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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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かつて格差をなくすための仕組みだったものは格差を助長する仕組みになりうる

とある人とFacebookでしたお話。

はてブって。


はてブって。

みてもらうためにそれほど努力しないでもある程度自然に見てもらえたり自然につながりが出来るのを促進する仕組み。

だったと思ってたんだけどね。

無名の人でもみてもらうチャンスが得やすい。

文章が面白い人はみてもらうための努力を特別頑張らなくても見てもらう機会が出来る。

(逆に言えば、大勢の人向けに書いたものでなくても発掘されてさらされるという負の面もあり)

そんな感じの仕組み。

これが良いか悪いかは人次第なんだけど良くも悪くもそういうもんかな、と。

この仕組が、「みてもらうために一生懸命努力する人」よりも「面白い記事を書く人」の方が評価されるという理想みたいなものを一時的に作ってたのかな、と。

もちろんこれは対立概念ではなく両方やればいいんだけどノイズはあっても「記事の面白さ」と「注目度」がある程度一致するという共同幻想みたいなのが一時的には成立してた気がする。

こういうのはちゃんと本業で飯食っててブログで金を稼ぐことはおまけ程度にしか考えない人が多かったからなのか

それとも受け手側の意識が高かったからなのか、そのあたりはよくわかりません。

ニコニコの初期もそうだったとかなんとか。採算が度外視されるコミケの上流以外の層もそんな感じだとかなんとか。知らんけど

今この保守派的な考え方は「あざなえるなわのごとし」さんの記事なんかに代表されてるかなと思います。(たまにハゲ子さんも)




でも今はそうじゃないよね。数年前からそうじゃないよね。

ニコニコが一足先に先行したのと一緒。

ブログで金稼ぎたい人って人が出てきたら、はてブの仕組みを目的のために有効に活用するよね。

もう公平性とか平等性が失われたという段階じゃなくて、

逆にはてブは「これを自分のPV稼ぎのために有効活用するかしないか」という格差発生マシーンになってるよね。

そもそも、もうはてブ自体がしょぼいから

初動さえつかめてしまえばtwitterやらFacebookでバズる方を考えたほうがマシってな感じになってるよね。

いつまで過去のはてなブックマークの幻想をいだいてるの?って感じになってしまってるかもね。







でね。

なんかね。

別にはてブをそういう風に使ってもいいんだけどね。

「みてもらうために努力をして何が悪い」「むしろみてもらうために努力することが偉い」って考えなのはいいんだけどね。

だったら、同じ口で「最近はニコニコがつまらなくなった」「最近のはてなはつまらなくなった」みたいなこと言ってんじゃねえよカス、とは思いました。



自分が商売やるときには自分に都合の良いこと言って、
自分が客の時は客目線で自分に都合の良いことを言って。

それさ。気持ちはわかるけど、仕組み理解できてないってことじゃねえか、と。


読者や視聴者側で、面白い記事を見出して引っ張り上げようって意識がなくて

「みてもらうための努力をいくらしてようが面白いかどうかが大事だ」って意識がなくなって、

書き手が「みてもらうための努力こそが大事」って意識ならそりゃダメだろと。






とまあそういうことを踏まえた上で、

とりあえず、自分としては、というと

はてブに過剰な夢を抱くのをやめるのは当然として

・面白い情報をピックアップしてくれる人をフォローしていこうな(お気に入り)

・面白いという書き手をファン登録して追いかける仕組み作ろうな(RSS

という当たり前の話におちつくと思います。



この議論定期的に何度も繰り返しててダルいから簡潔に書いてあまり繰り返さないようにしよう。