのか、などについて考えてみたいと思う。



「青年期」における「自我同一拡散」は課題ではあるが問題ではない

心理学COCOROの法則: エリクソンの心理社会的発達理論

青年期は新たに出会う世界とかかわりを結ぼうとする。青年は同一性(identity)の確立を目指して試行錯誤しながら、やがて自分の生き方、価値観、人生観、職業を決定し、自分自身を社会の中に位置づけていく。

自分がどんな人間かということ ―― を確立することが課題となり、これに失敗すると役割混乱が起こって同一性拡散(identity diffusion)という病理が生ずる。人格が統一されず、社会へのコミットメントができない状態に陥ってしまう。

「自我同一拡散」そのものは誰もが経由する段階なので問題ではありません。ただし、この時期に、「本来社会から与えられたモラトリアムを利用し、様々な実験的同一化を統合していく社会的遊びが阻害されて、社会的な自己定義を確立することが出来ない」状態が続くと問題が起きてしまいます。 

今は生き方の自由を選べることが当たり前になった反面、誰も決めてくれないし、その獲得のために能動的な努力が必要になっていますから「自我同一拡散」意識はむしろ当たり前です。そうでない人の方が少ないかもしれないとまで言われてますね。「一時的に意識高い系になる」事自体は普通なのです。問題はずっとその状態でとどまり続けることです


自我同一拡散という「課題」が「問題」になる時、それを「意識高い系」と呼ぶ

別の言葉で繰り返すと、この時期に不安定になるのは誰にでもあることなのに、そこで特に親の期待だとか、受験だとか、就職だとか、そういう圧力が強くかかり、自分を押し殺しつづけたり、合わないものにむりやり自分をはめ込もうとし続けると、いろいろ歪んでしまう、と。そのなかの歪みの一つが「意識高い」系ではないかというお話。

http://www.asahi-net.or.jp/~uv3k-kmgi/jigakakusan.html

社会への適応感覚を得られない、試行錯誤ができない、社会での役割を見いだせない、という状態がずっと続くとだんだんこういう状態になっていくようです。

アイデンティティ意識の過剰
・選択の回避と麻痺
・対人的距離の失調
・時間的展望の拡散
・勤勉さの拡散
・否定的アイデンティティの選択

こういう状態になっている人が「意識高い系」「意識高い風」と呼ばれるのではないでしょうか。実際になにかの分野でアイデンティティを確立して、それに基づいて行動している「意識高い人」とは外見は似ていても実態が大きく異なる点が重要でしょう。

両者は別物だということはよく言われていますが、最大の違いは「ベースとなるアイデンティティが確立されておらず、そのため周囲の反応に過剰に反応したり何かを否定することをアイデンティティの代替にしてしまっている状態」といえるかもしれません。



このように「意識高い系」の状態になっている場合、放置しておくと「真面目系クズ」になっていき、そして「アパシー」に近い状態に陥る危険があります。さらに一線を越えて「否定的アイデンティティの選択」までいってしまうともうやばい。

否定的アイデンティティの選択は自分の斬新的な努力では達成不可能な肯定的な役割から現実感を得ようと努力するよりも、よりたやすく、飛躍的にアイデンティティの成立を引き出すことの出来るような、役割や集団アイデンティティへの全体同一化によって起こる

自分を語る際に何かを否定的に語ることとセットになっている人は、意識高い系のなかでも末期です。これは自分のアイデンティティが不安定な状況が続きすぎて、その不安に耐えられないからこその行動といるかもしれませんが、はやくなんとかしないと炎上ブロガーになるか

それすら出来ない人間は宗教やマルチ商法ネトウヨなど「集団アイデンティティ」によって個人を食い物にする仕組みに取り込まれてしまうところまでほとんど距離がありません。



「問題」である以上、暖かく見守ろうとか後押ししようという訳にはいかない。問題であること自体を否定しないでください

いろんな対処法が有りますが、はてなブックマークでよくやる「叩き」はおそらく逆効果になるでしょう。

アイデンティティの獲得という「ハードルの高い課題」に挑もうとしている人が、そもそもその「ハードルに挑む」意思自体をくじいてしまうようなことになってはいけない。


その意味において言うのであれば
何者かになろうともがいている「意識高い系」をバカにしちゃダメだ - やぎろぐ
という主張はおかしくないと思います。


とは言え、「問題」であること自体は本人や周りが自覚して対処する必要がある。問題で有ること自体を否定するのは違うでしょう。

放っておけば置くほど悪化します。特にやぎろぐさんはともかくイケダハヤトさん周辺の人間やミニマリストの人たちは、完全に「否定的アイデンティティの選択」状況まで落ちっている人が多く見かけられます。この状態の人達に対して「黙って見守ってあげよう」だの「背中を押してあげよう」という八木さんの意見は楽天的だし無責任であると私は考えます。

*1

「問題だと認識した上で、じゃあどうするのか」を考えましょう。

ベースと成るアイデンティティの形成をネットに求めるのは間違っているのだろうか?

これについては「こうすればいい」とはっきりいうことは出来ません。ひとそれぞれに答えが違うと思うからです。


例えば私はアドラーの考え方は参考になると思います。
私はアドラーを全面的に肯定するわけではないというかむしろ否定的なのですが、「自分が自分に対して主体性を持つ」という部分についてはかなり重要な話があると思っています。
嫌われる勇気 カテゴリーの記事一覧 - この夜が明けるまであと百万の祈り

これはこれでまた記事を分けて考えていきたいと思っています。


ここではとりあえず最後に、「そういうものがしっかりするまではあんまりネットにのめり込み過ぎないほうが良い」と思う、ということだけ言っておきたいです。

アイデンティティ獲得のために一番手っ取り早いのは「恋愛」「就職」や「ボランティア」など何かの社会的活動に参加することだと私は思います。「何かの一員になる」とか「何かに貢献する」「誰かに必要とされる」という感覚を得ることがアイデンティティの確率につながります。

逆に、自我が確立していない状況で、ネットにそれを求めるのは危険であることは間違いありません。そういう人が「別にその人でなくても良い記事」を書きながら「周りの反応」を意識してより自我を抑えてしまったり、逆に「ウケ」が良い面を過剰にアピールすることばかりに力を入れているのを見ると危機感を感じます。


自分のアイデンティティがわからなくても、この作品みたいに「憧れ」や「目標」に向かってがむしゃらに努力すればステータスがガンガン上がって一目置かれるように成る、みたいな人生を私も送りたかった……。「意識高い系」の人ってラノベ以上にラノベ的な人生観持ってるなと思うけど、まれに本当にベルくんみたいに特殊スキル持っててそれでうまくいっちゃう人もいるから厄介だよね……。

*1:というか、みんなこの辺りまでは感覚としてわかっているわけです。その上で、ベストではないけれどそのままにはしておけないからとりあえず「そのままじゃやばいよ」と言ってるわけです。にも関わらず、イケダハヤトさんといいやぎろぐさんといい、一面的な立場から薄っぺらい意見を言うのをオピニオンとか抜かすのホントバカバカしいからやめて欲しいです。