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「命令されなきゃ、憎むこともできないの?」(ブルーアーカイブ#3 エデン条約編3.私たちの物語)

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「謝る」というのがどういうことか、一度ちゃんと考えてみよう

忙しい人のために結論だけ簡潔に書きます。

①お詫びとは「反省」「謝罪」「償い」の3要素から成り立つ人間関係における問題解決の手法です。この3要素すべてが揃ってトラブルが起きた相手と意思疎通が再開できるようになります。難しいけど身に付ける価値があるスキルだと私は思います


②この際「反省」は必ず相手目線でやらねばならず、自分目線でやると自虐お詫びになってNGとなります。だいたいここで半分くらいの人が間違えるような気がします。


③「謝罪」のつもりで、誤解を解こうとして自分の事情を説明するのはNGとなります。あくまで、相手が何を問題視していたのかを理解することが謝罪の目的です。自分の事情は優先順位は低いはずです。90%の人はここでつまづくイメージです。


④「償い」の段階は①や②の積み上げが上手く行ってない人は自動的に失敗します。その上で「相手のために」何かできることは無いかと考えましょう。①、②をクリア出来ていれば8割方はクリアできるイメージです。

詳しいことはこちらを御覧ください。
http://megalodon.jp/2011-0308-0207-06/anond.hatelabo.jp/20110307135746

問題が起きた時にちゃんとした謝罪をデキる人はコミュニケーション能力高いなと私は感じますし、逆にそこがちゃんと出来ない人はなんか信用できないひとだなと私は思います。すごい大事なスキルだと思う割に、あんまり重視されないで、「人格」みたいな話になるのホントどうにかならんかな。

謝罪が大事なのは、道徳の話ではなく、単純にできないと損だから

謝罪について話をするのはなにかとめんどくさい。ひとによってはすぐに「謝っているのに許さないとか何様だ」「それならもう謝らないほうがいい」とか言い出すから。だけど「謝る」というのはメンツの問題ではなくコミュニケーションにおける問題解決の方法の1つに過ぎない。ならば「謝り方」というのはめちゃくちゃ重要なはずだ。にも関わらずまともに教育されることがない。これは非常に問題だと思う。


誤解のないように言うけれど、私は「悪いことをしたのに謝罪しない奴は悪いやつだ」とかそういう道徳的な話はどうでもいい。本人が間違ってないと思っていないなら謝らず反論すればいい。私が言いたいのは道徳や倫理の話じゃなくて、損得の問題。もっと言うならば私が今ここで問題にしたいのは「間違ったと思っているのにどうせ謝っても無駄だからといって謝らなかったり悪いと思って謝ってはいるつもりだが全然謝罪になってない」ケースだ。

これは、単純にいって損だ。もったいない。自分自身が間違ったことをしてしまった時に、ちゃんと謝罪してすっきり問題を解決させられたらお得だと思いません?


ネットに見る「謝れない人たち」「謝り方が歪んでいる人たち」について

ネットで炎上した人が「炎上対策」について語り出すのをよく見る。殆どは「いかに謝らずに問題をやり過ごすか」みたいなしょうもない記事を書く。あるいは「炎上した時に批判をする人を逆にDisり返し、開き直る」という愚行に走る。おそらく彼ら彼女らは「謝罪をしたら負け」だと本気で考えていたり、「(自分なりに)謝っても許してもらえないし余計に火に油を注ぐから謝らないほうが得」だと思っている。


炎上案件をそのままで放置することに生じるリスクは無視できない

確かにネットは炎上したと言っても炎上した人そのものには大して興味がなく余計なことをしなければ大抵は忘れられる。問題を認識出来ないほど頭が悪いか、メンタルがよほど図太ければ炎上は全く問題ない。 だから自分がネットで好き勝手書く分にはそれでも良いのかもしれない。炎上なんていっても他人から批判の声をたくさんぶつけられる程度だ。ネットと現実の壁があるかぎりは痛くも痒くもない人も多いだろう。

しかし、そういう態度でやりすごしたところで、問題は解決できない。解決されなかった問題はお互いにいつでも蒸し返すことができる中途半端な状態になり、いつまでもそのことは「負債」や「不発弾」として残り続ける。リスクはどんどん溜まっていく。

なんといっても最大のリスクは、本人の認知の歪みを引き起こすことだ。これが意外と見過ごされやすい。問題に取り合わずその時は「やりすごし」たつもりになっていても、結局ほかならぬ本人が一番気にする。すっきりできず、後になって自ら蒸し返して、それを成功体験のように語ったり恨み節を語りだすようになる。今までこの例外を見たことがない。「謝らなかった」ことを自己正当化するため、どんどん認知がゆがんでいき、結局いつかもっと大きな問題にぶち当たって大けがをする。「謝らないで突っ走る」というのは「謝罪せずには許されない」案件にぶち当たっていつか事故死するまでのチキンレースみたいなものになってしまう。やはり「やりすごし」程度で済ませるのはオススメできない。

大抵はちゃんと対処すればどうということはない問題なのに「やりすごし」は心理状態をするとだんだん状況が悪化していく。



「謝罪」はたくさんあるコミュニケーション・問題解決の方法の1つである。使わないのはもったいない。

「謝罪」というのは何も特別なことではない。問題に対処するための一つの方法として「謝る」という手法はとても有効であり、これが最適であるケースは多い。これがちゃんと使えれば、コミュニケーションにおけるちょっとしたすれ違いを恐れなくても良くなる。「なにか間違った発言をして相手の気分を損ねたらGAME OVER」みたいな思いをしなくてすむ。コミュニケーションがサドンデスの綱渡りみたいに感じてる人が多いけれど、そうならないようにするために謝罪というスキルがあると思う。「謝罪」による解決が可能というのは安心感を与えてくれるものであるし、これがないと死ぬほど会話ってしんどいはずだ。


なぜ多くの人が「謝罪」そのものを嫌ったり苦手意識を持って敬遠してしまうのか

にもかかわらず、なぜか「謝る」という手法についてだけ特別に意識してこれを拒否する人が多い。この方法を取るくらいなら問題をやり過ごしたほうがいいと考えてしまうのは炎上常連マンだけではない。 または、本人は謝っているつもりだけれど実際は全く謝罪になっておらず、火に油を注ぐケースになることも多い。

なぜこうなるかというと、そもそも「謝るということがどういうことか」を知らないからだ。そのせいで、謝るということがどういうことか、その意味も効果もしらず、なんとなく屈辱だと思っている。とうぜん、おさえるべき要点もわかっていないから頓珍漢な謝罪をして問題をよけいややこしくして謝罪に「失敗」する。その過程で誤学習を行ってしまう。

①謝ることそのものを拒否するのは、謝るのが下手で失敗し続けてきた人

知識もなく練習もしてないから謝るのが下手なのは当然なのだが、だいたい謝罪に失敗するとすごい怒られたりするので謝罪ということ自体に嫌なものであるという認知の歪みが発生してしまう。 これは怒っている人が、怒りを抑えて謝り方を指導することが出来ない場合に問題になる。 ヒステリックな母親だとか頭ごなしに叱りつけるだけの先生だとか、原因はいろいろ考えられる。


②変な謝り方をする人は間違った謝り方でも許されてきた(と思い込んでいる)人
「間違った謝罪の仕方」で許され続けた結果、これまた謝罪について、変な作法を学習してしまった人である。


でも、こういう人は、他人とのコミュニケーションに問題があったらそれを解決することが出来ない。なあなあで済ませるか、ブロックする、くらいしか方法を持たない。昔からこういう人はたくさんいるのだろうけれど、twitterになってからは本当に可視化されまくってますよね。

北条かやさんはパーフェクトなくらいダメな「自虐お詫び」になっている

能町みね子・雨宮まみによる北条かやへの抗議 - Togetterまとめ

どちらの意見が正しいかという部分には踏み込まないことにします。ただ、北条かやさんは明らかに詫びる姿勢を示しているので、北条かやさんは、謝罪するつもりが有るなら「自虐お詫び」はやめたほうがいいと私は思います。


問題が起きた時に「自虐お詫び」するのは火に油を注ぐだけなのでやめよう - この夜が明けるまであと百万の祈り

①「自虐おわび」は、自分が悪い、自分はダメだ、といいながら、その実、相手に「そうではない」と打ち消してほしい、「いやあなたはできるから」と認めてほしい、わかってほしい、許してほしいと、無自覚に人からパワーをもらおうとする

②なぜ自虐お詫びをしてしまうのか = 何について謝ればいいのかを理解できてないから

③(謝るつもりなら)相手が誤解していると思っても、そこで自分の立場を延々と説明するのは悪手

④「自虐お詫び」と双璧をなす「見切り発車対応」にも注意

⑤「謝っているのに相手が納得してくれない」状況が続くと、心が縮こまり、機械的な対応になり、無意識に相手との対話を拒絶する形になってしまうのが怖い

たしか北条かやさんは同志社大卒で京大院まで出ているはずで、学歴などは高いほうですよね。にもかかわらずこういうお詫びになってしまうあたり、ちゃんとしたお詫びができるかどうかは学校教育でちゃんと教えられてない。しかし、本当にこれはちゃんと出来ないとコミュニケーションで問題が起きた時に対処できず、どんどんコミュニケーションがゆがんでいくので、やはりちゃんとどこかで教えるようにしないとダメなんじゃないかと思う。そうしないと、北条さんのように誤学習の結果、火に油を注ぐような謝り方しかできなくなる。こんな末期症状になる前に、最初はマニュアルからでもいいから、ちゃんと謝り方って身につけたほうが絶対いいと思う。


上の話はだいたいここから引用してきたものです。 めちゃくちゃ大事な話だから絶対に読んだほうがいいと思います。